生き抜くための強さ
- 2019.02.02
- 幸せに生きる術

こんにちは☆NORです(*´ω`*)
今日は「生き抜くための強さ」というお話をしますね♪
さて、最近わたしが気になった事として、意外と多くの方が「強くなる事は悪いこと」と捉えてしまっているのではないか?と思うのですよね。
そして、そんな人に限って・・・
◯わたしは優しいから
◯優しいことが私の魅力
◯弱くても優しさがあれば幸せになれる
なんて考えているような気がするのです。
しかし、もしそうだとしたら、この考え方は少しばかり間違っているのですね。
つまり、人生で悩み続ける人、何時まで経っても幸せになれない人の中には、「弱さ=優しさ」と考えていたり、「強くなる事とは、優しさを捨てることだ」と捉えてしまっている様な気がするのです。
ただ、今日のお話の結論を先に書きますと、この世界で幸せになるには「強さ」は必要です。
そして、できたら、皆さんにも強さを身に着けて欲しいのですね☆
ちなみに、今回の記事は、特に「男性」に読んでいただきたいです♪
それでは詳しく説明していきますね〜(*´ω`*)
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「優しさ」の反対が「強さ」では無いのです
このサイトに訪れてくださる方のほとんどは、優しい方が多いかとは思います。
ただ、結論から先に書いちゃいますと、「弱さ=優しさ」でもなければ、「優しさの反対が強さ」でも無いのです。
もちろん、優しいのは良いことですし、優しさを捨てる必要はありません。
ただ、スピリチュアルに傾向する方に特に多いのですが、「強さ」が足りないのですね。
そして、こういった人は、潜在意識のレベルで「強い事とは、優しさを捨てることである」と考えてしまっているのです。
だから、強くなることを否定して、不幸な人生を自分で容認しちゃうのですね。
では、強さが足りない人が容認してしまう不幸な人生とはなにか?というと、たとえば「我慢をする」という考え方です。
他には「苦労を望むのが美しい」という考え方もあります。
ただ、はっきり言いますと、こんな考え方では、幸せになる事なんて出来ないんのですね。
たとえば、斎藤一人さんの有名な教えに、こんな言葉があります・・・
威張っちゃいけない。舐められちゃいけない。
この言葉の意味を説明しますと、人は、他人から舐められていたら、幸せになんてなれないのです。
かと言って、強くなって自分が力をつけてきた時に、威張っちゃいけないですよ〜
という事なのですね。
ただ、この教えの大切な部分は「舐められちゃいけない」という部分です。
「威張っちゃいけない」という部分は、おそらく多くの方には当てはまらないと思います。
何故かと言いますと、「威張る」という事をしようと思ったら、実際に自分が出世して威張れるくらいに偉くならなくちゃいけないからです(*´ω`*)
というわけで、今日のこのブログでも「舐められちゃいけない」という部分に焦点を当てて書いていきますね☆
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幸せになるために必要な強さとは?
強さというのは、生きていく上では必要なことです。
では、強さとは何でしょうか?
たとえば、小学校の頃なら、「勉強ができる」とか「スポーツが得意」とか「喧嘩が強い」というのが強さです。
でも、こんな強さは、子供の頃にしか当てはまりません。
では、大人になってからの強さとは何か?と言いますと・・・
たとえば、お金を沢山稼げることは強さです。
悪口や嫌味を言われたら、すかさず倍返しできるだけの「口の達者さ」も強さです。
会社で人気者になることも強さです。
人気者になるのが何故強さなのか?と言うと、人気者ということは「それだけあなたの味方が沢山いる」と言うことだからです。
ただ、上に書いたような強さというのは、習得するのがそう簡単ではありませんし、時間もかかると思います。
特に、「幸せに生きていくためには強さが大切だ」なんて事を知らない人は、今まで「強さ」の勉強をしてこなかった人だと言うことになりますので、そんな人が、今から強さを身につけるのは、ちょっと時間がかかるのですね。
しかし、もしも仮に「自分なら、先に書いた様な強さを発揮できる!」のであれば、是非そうしてください!
これも、この世で幸せになる為の強さである事は間違いないからです☆
ただ、こういった「テニック的な強さ」を発揮することが難しいのであれば、そんな人たちに身に着けて欲しい強さとは何か?と言うと、「鈍感さ」なのですね。
この事は、以下の記事「器が大きい人とはどんな人? 器を大きくする方法とは?」でも書きましたが、簡単に言うと、器の大きな人というのは、鈍感な人なのです
関連記事
→器が大きい人とはどんな人? 器を大きくする方法とは?
