孫正義とはどんな人? 孫正義から学ぶ「高い志」の大切さ
- 2018.07.03
- わたしが影響を受けた方々

こんにちは☆NORIです(・∀・)ノ
今日は、私が好きな実業家の「孫正義」のお話をしますね〜♪
ソフトバンクの経営者である孫正義は、今やソフトバンクだけでなく、現在800社以上ものグループ会社を抱え、様々な事業も手がける前衛的な実業家であることは皆さんもご周知のとおりです。
そして、これほどまでに社会に影響力のある孫正義は、若い頃から「かなりのぶっ飛んだ人」だったのですね(*´ω`*)
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坂本龍馬に憧れ、高校を3ヶ月で中退! 単身渡米した孫正義
孫正義が、アメリカの大学に留学していた事は、知っている方も多いかとは思います。
実は孫さん、日本の高校を1年生の3ヶ月目で中退しているのですね。
では、孫正義がこれほど留学にこだわった理由は何だったのでしょうか?
孫正義は、子供の頃に家庭教師を付けていたのですが、その頃に、家庭教師の先生に勧められて、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んだのですね。
これを機に、坂本龍馬の大ファンとなった孫正義少年は、
「自分も、なにかデカイことをしたい!」
「世の中を変えるような大きなことがしたいんだ!」
「何百万人、何千万人の人のためになることをしたいんだ!」
と、高い志を持つようになったのでした。
思い立ったら、居ても経ってもいられらくなった孫正義少年。
当時、重い病に苦しんでいた父親の制止を振り切り・・・
大切に育ててくれたおばあちゃんの涙の訴えも振り切り・・・
「退学じゃなくて、せめて休学にしたら!?」という学校の先生の頼みも断り・・・
高校を入学後3ヶ月で中退。
単身、渡米するのでありました。
孫正義がアメリカに留学した理由は、技術も文化も、当時はアメリカのほうが日本よりも断然進んでいたからです。
ちなみに、ソフトバンクのロゴマークである二本線「=」←これは、坂本龍馬の海援隊の旗印をモチーフにしているのですね☆
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わずか2周間で高校の勉強を全て修了してしまった孫正義
「海外の進んだ文化を自分の目で見てみたい!」
強く願った孫正義は、アメリカの高校に入学し、日本との様々な文化の違いをアメリカで体験することになります。
そして、志を高く持つ孫正義は、アメリカに渡っても片時も勉強をサボる事はありませんでした。
孫正義の勉強に対する執着っぷりは並外れたものがあり、まず、最初の1週間で高校一年の教科書を全て読破!
校長先生に、
「一年の勉強は全部終わったから、二年生の教科書をくれ!」
と言って、二年生の教科書も3日間徹夜して読破!
今度は三年生の教科書を取り寄せて、それも3日で読破して、孫正義はわずか2周間で高校を卒業してしまうのでした。
結局の所、孫正義は、日本の高校に3ヶ月、アメリカの高校には2週間在学しただけで、晴れて大学に飛び級してしまうのでした。
勉強をした量と時間は、誰にも負けない自信がある
大学に進学しても、孫正義の志の高さと、勉強しまくる姿勢は変わることはありませんでした。
孫正義いわく「自分が学生の時に勉強した量や時間は誰にも負けない!」と語っている通り、それこそ寝ている時間以外は、全ての時間を勉強に費やしていたそうです。
ご飯を食べているときも、トイレに行くときも、お風呂に入っているときも、インフルエンザで死にそうなときも・・・
片時も本を手放したことはなく、常に勉強していたそうです。
そして孫正義は、大学に通いながらビジネスでお金を稼ぐことを考えます。
そんな時に、孫正義に重大な転機が訪れるのでした。
ある時、科学雑誌を読んでいた孫正義は、今までに見たことがない写真を目にします。
一見、未来都市を思わせるような不思議な幾何学模様をしたその物体を見て「なんだろう?」と思って次のページを捲ってみると・・・
それは、人の指先に乗った、小さな小さなコンピュータのマイクロチップだったということを知ったのですね。
この時、孫正義の体に電撃が走りました。
「人類は、なんちゅぅ凄いものを発明したのだ!」
「コンピュータは、いずれ人間の脳を超える時代が来る!」
このマイクロチップが、これからの世界の仕組みを作り変えていく様が、孫正義の頭の中には一瞬にして映像として浮かんだそうです。
歓喜した孫正義は、気づくと目から涙が溢れていたそうです。
そして、孫正義は、ある意味この頃からシンギュラリティーの可能性について予測していたのですね。
今から30年以上も前の話です。
関連記事
→シンギュラリティ(技術的特異点)とは? 2045年、AI人工知能が人間の脳を超える
発明と特許で学生時代に3億円稼いだ孫正義
