先祖供養・お墓参りをしないと祟りはあるの⁉ 供養やお墓参りが大切な理由

先祖供養・お墓参りをしないと祟りはあるの⁉ 供養やお墓参りが大切な理由




※このブログは2020.11.17にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

今日は、「お墓や先祖供養は本当に必要なのか?」というお話をしますね(*´ω`*)ノ

まずは、今回頂いた質問を紹介いたします・・・

Noriさんに巡り合えて、とてもとてもラッキーで感謝です。
私は、親の供養、特に位牌に悩んでいます。
私も、亡くなった親も無宗教ですが、父兄の位牌は神式です。
私は何故か位牌に思い入れがなく、昨年死去した母の位牌を作らず、小さな骨を入れたオルゴールと写真を居間に置いて、花は絶やさず、毎日遺影を見て温かい気持ちになってます。
骨壺は埋葬し、墓参りは好きで頻繁に行ってます。
仏教では位牌を33年経てばまつり捨てという考えで処分してもよいそうですが、まだ父兄のは処分せず母の部屋の仏壇の中です。
ですが私は、仏壇、位牌に関心が薄く扉を閉じたままです。
霊障関係ないと思いたいですが2年前と先日転倒し怪我をしました。
Noriさんに心配はいけないと教わっていてお恥ずかしいですが、Noriさんは位牌の取り扱いをどう思われますか?
私は、供養は遺族の思うかたちでよいと思うのですが、いかがお考えでしょうか?
YouTubeでも供養位牌や墓参に関しての考え方を取り上げて戴ければとてもとても助かります。
どうぞよろしくお願いいたします。
これからの発信も心待ちにしております。

昔、心霊ブームが流行った頃によく言われていた事として、たとえば「先祖のお墓参りをしないと祟りがある」とか、「亡くなられた方はお葬式をしてあげてあげないと成仏できない」とか、こんな事を言う方も居たものです。

しかし、そんな事はありません。

だから、この方の場合も「転んで怪我した」という事ですが、それは偶然です(笑

「祟り」とかは、基本的には無いのです。

とは言っても、わたし自身、お墓参りや先祖供養は大切だと思っています。

それでは、その理由をお話していきますね・・・

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供養しないと祟りがあるとか成仏できないというのは迷信⁉

先祖供養やお墓参りは大切な事だと思いますが、ただ、その理由は、亡くなられた方のためではありません。

簡単に言うと「自分のために大切」なのです。

これについては、順を追って話していきますが・・・

以前、考古学者の手によって、旧人類の骨が穴に埋められている現場が発掘されたそうですが、骨の上には「お花」が置いてあった痕跡が見つかったそうです。

つまり、亡くなった人を埋葬するという習慣は、〇〇原人とか呼ばれる「原始人」の頃からあったそうなのです。

とは言っても、亡くなられた方100人中100人全員が、ちゃんと人の手によって丁寧に埋葬されるのか?と言うと、そんな事はありません。

無くなった人を埋葬するという風習は、現代になって一般化しては来ましたが、それでも、戦国時代なんて、そっこら中で侍が刀で切り合いをしていたわけですし、誰にも知られること無く野垂れ死にする人もゴロゴロ居たわけです。

これは日本に限らず、世界でも同じでしょう。

誰にも看取られずに亡くなり、遺体も見つからないなんて事は、昔は普通にあった事です。

それが、社会システムがキッチリ出来上がっていくことによって、「亡くなられた方は葬儀を上げて埋葬しよう!」という事が一般的になりました。

キリスト教では土葬ですし、仏教では火葬をしよう!ということになっておりますが、それぞれの宗教によって微妙に方法は違えど、「死者を供養しよう」とか、「死者を弔おう」という習慣ができたワケです。

今現代でも、例えば、震災等の大きな災害により沢山の方が命を落とすような事はありますが、中には御遺体が見つからないままの方もいらっしゃります。

では、その方たちは、遺体が見つからないから、埋葬ができないから、成仏できないのか?と言うと、そんなワケないのです。

成仏できるかどうかは?というのは、その人次第です。

魂は、この世の物質的価値観に基づく「執着心」を手放すことが出来れば、「すっ」とあの世に還れます。

では、こういった、亡くなられた方に対して行う色んな宗教的な「習わし」というのは、一体誰のためにやるのでしょうか?

葬式というものは、何故やるのでしょうか?

