次元の入れ子構造と並行宇宙〜願望実現のパラドックス〜

次元の入れ子構造と並行宇宙〜願望実現のパラドックス〜




※このブログは2022.1.14にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちはNORIさんです(*´∀`*)ノ

今日もご視聴いただき、ありがとうございます☆

今日は、スピの界隈でよく話されている「次元」や「平行宇宙」の仕組み、「願望実現のパラドックス」について、いろいろ話そうと思います!

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あなたが見ている世界は、全て思考が現実化した結果

ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という話も、シークレットの「引き寄せの法則」の話も、たしかにその通りだと言えます☆

これらは別にスピ的な不思議な話でもなく、言ってみれば、わたしたちが今見ている世界というのは、全て「思考が現実化した世界」です(笑

たとえば、「二重スリット実験」で言われているような「観察をすることにより波動は粒子に振る舞いを変える」と言う話は、まさに、スピの界隈で言われている「思考は現実化する」というメカニズムの科学的な解釈だと言えるでしょう☆

つまり、一人一人が見ている世界は、一人一人の脳の演算によって、一人一人の意識に映し出されているイリュージョンです。

そんなワケで、この世界は仮想現実だとも言えますし、人間が100人居たら、皆んなそれぞれ100通りの世界を見ているワケです。

各々が見ている世界というのは「各々が作り出している」と言えるのですが、では何故皆んな、自分の思うような世界を作り出せない(つまり願望実現出来ない)のでしょうか?

その理由を説明すると、ここに何とも不思議なパラドックスが隠れているからなのです☆

「思考を変えると現実が変わる」というのは確かにそのとおりですが、しかし、この話はあくまでも「思考が現実化するプロセス」の話をしているだけであり、「宇宙の全体構造」まで踏み込んで話をしているワケではありません。

本当のことを言うと、わたしたちには思考や感情をコントロールする自由意志はなく、わたしたちの意識に昇ってくるあらゆる思考や感情は、意識の中に「勝手」に湧いてきているだけです

それでは、自由意志を持たないわたしたちが、「引き寄せ」や「願望実現」のワークを試すことは無駄なのか?というと、決してそういうことではなく、むしろ、自分の意志を持って選択をしたり、決断をすることは凄く大事だと思うのです(`・ω・´)ゞ

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時空は幻想

スピの界隈でよく言われている「今この瞬間だけしかない」という話は本当であり、この宇宙には「過去や未来」は存在せず「今この瞬間」しかありません☆

たとえば、高次な次元には、一人の人間の一生分の人生プロットがあり、その人生プロットを「リールに巻かれた映画のフィルム」だと想像してみてください。

そして、低次な次元に居るわたしたちは、高次な次元に存在する映画のフィルムを、1コマづつ再生することしか出来ないのです。

何故?かというと、情報の受信機として機能している人間の脳は、高次に存在する莫大な情報量を一度に再生する性能を備えていないからです(笑

ちなみに、フィルムの1コマの長さは、時間の最小単位である「プランク時間」なのではないか?と、わたしは考えています。

そして、わたしたちは、映画館のスクリーンに映しだされた映像の方を観て「これが現実だ!」と信じこんでいる状態なのです。

しかし、スクリーンに映しだされた映像は、あくまでも映し出された光の陰影でしかなく、本当の自分は、スクリーンに映った映像を観客席で見ている人のほうなのです(*´∀`*)ノ

このときに、映画を観ている本当の自分が、「この映画めっちゃ怖いからもう観たくない!」なんて具合に、映画館から飛び出すことが出来たとしたら・・・実は、これがスピ的な目覚めの第一歩だと言えます☆

更には、映写室に行って、映写機にセットされたフィルムのリールを見たときに、「なんだ!この世界は幻想だったのか!」という事に気づくことも出来るワケであり、「実は、時間も空間も幻想だった!」ということに気づけるワケです。

この時に、「映写機がフィルムの映像をスクリーンに投影しているプロセス」を、わたしたちの科学では「二重スリットの実験」で得られる観測結果として認知しているのでしょう。

となると、仏教で言われる因果(原因と結果)の話も、時間そのものが幻想であるワケなので、「どっちが因で、どっちが果か?」という事自体が問えなくなってくるワケです(*´∀`*)

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並行宇宙と現実創造のメカニズム

実は、高次な次元には、映画のフィルムが無数にあるのだと言えますし、更に言うと、フィルムは1本のリールに巻かれているワケではなく、1コマ1コマがバラバラに存在しています。

