孤独と孤高の違い。人間は誰もが“一人”なのです
- 2018.01.03
- 人生哲学

こんにちは☆NORIです(*´ω`*)丿
今日は「孤独と孤高の違い。人間は誰もが“一人”なのです」と題しまして、「人生を孤高に生きる事」について色々書いてみますね〜♪
今日の記事は、現状で一人の方(パートナーがいない方)ではなく、どちらかというと、パートナーがいる方や、結婚されている方に、あえて読んでいただけると嬉しいです(・∀・)丿♪
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人は誰もが“一人”なのです
まず、わたしたち人間は、基本的に「一人」です。
たとえば・・・
あなたが自分以外の人間が誰も住んでいない無人島で、子供の頃から育ったとします。
あなたは子供の頃から、自分以外の人間と会った事も話したこともなかったとしたら・・・
あなたは、孤独を感じると思いますか?
この例はちょっと極端ですが、実は、このような場合は、あなたは孤独を感じることはありません。
なぜなら、自分以外の人間が、最初から周りにいないからです。
つまり「孤独」とは、周りに自分以外の人間が常にいる。という前提の元、そうした人たちと自分との繋がりを見たときに、自分で「繋がりが薄い」と感じた場合に、人は孤独を感じるのです。
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人生に幸福感を感じるためにも“孤高”の意味を理解する
ここでちょっと「魂のレベル」のお話をしますね。
わたしたちがこの世界に生まれてくる理由のひとつである、魂レベルを上げていくという目的を達成するためには、「孤高」の意味を理解するという事も含まれます。
たとえば、現在、結婚をされている方。
パートナーと一生寄り添う事ができると思いますか?
それは、無理ですよね。
なぜなら、人間は寿命があるので、殆どの場合はどちらかが先に死にます。
多くの場合は女性の方が長生きをしますので、女性の方が約10年分、一人で生きる事が多いようです。
しかし、本当に魂レベルが高い人というのは、たとえパートナーが先に逝ってしまったとしても、いつまでも悲しんだりはしません。
逆に、パートナーに先に逝かれてしまって、いつまでも世捨て人の様にふさぎ込んで生きている人は、その人は「自分の人生を相手に依存していた」と言えます。
相手に依存すると言う生き方は、自分の人生を生きていないとも言えます。
そして人間は、相手に依存するという生き方をしているうちは、幸福感を得ることが出来ないものですね。
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孤独を感じる人は、相手に依存している
孤独な人というのは、一言で言うと「相手に依存している」と言えます。
●友達は沢山いるけど、なぜかいつも寂しさを感じている。
●恋人はいるけど、何故か満たされない。
●旦那も優しくしてくれているのに、何故か寂しい。
こんな気持ちになりやすい人は、既に、相手に依存してしまってると言えます。
さきほども書きましたが、相手に依存しているうちは、人は、本当の意味での幸せにはなれないのです。
ではここで、解りやすいテストをしてみましょう☆
もしもあなたが、「今後の人付き合いは60%で行うように!」と言われたとしたら、あなたはどう思いますか?
ここで、「60%の人付き合いでは寂しいなぁ」と感じたあなたは、まだ、「他人に依存している」と言えます。
まぁ、日本人の殆どは、60%の人付き合いでは寂しいと答えるのですが、実は、欧米では、「60%くらいの人付き合いが普通」と考える人が多いのです。
欧米人は日本人と違って、最初から「個」を確立していると言え、こういった部分は、欧米人の良いところでもあるのですね。
欧米人は、他人の事なんていちいち気にしませんし、周りの友達が次々に結婚するからと言って、「自分も早く結婚しなくては!」なんて思わないのです。
特にヨーロッパの方では、「自分は独身で生きていくんだ!」と公言する人は、「立派な人」とみられる傾向にあります。
しかし、日本では逆ですよね?
これは文化の違いと言えばそうなのですが、実は、「人間として自立しているかどうか?」の違いでもあるのです。
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このように、欧米では、生まれつきの文化の違いから「一人でいること」はイコール「自立している」と周りからも見られる傾向にあり、一人ひとりがそれをよく認識していると言えます。
そして、こういった状況は、本人からすれば決して孤独ではないのです。
なぜなら、一人でいることを恥ずかしいとも思わないし、一人でいても人生の幸福感を感じて生きてく為の思考を、彼らは知っているからです。
そして、こういった生き方を一言で表すのが「孤高」という言葉なのですね。
「孤高に生きる」とは、言い換えると「他人に依存せず、自分で決めた人生を自分の責任で悔いなく生きる事」と言えます。
ちなみにわたしも、子供の頃から何故だか解りませんが、一人でいることが多かった子供でした。
今でもやっぱり一人でいるほうが気楽で楽しいという感覚があります(*´ω`*)
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孤高を理解できなければ、周りにどれだけ沢山の人がいても寂しいままです
たとえば、わたしの友人に、酔っ払うと必ず電話をかけてくる奴がいます。
彼には奥さんも子供もいますし、ついでに浮気相手の彼女までいますw
彼は友達も多いですし、一見すると凄く沢山の人に囲まれて、心は満たされているはずなのです。
しかし、何かと理由をつけて電話をかけてきて、話す内容は、「暇だ」とか「何か面白いことないかな?」とか、こんな事ばかり言ってるんですね。
しかも、いつも仕事や家族の愚痴ばかりを言っている奴です。
まぁ彼もイイ年した男なので、本人の口からは「寂しい」なんて事は絶対に言いませんが、ようは「寂しいからかまってくれ」って事なのですよね。
つまり、人間は、いくら沢山の人に囲まれていたとしても、そういった現状と「孤独感を感じるかどうか?」というのは関係ないのです。
ようは、その人の考え方次第であり、「自分を孤独だ」と思っている人は、孤独な人生を送ると言えます。
しかし、「自分は孤高に生きている」と考える事ができる人は、一人で生きていても何ら問題ない。と言えるのです。
わたしたち人間は、「孤高に生きる」という事を理解できなければ、いくら恋人がいても、友達が沢山いても、心は寂しいままなのですね。
最後に・・・
とは言っても、実際はよほどの人格者でもない限り、この世の中で、人間が一人で生きていくことは出来ないと言えます。
やはり、わたしたちには「感動を共有できる人間関係」は必要と言えます。
しかしそこで、相手に依存をして良いのか?というと、話が別なのです。
周りに人がいることは良いことなのですが、あくまでも「自分自身は孤高に生きている」という事を理解できる人が、本当の意味での幸福感を得ることが出来るようになるのですね☆
読んで頂きありがとうございました!
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