ジャッジをしない生き方のススメ。人を評価評論すると自分が損をする
- 2020.02.21
- 幸せに生きる術

※このブログは2020.2.20にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
今日は、「ジャッジをしない生き方のススメ」というお話をしますね。
スピリチュアルな世界では、よく「人をジャッジしてはいけないですよ〜」という事は言われてるんですね。
これは、自己啓発の世界でもよく言われていることですし、心理学の世界でもよく言われていることなんです。
つまり、人だけでなくて、出来事とかモノに対しても「評価評論をする」というのは、出来たらやらないほうがいいんです。
何故かと言うと、ジャッジをする人というのは、結果的に自分が損をするからなんです。
というわけで詳しく解説していきますね(*´∀`*)
スポンサーリンク
人をジャッジする癖が付いていませんか?
これは、わたし自身にも当てはまる事なんですけども、結構多くの方にも当てはまる事だと思うんですね。
多くの方は、知らず知らずのうちに、他人を評価評論したり、物事を「これはイイ」「これは悪い」と、ジャッジを下してしまう傾向にあるんです。
誰もが、「これは好き・これは嫌い」とか、「美味い!・不味い!」という評価評論を、ついついやってしまうんです。
わたしも、ついついジャッジしてしまう事があるので気をつけているんですけども、しかし「ジャッジをする」という行為は、結局は自分が損をするんですね。
だから、ジャッジをすることはオススメしないんです。
以前に、こんなコメントをくれた方がいたんですけども・・・
「この人の動画は、いいこと言っているのに、声がスピリチュアルな声じゃないので、わたしは好きではないです〜」
と、コメントくれた方がいたんですね(笑
ただ、初めに言っておきますと・・・
わたし自身は、「声がスピリチュアルな声じゃない」とか、「気持ち悪い声してる」とか、「顔がブサイクですね〜」とかww
そんな風に言われても、わたし自身はそんなことで1ミリも凹みませんし、別に怒ったりもしませんし、まったく気にもならないんですね。
でもわたしは、この方が初対面の見ず知らずの人に向かって、こういうコメントをしてしまったという事実に対して、「これは非常に、この子にとってマズイな」と思ったんです。
特に若い子に多いんですけども、「インターネットなら何を言っても良い」と思ってる子は多いんですよね。
では、なぜ今回のこの方のように、インターネットになると「人をジャッジしちゃうのか?」と言うと、その理由の1つは「自分に自信がないから」、もう一つは「マウントを取りたいから」なんです。
マウントを取りたくてジャッジをしてしまう心理
とくに若い子は、まだ社会的な経験が少ないから社会的な地位がどうしても低いんですね。
ほんとは、会社とかでも、自分の意見を言いたいんですよ。
もっとお金も稼ぎたいんです。
でも実際は、まだ経験も浅いわけですし、会社も周りが皆んな目上の人なので、言いたいことも言えないんですよね。
若いから、当然給料も安いんです。
だから、ネットの世界で他人を評価評論することによって、「自分ほうが偉いんだぞ」とか、「自分のほうが知識をよく知ってるんだぞ」とまぁこんな感じに「マウンティング」をしたいんですね。
つまりその人は、マウントを取ることによって「自分の価値評価」を、自分で定めようとしているんです。
でも、ネットの世界でいくら自分のマウントをしても、給料が上がるわけでもないんですよね。
いくら、ネットの世界で評価評論をしても、彼女のいない人に彼女が出来るわけではないんですよ(笑
それどころか、気をつけなきゃいけないのが、こういった「マウントを取る」という癖がついていると、実社会にもその癖が出ちゃうんです。
つまり、日常的に人や物事に対して評価評論をする事が、自分の評価を上げることなんだ。と、心の何処かで勘違いしちゃうんです。
でも、これは逆効果なんですよね。
こんな事は、ある程度社会経験を積んでいる方なら解ると思うんですよ。
簡単にいうと、「人に意見を言う」というのは、基本的には人から嫌われるんです。
これについては、別の動画の「好かれる人、嫌われる人の特徴」って動画でも話しているんですけども、「意見を言う」というのは、多くの場合で「評価評論をする」って事になっちゃうんです。
関連記事
→嫌われる人、好かれる人の特徴や違いとは?