なぜ、お墓を作ったり、位牌を作ったり、仏壇にお参りしたり、そういう事をするのか?と言うと・・・

これらは全部、今生き残った人達のためにやるのです

 

物質的なモノが、霊的存在に影響を与えることはない

亡くなられた人にとっては、ぶっちゃけ、お墓も、位牌も、仏壇も・・・もう、どうでもいいのです(笑

あちらの世界は高次元な世界なので、三次元的な「物質的なもの」は、もう意味がないのです。

だから、死んだお爺ちゃんが上から見ていて、「ばかやろう!俺の墓たまには掃除しに来いよ!」・・・とかは思わないのです(笑

仮に、そういう事をお爺ちゃんが言ってきたとしたら、お爺ちゃんは、まだこちらの世界に居る(成仏していない)ということになります。

そして、亡くなられた方が成仏出来ていなくて、その方が強い執着心を持ったままでいると、その想念が「霊障」の様な現象を引き起こす事はある様です。

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もしも仮に「お墓が無いと成仏できない」と言う論法が正しいのなら、今頃世界中は、成仏できない幽霊だらけになってしまいます。

仮に、亡くなられたお爺ちゃんが「俺の位牌が無いじゃないか!」と怒っているのだとしたら、そんな場合は「あの世に還れていない」という事になりますが、ただ、そんな場合も「位牌が無いという物質的な事」に対して怒っているのではないのです。

人は、肉体を脱ぎ捨てると「周りの人が自分をどう思っているのか?」というのが、全部筒抜けになってしまいます。

だから、人の考えが全部解っちゃうから「ああ、自分は家族から好かれていなかったんだ・・・」と、悲しい気持ちになって、それが心残りで成仏できないのです。

つまり、位牌やお墓などの「モノが在るか無いか?」が重要ではないのです。

よく、心霊スポットとかで、「地縛霊の祟りを鎮めるために祠を作ったら霊が静まった」という話も聞きますが、あれは別に、祠自体に地縛霊を鎮める力があるワケではなく、祠を作る事によって皆の気持ち(想念)が動いたから、その想念を霊が感じ取って鎮まった(成仏した)という事なのです。

あくまでも、「物質的なもの」に霊の行き先を決める効力があるワケではないのです。

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葬儀もお墓も、残された人たちの為にある

この世はRPGのゲームみたいなもんだよ〜という話しは、何度かお伝えしていますが、ゲームをクリアしてコントローラーを置き、本来の世界(つまり霊界)に戻ってきたら、ゲームの中の世界の出来事は、もう過ぎた思い出になるのです。

自分が既にクリアしちゃったゲームの中で、自分のお墓がちゃんと定期的に掃除されているか?とか、宗教の厳格な決まりに基づいて自分を供養をしているかどうか?なんて、もう、どっちでもいい事なのです。

だから、たとえばの話、死んだお爺ちゃんの葬式代やお墓の代金を息子がケチりまくって、仏壇も買わなかったとしても、そんな事で祟りがあるとか、あの世のおじいちゃんが悲しむとかはありません。

あの世のお爺ちゃんに届くのは、「生きている人の気持ち」だけです。

だから、「お爺ちゃん、わたしはこうして何時も元気にしてるよ☆」と普段から思ってさえいれば、位牌もお墓も仏壇も無くても良いのです

もちろん、豪華なお葬式がやりたいのならやればいいですし、お爺ちゃんの為に立派なお墓を建てたいなら建てれば良いでしょう。

しかしそれはあくまでも、亡くなられた方の為ではなく「自分がそうしたいなら、そうしたほうがいい」というだけの話です。

ただ、仏教などの教えは、やっぱり良く上手く出来ていて、故人に対して「だらしがない」のは推奨されていません。

人は、ダラシがないと、ダラシがない本人が損をします。

これはどういう事か?と言いますと、人間というのは、ある程度は自分を律していた方が良くて、たとえば、自分の部屋にしてもトイレにしても、もちろんお墓にしても、汚いよりは綺麗な方が良いのです。

何故かと言うと、その方が、自分がいい気分になれるから、だから綺麗な方がいいのです。

つまりは、その方が自分の波動が高くなるということです。

人間の本質というのは、大雑把に表現すると、やっぱり「愛」です。

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愛とは、また説明するのが難しいのですが、「相手を尊重する気持ち」も、愛に含まれると思います。

