仏教の「真我・無我」の意味を解りやすく解説してみた

仏教の「真我・無我」の意味を解りやすく解説してみた
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こんにちは☆NORIです(・∀・)ノ

今日は仏教で言われる「真我」や「無我」の意味について書いてみますね。

真我とは、もともとはヒンドゥーの教えで、「真の我(しんのわれ)」という意味ですね♪

そして「無我(むが)」とは、真我に対して、釈迦が新たに説いた仏教の教えと言えます。

しかし、「真我」とか「無我」って解りにくいですよね〜(*´ω`*)

まぁ聖書もそうですけど、なんで仏教の教えってあんなに難解なのでしょうね┐(´д`)┌

というわけで・・・

今日は「真我」と「無我」の意味について、わたしなりの見解で、なるべく解りやすく解説していこうと思います(・∀・)ノ


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真我とは、全ての魂の故郷

と言っても「真我」の意味は、人によって様々な解釈がされておりますので、ここからは、あくまでも、わたしの見解と捉えてくださいね~♪

特に、宗教家の方にとっては間違った解釈に聞こえるかもしれませんが、そのへんは、ご了承くださいマセ(・∀・)ノ

まず・・・

ぶっちゃけ、この世は「仮想現実」なのですよ☆

メインの世界はあっちの世界である「あの世」なのです。

あの世は、わたしたちの物質的三次元世界と違って、時間と空間を超越した高次元な世界です。

そして、命とは「魂」であり、わたしたちの魂は、神や、守護霊や、ハイヤーセルフや、宇宙意識なんかも、元々は同じ情報を共有するエネルギーです。

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たとえば、わたしたちは、パソコンでロールプレイングゲームを楽しんだりしますよね?

しかし、そのゲームが、いくらVRを駆使した超リアルなロールプレイングゲームだとしても、それはあくまでも仮想現実世界には変わりがありません。

これと同じように、高次な世界の魂は、自分の魂の切れ端を、この世という三次元の仮想空間に暮らす「人間というアバター」に宿らせて、地球上で人生ロールプレイングゲームを経験し楽しむのですね。

じゃぁ、何でそんなことをするのかというと、魂が暮らす高次な世界には、ゲームで得られるような様々な試練や感動が存在しないからです。

なぜなら、魂が暮らす世界は、一元性の世界だからです

一元性とは、「善悪」とか「光と闇」とか「楽しい・辛い」とか、わたしたちの地球では当たり前とされている、二極性の概念が存在しない世界です。

この宇宙は、元々は一元性の世界なのですね。

しかし、一元性しか知らない魂は、自らがもっと進化を望むために、もっといろんな経験を積みたいのですね。

とは言っても、一元論の世界では、何も経験をすることが出来ません。

しゃーないから、宇宙はあえて、二元性の世界を作り、そこに人間というアバターを住まわせ、アバターの中に「魂の切れっ端」を宿らせて、二元性の地球で様々な経験をさせるのですね

よく、「人生は修行だ」とは言いますが、たしかにその通りです。

しかし、一元性しか知らない魂からすれば、二元性を体験することは楽しくてしょうがないのです。

これは、わたしたちがロールプレイングゲームをする時に、ゲーム内には、様々な障壁や困難があるからこそ、自分のキャラがレベルアップしていくのが楽しい。という感覚と同じです。

じゃぁ「真我」って何なの?ということになりますよね。

真我とはつまり、「自分は本当は一元性の世界の住人なんだ!」と気づくことなのです

よく言われる言葉として「真我に目覚める!」ってのは、「自分が神と同じ魂である」という事に気づく!ということなのですね

ついでに言うと、「真我に帰る」とは、死ぬことになっちゃいますね(・∀・)

ただ、死ぬというと、わたしたちからすれば、悲しい事件に思えるかもしれませんが、あくまでもこの世界は仮想現実のロールプレイングゲームです。

本当は、ロールプレイングゲームでたんまりと経験を積んだ魂の切れっ端が、「今日はこのへんにしておくか!」と、パソコンの電源を切って、自分の世界に帰るだけのことであり、それが「死」という現象です。

つまり、「真我へ向かう」と言うのは、魂の本来の故郷に向かうために、あらかじめ自分で設定してきた「人生プログラム」に沿って、ただ淡々と人生を生きる事なのです

ちなみによく言われる事として「真我とは自分探しの様なもの」と解釈する場合もあるみたいですが、わたしはこれは違うのかな?と思っています。

自分探しとは、あくまでも今世の人生においての、「自分の適正探し」や「自分の今世の目的」を探すことだと思うのですよね。

この辺も、人によって解釈はまちまちだとは思いますが・・。

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真我を理解することが難解な理由とは?

真我について、なんだかサラッと書いてしまいましたが、わたしはコレが「真我」だと思っています。

じゃぁ、宗教の「真我」が、なんであんなに複雑で難解だったのか?ということになりますよね。

実は、それに対する答えは簡単で、昔は、ロールプレイングゲームも、仮想現実のVR技術も、無かったからなのですよ

そのため、「わたしたちは真我へ向かうのです〜(ー人ー)」と、色々例え話を混じえて説明しようにも、ゲームもVR仮想現実も発明されていない時代に、それを説明するのは、そりゃぁ無理があるでしょうw

という事なのですね(・∀・)