しかし、鈍感と聞くとマイナスに感じてしまう方も多いかとは思いますが、そうではないのですね。
詳しくは、上の記事も併せて読んでみてくださいね☆
鈍感さについてもう少し説明しますね・・・
鈍感さとは、たとえば、自分が病気になった時に「大したことない!」と思える心の持ち方です。
たとえば、自分がブラック企業で働いているとしたら、社長に向かって「うるせーこのハゲ!」と口答え出来る強さも、鈍感さだと言えます。
なぜなら、普通なら、社長に向かって口答えすればその後どうなるか?という事を考えてしまい行動にまでは移さないものですが、鈍感な人はそんな事は考えないので、すかさず口に出してしまえるからです。
その結果、会社をクビになるでしょうが、結果的にはブラック企業で苦しめられるという悪循環から開放されるという事が出来るのです。
他には、最愛の恋人に振られた時に、すかさず「次の相手見つけるからエエわ!」と考えられる思考も、重要な鈍感力です。
仮に、借金を返せない様な状況になってしまった時も「自己破産してイチからやり直すからエエわ!」と、パッと開き直れるのも鈍感力であり「強さ」なのですね。
さて、こうして書くと、強さとは、一見すると「感情が欠落している」とも思えませんか?
実は、これが、優しい人ほど「強さ」を重要視しない落とし穴でもあるのです。
つまり、先程も書いた通り、多くの方は「強さ=優しさが無い」と考えていたり、「強さ=冷たさ」と思ってしまっているからです。
しかし本当は、そうではないのですね。
なぜなら、強くなることを拒否している人が考える「優しさ」や「冷たさ」というのは、相手に対してではなく、自分自身に向けられた感情に過ぎないからです。
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→宇宙にお任せすると悩みがなくなる
プライドの高さが強くなる事を否定している
少々厳しいことを書きますが・・・
たとえば、わたしのブログにはものすごく批判のコメントも多いのですね。
わたしは、一応はそういったコメントも一通り読んでおります。
しかし、ほとんどの方が「自己憐憫」に陥っているだけなのです。
これ、コメント書いている本人も気付いてないのでしょうが、「わたしはこんなに可哀想なのよ!」「解ってくれないあなたは冷たい人だ」という感情を、わたしにブツけているだけなのです。
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→自己憐憫は自分を不幸にする。あなたが望みだと思っている事、それ不平不満ですよ
まぁ、10年前のわたしなら、こうした一人ひとりの「わたしは世界一可哀想なのです」というコメントにも、一緒になって悩んであげることが優しさだ。と考えていましたが、その結果、わたし自身が不幸だったのです。
つまり、不幸な人の話を聞いて、わたしも不幸になり、結果的に、世の中に不幸な人がもう一人増えただけ・・・という状況になっていたのが、過去のわたしです(*´ω`*)
しかし、不幸な連鎖というのは断ち切らないといけないのですね。
なぜなら、世の中に不幸な人が増えるのは、その人にとっても、周りの人にとっても良くないことだからです。
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→不幸の連鎖を断ち切る。愚痴や不満を言うことは他人に迷惑をかけている
では、強くなることを否定している人が持つ思考の間違いとは何か?と言いますと・・・
「プライドの高さ」なのですね。
プライドの高さとはなにか?といいますと、たとえば「自分が可哀想なのは、社会システムが悪いからだ」とか、「自分が不幸なのは、まわりの人が悪いから」と考えてしまう、自己憐憫な思考であり、これがつまり「自分は間違っていない」と考えるプライドの高さなのです。
わたし自身も過去にブラック企業で働いていたことがあり、その時は、当時の会社の社長を酷く憎んでいましたし、自分が不幸なのは世の中の仕組みが悪いからだ・・・
なんて本気で考えていたこともありました。
10年前までは、わたしもこれほどアホチンで未熟だったのですw
しかし、このサイトでもよく書いていますが、あなたの人生に起きるあらゆる出来事は、全てが自分の責任なのです。
関連記事
→不幸から抜け出せない人の特徴。不幸を抜け出し幸せになるための方法とは?