人によっては、亡くなった方をすぐに忘れちゃう場合もあるでしょう。

そんな場合、亡くなられた方はどういう人だったか?というと、もしかしたら、生前にあまり人の為になるような功績を残してこなかった方ったかもしれません。

だからといって、「あいつは生前から大した事が無い奴だったから死んでも関係ねーや!」と思ってしまうのは、やっぱり愛がないと思うのです。

生前に少なからず関わりを持った相手ならば、少なからず「尊重」をしてあげたほうがいいのでは?と思います。

かと言って、亡くなられた方に対して、亡くなった事を悔やみ、その人のことをずっと思い続けるのは、今度は「執着」になってしまいます。

よくありがちな、「なんで私を残して、あなただけ逝っちゃうのよ〜!」と嘆くのは、これは、残された人の「執着心」なのです。

こんな風に、執着心を持たれたまま死ぬと、執着の想念が、亡くなられた方の成仏の妨げになることもある様です。

だから、故人をサラッと忘れちゃうのも、その人を尊重していないの?という事になりますし、だからといって、あまりにもその人のことを思い続けるのも、執着心が強くなってしまいます。

つまり、バランスが大事なのです☆

というワケで、そのへんのバランスを上手いこと取るために、故人を直ぐに忘れちゃうのでもなく、尚且、亡くなった方に対して執着をしない程度にも覚えていて(尊重して)あげるために、「月に一回はお墓参りをしましょうね!」と言ったような決まり事が作ってあるのだと、わたしは思うのです

仏壇にしても、位牌にしても、お墓にしても、全部そうです。

亡くなられた方を尊重し、ある程度の期間は皆んなで亡くなられた方の事を思っていてあげて、尚且、その方の死に執着をしないようにするために、色んな事を「決めごと」として設けてあるのだと思います。

つまり、お墓にしても、位牌にしても、宗教的な様々な決めごとにしても、今この世界で生きている、あなたの心を穏やかにするためにあるのだ!という事です

死んだ人からすれば、別に、自分のお墓があろうが無かろうが、どっちでもいいのです(笑

 

故人に対する「気持ち」があればそれで十分

今回ご質問頂いた方は「位牌に興味が無い」ということですが、実はわたしもそうで、ウチにも位牌はありません。

実家に行けば仏壇はりますが、ただ、実家は帰りたくないので(笑)、そのかわりに、お墓参りには定期的に行っています

ただ、うちの場合はお墓が近いので直ぐ行けるから良いのですが、中には遠方にお墓がある方も居ると思いますし、それだと月イチとかの頻度では行けないと思います。

だから、お墓参りなんて、自分が行きたいと思う時に、自分のペースで行けばいいのです☆

死んだ人の魂がお墓に居るわけではないというのは、皆さんもご存知かと思いますが、お墓にしても、位牌にしても、仏壇にしても、ただのシンボルに過ぎません。

わたしたちは物質世界で生きているので、物質的な解りやすいシンボルがあった方が、自分の想念を出しやすいのです。

想念を出すという事は、つまりは「お祈りする」ということなのですが、こちらの出す想念なんて、あちらの世界にいるお爺ちゃんには、全部、筒抜けなのです。

だから、別にお墓に行けなかったら行かなくても良いですし、それよりも、あの世に居るお爺ちゃんに向かって、「わたしは、この世界で、もうちょっと楽しく遊んでいくから、上から見てて〜ね」といった感じにで(笑)思っていれば良いのです。

それと、お墓とか仏壇に向かって「お願い事」をする方も稀に居るみたいですが、それはあまり意味がないから辞めた方がいいかな?と思います。

何故かと言うと、人が肉体を脱ぎ捨てたからと言って、いきなり願いを叶えられるような超能力が身につくわけじゃないからです。

死んだお爺ちゃんが生前に普通の人だったら、死んでも普通の人のままなのです(笑

仏壇に向かって「何々してくださいね☆」とお願い事しても、それを聞いた死んだお爺ちゃんは、そんな事言われても困っちゃうワケです。

というわけで、これまでのお話からも伝わりますように、今回ご質問いただきましたこの方は、骨を入れたオルゴールと写真を居間に置いて、花は絶やさず毎日遺影を見て温かい気持ちになってます・・・という事なのですけども、これでもう十分なのですよ☆

こうやって「思う気持ち」は、あの世にいるお母さんにちゃんと通じてますし、それで十分なのですね(*´ω`*)ノ

だから、転んで怪我をしたというのも、ただの偶然です(笑

今日もご視聴いただき、ありがとうございました。

スピリチュアリストのNORIでした。

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