たとえば、「無我」という言葉があります。

「無我」とは、「真我」の意味をなかなか理解できない人たちに向けて、釈迦が「もっとうまい具合に説明できんかなぁ~?」と頭をひねって生み出した哲学です。

「真我」と「無我」を解説する人の中には、こんな感じで簡単に説明する人もいます・・・・

「真我」とは、この世は本当は何も無いという事
「無我」とは、自我を消した状態

つまり、無我とは、欲や、嫉妬心、恐怖、妬みなどのネガティブな感情などの、人間の性質を消し去った状態と言えます。

昔なら「無我」の説明もかなり難解だったといえますが、「無我」を今の時代流に、メチャクチャ簡単に説明してみますね・・・

仮想現実で楽しく遊ぶために、アバターにはあらかじめ「ちょっと難ありな性格」が設定されるんですよね。

何でわざわざ「難ありな性格」を設定するかと言うと、その方が、よりゲームの難易度が上がり楽しくなるからです。

しかし、わたしたちは死ねば仮想現実の世界を抜けて、本来の世界である「あの世」に帰ります。

その時は、パソコンの電源が切られるわけなので、キャラに設定された「難ありな性格」も、同時に無くなるわけなのですよ。

つまり、アバターのキャラに設定された「ちょっと難アリな性格」が「我」で、死んで「我」が無くなることが「無我」というわけです

ついでなので、もう少し説明しますね〜

この時に実は、パソコンの電源が「パチン!」と切られるわけでなく、仮想現実から、あの世の高次な世界へ、「徐々に移動する」と捉えてください。

わたしたちは、死ぬといきなり「無我」になって「真我」へ帰るワケでは無い様なのです。

あの世に行く前に、あの世へ向かうための「中継地点」の様なところが存在していて、しばらくの間は「我」を保持したまま、その場所にとどまるのですね。

それが、江原さん的にいえば「幽界」と呼ばれる場所であり、仮想現実を抜け出た魂は、幽界でロールプレイングゲームの反省をしたりします。

そして、「次はもっと頑張るぞ☆」と反省期間が終わったら、江原さん的に言う「霊界」へ移動し、次回のゲームプレイの時に備えて、同じ仮想空間内でゲームを同時プレイしていたソウルメイトたちと、情報交換をしたりするわけなのです。

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そして、魂は「霊界」に移動した状態で「真我」と言えるのです。

しかし、霊界の魂は、すでに「我」が綺麗になくなっている状態なので、「霊界でソウルメイトと再会する」と言うのはちょっと語弊があり、わたしの言葉では「すべての魂とデータを共有する」と解説しているわけなのですね(・∀・)ノ

なぜなら、「我」が無くなるとは、すなわち「自分というモノが無くなる」という事だからです。

「無我」をエヴァンゲリオンで例えると、「ATフィールドが全部無くなった!」という状態ですね♪

つまり、アンチATフィールドによって、魂がすべてLLCに還元されてしまったようなイメージです。

あ、よけ解りにくいか・・・(*‘ω‘ *)

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真我に向かうスピードがやたら早い人

真我について、なんとなくご理解いただけたでしょうか(・∀・)ノ?

真我へ向かうために、わたしたちは人生に起きる様々な困難や障壁を乗り越えて、徐々にレベルアップを目指しているのです。

つまり、わたしたちは、真我に向かうために生きていると言え、その過程にある「人生というロールプレイングゲーム」をただ楽しんでいるだけなのですよ♪

しかし、人生には、楽しい人生もあれば、辛い人生もある・・・

と言っても、それはあくまでも自分の魂が決めた設定上で動いている仮想空間での出来事に過ぎません。

どうせ仮想現実の話なので、ゆる〜く人生をプレイするのも、ちょっと急いでプレイするのも、どっちでもいいんですよね。

まだ少し尺があるので、「真我へ向かうスピードがやたら早い人」のお話をしますね・・・

最近わたしが気になったのが、真我へ向かうスピードがやたらと早い人が増えてきているような気がするんですよね。

これは、わたしの肌感覚なので、気のせいかもしれませんがね・・・

たとえば、人生は概ねこんな感じかな?とわたしは思っているのです。

0歳〜10歳  自我の芽生え、親の魂の成長を助ける
10歳〜20歳  感性の成長
20歳〜30歳  子育てによる自分の成長、仕事による成長
30歳〜40歳  仕事による成長、幸福感の理解
40歳〜50歳  感謝をする事の理解、自分より若い人に教える
50歳〜60歳  後継者を育てる
60歳〜70歳  すべての事に感謝出来るようになる
70歳〜     感謝をすることを周りに広める

まぁ、あくまでもわたしの肌感覚なので、ちょっと雑ですけどね♪

で、人間はこのような人生のサイクルを、輪廻転生を何万回も繰り返すことにより、少しづつ学び、魂を成長させていくのですね。

しかし最近は、10代のうちに「全てに感謝しちゃった☆」とか、20歳位で「人に感謝の大切さを教えてます!」なんて人が増えてきているような「気」がするんですよね・・・

こういった人は、スピリチャル用語で言うと「スターチャイルド」とか言われる人なんでしょうね☆

彼らは、人生の成長の部分を、普通の人の1/4くらいに縮めちゃって、いきなり大成長しちゃってるんですよねw

いやぁ〜立派だと思いますね♪

で、何が言いたいのかというと・・・

こういう人が増えて来ていると言うことは、こらからの未来は、結構明るいんじゃないのかな?と思ったのですね。

何しろ普通の人の4倍位のスピードで精神が成熟していくわけですからね。

というか、最初から精神レベル(魂レベル)が成熟した状態で生まれてきているというのが、おそらく正しのでしょう。

こんな人達が、多くの人達を先導して、これからの日本を作っていくんだと思うと、わたしは嬉しくなるんですよね

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最後に・・・

また、こんなことを書くと、宗教家が怒ってコメントをしてくるんだろうな・・・w

と思いながら、今日は、かなり強引ですが「真我」や「無我」について、わたしの解釈を書いてみました(・∀・)ノ

読んでいただき、ありがとうございました!

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