もちろん中には、「わたしは、たとえ相手がどんな人でも、その人の良いところを探して、褒めてあげる様にしてるんです〜」とまぁ、こんな感じの優しい方も中にはいるですね☆(*´∀`*)
こんな方は、本当に魂もキレイですし、立派な人なんですよ☆
こんな人が、多くの人から好かれますし、人間関係もうまくいくんですよね(*´ω`*)♪
でも、相手に意見を求められて「ジャッジを下す」というのは、もうハナから「相手を否定する様な人」なんです。
そんなんで、人生がうまくいくハズがないんですよ。
スポンサーリンク
人間関係が上手くいかないのは、人をジャッジしているから!?
もしも、会社で人間関係が上手くいかない様な人がいたとしたら、もしかしたら、ところ構わず相手をジャッジして「評価評論」というカタチで相手を否定していませんか?もしかしたら、相手を否定するという行動によって「自分のほうが偉いんだ」というマウントを取ってませんか?という事を、ちょっと考えてみたほうがいいんですね。
わたしは色んな人のYoutubeを見るんですけども、基本的には、一回観たら、自分で「この動画は見た!」と解るように、目印として「いいね」を押すようにしてるんですね。
仮に、自分とちょっと違う意見を言っている人がいても、とりあえずは「いいね」を押して、コメントは、まず滅多にしないんです。
たまぁにコメントする時は、凄く感動した時とかで、ただ「ありがとうございました〜!すごく勉強になりました〜」って書くだけなんです。
つまり、わたしは、相手を評価評論することを、出来る限りしないようにしてるんです。
ただ、極たまにですが、自分にはまったく合わない動画がオススメで出てくることもあって、ちらっと覗いてみて「ああ〜違うな〜」って思っても、別にそれ以上観ないようにするだけで、その人に対して「違うだろ」なんて、否定の書き込みは絶対にしないんですね。
でもわたしは、実生活だと、とくに仕事中は評価評論はするんですよ。
これは何故かと言うと、まず私の場合は、ちょっと特殊な技術職なんですね。
だから、相手を評価評論しても、私の場合は、それでもちゃんと人がついてくるんです。
でも、若い方が職場でコレをやると、たぶん自分が損をするんですね。
上司やお客さんに自分の意見を言って評価評論をしても、逆に「こいつはワガママで自分勝手なやつだ」って思われちゃうんです。
じゃぁ、相手を評価評論をしても、こういう風に思われないためにはどうすればいいか?というと、結果を出すしかないんですね。
営業職なら、月の売上(つまり数字)を上げる事なんです。
わたしは、デザイナーですしマーケティングもやるんですけども、お客さんが求めるデザインをちゃんと作れるんですね。
ネット通販の販売促進とか、お客さんが求めるアドバスもちゃんと出来るんです。
だから、ちゃんと結果を出せる人間は、ある程度評価評論をしてもいいというか、逆に、物事を的確に評価評論出来ないといけないんですね。
でも、何も結果を出せなくて社会的地位もない人が、評価評論をするとどうなるか?というと、それはもう、飲み屋で野球中継見ながら、酒のんで選手を罵倒しているオッサンと同じなんですよ。
飲み屋で文句言ってるだけのオッサンになってませんか?
わたしは子供の頃、すごく不思議で理解できなかったことがあるんです。
野球中継もそうですし、たとえばオリンピックとかでも、結果を出せなかった選手に対して文句を言う酔っぱらいのオッサンとかいるじゃないですか?
あとは、政治家に対しても凄く文句を言う人いるんですけども、「じゃぁ、文句を言うなら、あなたかわりにやってみてよ」って、わたしは、いつもそう感じてたんですね。
野球選手にしてもオリンピックの選手にしても、凄い努力もしているわけですし、たとえ勝てなくても凄く立派なんですよね。
そんな人に、文句を言える神経が理解できなかったんです。
今だと、政治家をボロクソに言う人も多いと思うんですけども、でも、「あなた、そんなに文句言うなら、かわりに政治家になってよ〜」って言っても、当然無理なんですよね?