逆に言うと、たとえ、どんなに理不尽な出来事に巻き込まれようとも、「全て自分の責任だ」と考えられる人の方が、結果的には幸せになれます。
なぜなら、全て自分の責任だと考えれば、他人を恨む事もないですし、反対に、幸せな人生に向かおうと思ったら「自分の力で幸せな人生を実現させることも可能だ!」と考えるのと同じことだからです。
しかし、こういった思考を邪魔するのが、プライドの高さなのです。
プライドが高い故に、人目を気にしてブラック企業をサクッと辞めることも出来ない・・・
「自分は優しさが魅力なんだ」と考えるプライドが高さゆえに、自分を攻撃してくる人間に対して、「自分が我慢をする」という行動をとってしまう・・・
プライドとは、言い換えると「我」でしかありません。
我とは、スピリチュアルで言われる一番邪魔な部分であり、わたしたちは「我を取る修行」をするために、この世に生まれてきていると言えるのです。
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本当の強さとは?
イエス・キリストが愛に溢れた素晴らしい人であったという事は、誰もが知っているかとは思います。
では、イエスには、強さはなかったのでしょうか?
いえいえ、イエスは正しい教えを広めるために、ユダヤ教の神官達と戦い続けたのですね。
まぁ最後は、イエス自身の意志に沿って自ら十字架に張り付けになったのですが・・・
その前は「お前らは聖書を理解できていない大馬鹿野郎だ!」と言って、ユダヤ教のお偉いさんたちに喧嘩を売りまくっていたのですね。
つまり、強さと愛は別なのです。
繰り返しますが、強さとは優しさの反対ではいのです。
因果の話をしますと、生まれつき優しい人というのは、大抵の場合、「強さを学ぶ」なんて因果も持って生まれてきているのです。
そのため、優しい人に限って、自分が強さを発揮しないといけないような状況が、人生に起きてくるのですね。
たとえ、最愛の人が病気になったとしても、二人で落ち込んで一緒に不幸になってはいけないのですね。
これだと、不幸な人がもうひとり増えただけという、悪循環なのです。
仮に、愛する人が病気になったのなら、相手には愛と勇気を与える言葉をかけ続けて、自分自身も明るく楽しく生きることを続けるのが、正しい強さであり、優しさなのです。
今この会社を辞めたら同僚が困るだろうな・・・と考えてブラック企業を辞めないのは、優しさではなく、「皆んなで一緒に不幸になりましょう!」って思考なのですよ。
こんな場合は、自分が先頭切って、社長に「エエかげんにせいや!」と口答えできるのが、本当の強さであり、優しさなのです。
そして、その結果として自分が会社をクビになったとしても「それが何か?」と平然としていられるのが「強さ」なのです。
わたし、乙武洋匡さんが好きで、心から尊敬しています☆
普通なら、あれほどの重度の障害を抱えていたら自己肯定感は下がってしまうはずなのに、乙武さんは自己肯定感が高く、尚且強さも備えています。
その結果、乙武さんは「世の中をもっと良くするんだ!」と高い志を持って、教師になったり、本を書いたり、政界にも出馬してしまったのですね。
まぁ、終盤はあまりにも自己肯定感が高すぎて、エチーな行動で批判されたりもしていましたが・・・w
ただ、わたしから言わせれば、乙武さんの浮気も悪いことだとは思わないのです。
なぜなら、乙武さんが複数の女性と付き合っていたとしても、そこには「被害者」はいないからです。
そして、マスコミからいくら叩かれても、そんなことでヘコタレない乙武さんの強さいや鈍感力が凄い!とわたしは思うのですよ(*´ω`*)ノ
つまり、本当の強さとは、例えどんなに辛い境遇に立たされても、周りに対して愚痴や文句を言わず、平然と涼しい顔をしていられる「鈍感力」であり、「心の余裕」なのですね☆
関連記事
→自己肯定感が下がっていませんか?自分には価値がないと思っていないかチェックしよう!
最後に・・・
今日は「生き抜くための強さとは?」というお話をしてみました☆
今日のお話は、特に「男性の方」に読んでもらいたいと思い書いてみました。
なぜかと言いますと、女性は最初から「強い人」が多いからですw
女の人って、口では「今日はこんな事があって大変だったの〜!」と旦那さんに色々話はするのですが、結局、自分の力で困難を乗り切っちゃうんですよね☆
本当に、女性は強いなぁ・・・と、わたしはしみじみ思うわけです(*´ω`*)♪
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→強い女と弱い男。男と女の本当のお話
反対に、男は口には出さないけれど、気がついたら鬱病になっていたり、自殺していたりするんですよね・・・
実際、日本での自殺者の数も、女性より男性の方が2.5倍も多いのです。
というわけで、男の方々・・・
強くなってくださいね♪
そして、強さとは「鈍感力」であり、「プライドを捨てる」という事なのです☆
読んでいただき、ありがとうございました!
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