そして、孫正義は、このマイクロチップを使って様々なものを「発明」することを思いつきます。
発明で特許を取れば、大金を稼げると考えたのでした。
それからは「1日に5分ずつ、毎日1つの発明をする!」と心に決めて、結果的に孫正義は1年間で250個の発明をしました。
しかし、いくらアイデアが浮かんでも、それをカタチにするには一人では無理があります。
そこで孫正義は、大学教授や、当時の有名な研究者の何人かに、力を借りることにしたのでした。
まだ学生だった孫正義は、大学の先生に向かって・・・
「発明をするので、仕事を手伝ってください!」
「給料は、先生方の言い値を払います!」
「しかし、今は一銭も持ってないので、特許が売れた場合の、成功報酬となりますが・・・」
と、自分よりも一回りも二回りも年上の先生や研究者に交渉をしたのですね。
それを聞いた先生方は「面白いことを言う学生だなぁ〜」と、快く承諾してくれたそうです。
そして250個の発明品の中から、いくつかの発明品で特許を取ることに成功。
中でも、世界初のキーボードがついたマイクロコンピュータの試作品は、シャープに売却することにより、1億7,000万円の利益を上げました。
そしてもうひとつ、ゲームの開発でも1億5,000万円の利益を上げ、孫正義は、大学生時代に既に3億円以上稼いでしまったのでした。
この時、孫正義はわずか19歳。
優秀だった孫正義は、ハーバードやケンブリッジなどのいくつもの有名大学から「博士号を取らないか?」と推薦を貰ったそうです。
しかし、孫正義はそんな推薦をすべて断ったのですね。
なぜなら、孫正義には、もっと高い「志」があったからです。
みかん箱の上に立ち熱弁を振るった、起業当初の孫正義
学生時代に大金を稼いだ孫正義でしたが、その会社はすぐに売却をしてしまいました。
というのも、孫正義には、もっと高い「志」があったのですね。
日本に戻った孫正義は、「これから、コンピュータを使って世の中の人のためになるような事業で、一大情報革命を起こすのだ!」と決心します。
そのために事業プランを徹底的に練り上げる孫正義。
そのメモ書きの量は電話帳の厚さになるほどだったといいます。
そして、孫正義は、この時に自分の人生のプランを定めます。
まず、20代で自分の事業を起こす。
30代で売上が1000億、2000億となるような軍資金を作る。
40代で一勝負し、売上を1兆、2兆と、まるで豆腐を数えるように、兆単位でお金を数える会社にする。
50代でビジネスモデルを成熟させる。
60代で次の経営陣に事業をバトンタッチする。
そして、40個ほどの事業プランの中から、「デジタルによって情報革命を起こす」という志に則った事業を始めるべく、九州の福岡で、資本金1,000万円でソフトバンクをスタート。
最初の事務所は、クーラも付いていないような、ボロアパートだったと言います。
孫正義は、事業開始早々アルバイトの二人に向かって・・・
「我が社はこれから大きくなる!」
「我社の30年後を見よ!」
「未来のソフトバンクは、売上を1兆、2兆と数える会社になるのだ!」
「情報革命だ〜(`・ω・´)ノ!!!」
と、みかん箱を教壇がわりに立って、熱弁を振るったのでした。
自身の熱い想いを1時間にわたって二人のアルバイトを前でぶちまけた孫正義。
しかし、二人のバイトは1週間で辞めてしまったそうです・・・
きっと、「このおっさん、頭逝ってるわ」と思ったのでしょう。
志の高すぎる人というのは、何時の時代も普通の人には理解されないものなのですね(*´ω`*)
1年で売上が30億になったソフトバンク
ソフトバンク開始早々、孫正義は大阪のエレクトロニクスショーに出展することを決めます。
その時の商品は、パソコンに使うソフトウェア。
出展費用に800万、そして、ソフトのカタログの制作費に200万円。
孫正義は、創業わずか1ヶ月目で、資本金の1,000万円を全部使ってしまうのでした。
その後、しばらくはお客さんはまったく来ず、売上はゼロ。
しかし、1週間後に上新電機から連絡があり、取引を開始しました。
そこからのソフトバンクはまさに快進撃で、社員ゼロ、売上ゼロの会社が、1ヶ月で売上30億の会社になりました。
その後は、2ヶ月おきに事務所を広い場所に引っ越しを繰り返し、社員の数も、10人、50人、100人、200人・・・と増えていったそうです。
しかし、良いことは続きませんでした。
健康診断で、孫正義に肝臓の病気が発覚。
その後、3年半に渡る闘病生活を余儀なくされるのでした。
離れていく顧客、辞めていく社員・・・
この時の孫正義は、まさに人生のどん底状態だったと言えるでしょう。
企業買収を繰り替えす孫正義
しかし、孫正義は負けません。
今度はアメリカ進出です。
当時出てきたばかりのインターネットに注目した孫正義は、株式も公開し、上場することによりソフトバンクの時価総額は2000億円。