もちろん、わたしも政治家なんて、絶対に無理なんですよ。
だから、わたしのSNSとか見てもらってる方なら解ると思いますけども、わたしは、政治とか、あとは最近だと「コロナウィルスの話題」とか、こういった時事ネタには一切興味が無いですし、触れないようにしてるんです。
時事ネタをやって「誰が悪い彼が悪い」と評価評論をするくらいなら、その前に自分が出来ることを考えたほうがいいんですね。
評価評論という否定の観念で動くよりも、「自分なら何が出来るだろうか?」という、こういった「肯定的な思考」で動いたほうがいいとわたしは思うんです。
といっても、「じゃぁどうすりゃいいの?」って聞かれると、普通の人は解らないんですよ。
でも、改善策が解らないんだったら、もう、そのことに対して、いちいち否定をしない事なんですね。
もちろん、わたし自身も、大きな社会問題に対しての改善策なんて良くわからないんですね。
だから、わたしは否定もしないし、文句も言わないんです。
でも、わたしの場合は、文句は言わないですが、その問題に対する募金箱が役所においてあったら、ただ黙って募金をするようにしてるんです。
ちなみに、わたしの募金は1回1万円って決めてるんです。
こないだも、役所に行ったら台風何号だったか忘れましたが、募金箱が置いてあったんで1万円入れてきたんですね。
つまり、「大きな社会問題が起きて、それをメディアが拡散して、それをSNSでシェアして、皆んなが言いたいことを言い合って評価評論をしあって、結果的に、何が生まれるんですか?」という事なんです。
評価評論をしあっても、ネガティブなエネルギーが増えるだけなんです。
これは、ネットだけじゃなくて実社会でも同じで、結構多くの方は「自分の意見を言う」という何気ない行為で、自分の評価を下げちゃってるんです。
あなたが評価評論をすることによって、もしかしたら、相手を傷つけたりしてるかもしれませんし、上司から「こいつは駄目だな」って、思われてるかもしれないんですね。
人や物事をジャッジする「評価評論をする」というのは、本当に気をつけて、よく考えてから発言しないと、自分が損をしますよよ。って事なんですね。
先程は、政治家の例を出しましたが・・・
もちろん、「悪徳な政治家の所業を、見過ごして放置すれば良い」というワケではないんです。
こんな場合は、ちゃんと自分の意見をしっかり定めて、政治家の事務所に電話するなり、メールするなり、手紙を送るなり・・・やれることはあるハズなんですよね。
でも、SNSで文句を言うのは「あなたがやれること」では無いんです。
もちろん、飲み屋で同僚と酒飲みながら、政治家の文句や悪口をいうのも、あなたが出来ることではないんです。
問題を肯定的に解決しようと考えるなら、たとえば、自分でYoutubeチャンネルを解説して持論を展開するとか、ブログを書いて自分の意見を公開するとか・・・最低限、こういった行動を取るべきなんですね。
こういった「行動」を取りもしないで、人のSNSに便乗して「ただ文句を言うだけの人」というのは、飲み屋で酔っ払ってナイター中継観ながら選手に文句言ってるオッサンと同じですよ!という事なんです。
スポンサーリンク
それでもジャッジしたくなったら、どうすればいい?
では、どうしても自分の意見を言いたい時や、人から「あなたはこの事に関してどう思いますか?」と聞かれた時・・・そんな時は「どう答えればいいか?」というコツをシェアしますね。
(1)スルーする
ひとつめは、やっぱり、もうとにかくジャッジしない事を徹底するんですね(笑
たとえば、Youtubeで例えますと、わたしの動画を観て「これは自分には合わないな」と思ったら、すぐにブラウザを閉じて、もう観なければいいんです(*´ω`*)
別に、批判をコメントを書いてもいいですけども、批判をすると言うことは、「自分は、こういう場で批判をすることによって、自分の自己評価を保とうとしているんだ」という、こういった行動原理が働いていることに自分で気づいたほうがいいんです。
実際、私みたいに、いつも自信満々で自己評価が高い人間というのは、ネットで批判をするとかなんてしないんです。
なぜなら、そんなことをする必要が無いからなんですね。
でも、わたしも若い頃は、ネットで相手を評価評論するような書き込みとかもしてたんですね。
昔はBBS(掲示板)が主流の時代だったんですけども、若い頃の私は、自分に自信がなくて実力もなかったから、相手を評価評論することで、自分をマウンティングしたりとかした事もあったんですよ。
でも、自分に自信があって、ちゃんと自分を自己評価できていると、もうそんな事しなくなるんです。
マウンティングのために評価評論をしたところで、別に自分の実力が上がるわけでもないですし、もっと言うと、それで自分が幸せになることは絶対に無いんです。
どちらかというと、もやもやが残って、不幸になるだけなんですね。
だったら、マウントの為の評価評論なんて、最初からしないほうがいいんです。
(2)相手に合わせる
ジャッジとか評価評論をせずに、「相手にあわせる」という事をすれば、トゲが立たないんですね。
これは、とくに職場とかの人間関係で、利害関係がある場合は、そうしたほうがいいんですよ。
たとえば、サラリーマンの人が、上司から「君はどう思う?」って聞かれたら、普通は上司が好きそうな答えを言うもんなんですね。
上司が「左!」と言ったら、「わたしも左だと思います〜!」って答えたほうがいいんです(笑
この時に、「本当は右だと思うんだけども、ここは譲れないんだよね〜っ」と、心の中で思っている時に、上司から「君も左だと思うよね?」と聞かれたら、そんな時は、「その問題は、わたしには深すぎて、ちょっと判断できません〜!」と誤魔化せばいいんです(笑
ただ、この話を聞いて、「わたしは、上司に合わせたくないです!」、「そんなん無理です〜!」と思うかもしれないんですけども、会社員というのは、基本的にはこうなんですよ。
これが嫌なら、会社辞めて起業すればいいんですね。
起業が出来ないなら、もう、上司に合わせるしか無いんですよ。
ちなみに、「わたしの場合はどうするか?」というと、仮に、お客さんが「NORIさん、これは右ですよね〜」とか言ってきても、「違いますよ〜左ですよ!」って、わたしはスパーンと言えるんですね。
何故かと言うと、こうやってスパッと自分の意見が言えるのは、わたしに実力があって、ちゃんと結果も出せるからなんですね。
実力があって、ちゃんと結果も出せる自信があるなら、バシバシ評価評論しても、それで困ったことにはならないんですよ。
(3)ジャッジを笑いに変える
他には、「笑いに変える」なんてテクニックもあるんですよ(笑
たとえば、あなたが否定の観念を持っている人やモノがあるとしますね。
「わたしは、あの人の気がきかないところが駄目だと思います〜」とか、「わたしなら、あの場であんな事を絶対に言わないし、言うべきじゃないと思います〜」とか・・・
こんな感じに、人を評価評論する場面が、あるとしますね。
でも、こんな時に、ちょっとだけ言葉を変えて・・・
「わたしは、あの人の、気が利かないところが、バカっぽくて憎めないんです〜」
「わたしなら、あの場で、あんなバカっぽいこと言えないし、ああいう人は、面白くて貴重な存在ですよね〜」と・・・
こんな感じ言えば、これも相手を評価評論していることには違いないんですけども、でも、ちょっとソフトになるんですね。
つまり、言葉に笑いを入れる事によって、相手に対するジャッジも「許せるジャッジ」になる場合もあるんですね。
この話は、特に男の人なら共感いただけると思うんですけども・・・
男同士の友達の会話って、結構、相手を馬鹿にし合ったりとかする会話が多いんですよね。
わたしも、昔からの友人とかには、「お前、ほんま変態なぁ〜アホちゃうか〜」「死ねばいいのに〜」ってヘーキで言うんですね(笑
向こうも、「お前も、ほんまアホやな〜、サル顔しやがって〜」って、ヘーキで言うですよ(笑
これは別に仲が悪いわけじゃなくて、めっちゃくちゃ仲がいいからこんな感じなんですけども、「ジャッジに笑いを入れる」ってのは、イメージ的にはこんな感じなんです。
ただフツーに評価評論をすると、その人は相手にすご〜〜く嫌な感じを与えちゃうんです。
でも、ちょっと笑いを入れると、周りの皆んなも笑うから、それがソフトになるんですね。
まぁ、こういったテクニックというのも、結局は相手をジャッジていることには変わりないんですけども、場面によって使えたりするんで、いいんじゃないかな?なんて思いました。
最後に・・・
というわけで、今日は「ジャッジをしない生き方のススメ」というお題で話してみました。
今日もご視聴頂き、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした。
関連記事
→人はなぜ批判をするのか? 批判の仕組み
スポンサーリンク
Youtube動画はこちら
-
前の記事
捨てるから手に入る!! 欲しい物を手に入れる意外な方法 2020.02.08
-
次の記事
スピリチュアルでビジネスをするのはいけない事なの? 2020.02.24