その資金を全部使って、アメリカの世界最大のコンピュータ展示会を開催する会社「コムデックス」を買収します。
買収額は800億円。
加えて、ジフデービスというコンピュータ出版会社も買収します。
これが2,300億円。
合計3,100億円。
またもや借金をして大博打です。
更に、当時まだ社員が5人くらいしかいなかったアメリカのヤフーも買収し、自分が筆頭株主になることにより資本金100億円でヤフージャパンを起こします。
その後、日本はインターネットバブルに突入し、ソフトバンクの株価はうなぎ登り。
孫正義自身の持ち株だけでも、1週間で1兆円づつ株価が上がっていったそうです。
そのため、孫正義は、3日間だけ、ビルゲイツよりもお金持ちになった事があるそうです。
しかし、こんなお金持ちになっても孫正義は「高い志」を忘れたわけではありませんでした。
自分が事業を始めたのは「人のためになる事したい!」「人々に喜んでもらうことしたい!」と願う気持ちだったのですね。
しかし、その後ネットバブルは崩壊。
ソフトバンクの株価は、1年で100分の一にまで下がってしまったのでした。
世の中は「ネット企業=詐欺師集団」という風潮が広まり、またもや大苦難を迎える孫正義でした。
ブロードバンドによる大躍進
孫正義は、起死回生するために、以前から計画していたブロードバンドで勝負に出ます。
「ネット接続を、何処よりも安く、何処よりも安い値段で日本に提供をする。」
日本のネットは、当時、先進国の中では世界一高くて、世界一遅かったのですね。
その理由は、NTTが提供する回線が、ISDNだったからです。
そして孫正義は、新しいネット回線として、料金はNTTの8割引、通信速度は4倍!というプランを皆に提供することにしたのです。
こうして「ヤフーBB」が誕生したのですね。
そういえば、当時は、駅前とかでヤフーBBのルーターをタダで配っていましたね(・∀・)
孫正義のこうした破天荒な取り組みも、「日本のインターネットを変えたい!」と強く願う気持ちから来ていたのでしょう。
孫正義は、まさに、日本にインターネットの情報革命を起こしたと言えます。
しかし、ヤフーBBは、1晩で100万件の注文が来てしまったため、ルーターの数が足りなくなり、お客さんから猛烈なバッシングを受けることとなります。
ネット回線というのは、一度契約してしまうと、すぐには元の回線に戻せないのですね。
なぜなら、一度解約した回線をNTTが簡単に再接続することが難しかったからです。
そこで孫正義は、総務省に乗り込んで・・・
「これはNTTの独占法違反だ!」
「NTTの社長に電話して、電話回線をつなげと言ってくれ!」
「それが駄目なら、わしはここで灯油をかぶって死ぬ!」
と祈願したそうです。
その結果、総務省はNTTに連絡をして、無事に接続は行われ、ヤフーBBの大騒動は一応は収束したのでした。
孫正義から学ぶ「登りたい山を決める」という生き方
孫正義の波乱に満ちた人生をざっと書いてみました。
しかし、孫正義が大切にしていることは・・・
「自分は、何を成すために生まれてきたのか?」
ということなのですね。
この答えに孫正義は「人間は事を成すために生まれてきている」と言うのですね。
そして、「自分が登りたい山を決める」というのが、孫正義によって頻繁に若い人に向けられる言葉なのです。
自分が登りたい山を決めるということは、人生のゴールや目標を定めるということです。
そして、目標というのは、できるだけ若いうちに定めたほうが良いのですね。
なぜなら、人生は一度きりだからです。
このサイトでは輪廻転生のことを頻繁に書いてはいますが、「あなたという人生」は、一度しかないのです。
誰だって寿命が来たら死んでしまいます。
孫正義は、「世界中の人達の知恵や知識を共有できるプラットホームやネットワークを作りたい」と願いました。
それにより、「多くの人が幸せになり、仕事の生産性が上がり、世のため人のためになる」と考えました。
そして、「それを成すために自分は生まれてきたのだ!」と、ある時確信したそうです。
まさに孫正義は「天命に目覚めた」と言えるでしょう。
しかし、わたしたちのような普通の人間でも、天命はちゃんとあります。
そして、すべての人に共通する天命は、やっぱり「人のためになる事をする」なのですね。
ただ、そこで「何が出来るか?」というのは、一人ひとりが違うのです。
他の記事でも何度か書きましたが、「人のために何かしたい!」と心から願った人の元へは、「事を成すための様々な物質的な道具」が天から与えられます。
そのため、志というのは、高ければ高いほうが、実は、人生は上手くいくのです(・∀・)ノ
仕事で成功したい方、人生をもっと豊かにしたい方・・・
ぜひ志を高く持って、人生をもっと楽しんでいただければと、わたしは思います☆
読んでいただき、ありがとうございました!
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