というワケで、「起きる出来事は、既に事象としては存在している!(すべて決まっている)」と言えるワケです

ただ、わたしたちは、スクリーンに映し出された映像の方を現実だと信じています。

映画の主人公は、一見すると、自分の意志で選択し行動しているように思っていますが、本当は、1本に繋がった映像が自動で再生されているだけです。

ただ、映画の主人公が、映画を見ている観客まで視点を上げれば、並行宇宙に無数に存在する違うフィルムのコマを途中に入れ込んだり、気に入らないフイルムを切り取ったりと、自由に編集できそうな気がします。

つまり、高次な視点である「観客の視点」になることが出来れば、自由意志により人生を思い通りに変えられる様な気もするのですが・・・しかし、それも無理なのです。

何故なら、映画館の中には他のお客さんも一杯いるからです(笑

いくら高次な視点(観客の視点)になれたとしても、映画館には他のお客さんもいるので、勝手に映画のストーリーを入れ替えるなんてことをしたら、皆んなから反感を喰らいます(笑

では、映画のフィルムのコマをあれこれ切り貼りして、ストーリーを変えたい(現実を変えたい)と思ったら、どうすればよいのか?というと、映画館にいる他のお客さん全員の意見を認め合い、お互いの意見を尊重する必要が出てくるワケです。

仮に、「パンエミックが流行する」というストーリーの映画を皆で見ているとしたら、映画館の中のお客さん全員が「パンデミックを終わらせるストーリーに変更しよう!」と一致団結すれば、映画のストーリーを変えることが出来ます。

つまり、分離した「個」としての意識には自由意志はありませんが、皆が許し合い、愛に目覚めることで、集合意識としての自由意志は発動できるというワケです

簡単に言うと、より多くの人が「未来はきっと良くなる!」と信じ込むことができれば、本当に未来は良くなるのです☆

反対に、マスメディア等に煽られて、「未来は絶望的だ!」なんて多くの人が思い込むことによって、そっちのストーリーに向かってしまうのです。

この世界を作っているのは「皆の集合意識の総和」です

つまり、皆で承認し合い、許し合う事ができれば、世界は意外と簡単に変えられるワケであり、つまりは、「愛があれば世界は変わる☆」という結論になるのです☆(*´∀`*)ノ

次元は無限に続く入れ子構造!?

先程、「わたしたちはスクリーンに映し出されてた映像を現実だと信じていて、実は、映像を観ている観客の方が本当の自分である☆」というお話をしましたが・・・

しかし実は、映画館で映画を観ている観客たちも、スクリーンに映し出された映画のストーリーだったとしたら、どうでしょうか?

わたしは、こういった入れ子構造が無限に続いていると考えていて、これがつまり「次元の入れ子構造」だと思うのです☆

たとえば、ある人が何かの拍子にちょっと目覚めたことにより、「自分が見ている現象世界はスクリーンに映し出されたイリュージョンだった!」という気づきを得るとします。

つまりその人は、映画の主人公から、その主人公を観ている観客の視点に「次元が上がった」ということです。

でも実は、その映画館で上映されている映画を見ている全ての観客も、そういった一連の映画のストーリーの中の存在であり、更に上の次元には、その映画を楽しんでいる観客達がいるワケです。

わたしの仮説としては、こういった「次元の入れ子構造」が無限に続いていると思うのです。

というワケで、スピの界隈では、よく「宇宙には11次元まである!」なんて言われていますし、数学的にも「次元は11次元までは存在する」とは言われてますが、わたしが思うに、次元は無限に存在していると思うのです

となると、分離した個としての意識には自由意志は存在しませんが、ただ、皆が愛に目覚めることによって、集合意識としての自由意志は発揮出来る・・・という論法も、これもあくまで、フォーカスしている次元内で通用する話であり、更に意識の次元が上がると、そういった一連のストーリーを観ている観客たちが更に居ることが解り、「やっぱり自由意志はないのかぁ」なんて事になるワケです。

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無限に続く次元のパラドックス

知的生命体の進化のプロセスを考えると、どんどんと「次元上昇」していくことが常なのでしょう。

しかし、次元の入れ子構造が無数に続いているのだとしたら、「次元とは何処までも続くパラドックス」ということになります。

そして、次元が無限に続くのだとしたら、もう「次元が高いことが優れている」とか、「次元が低いことが劣っている」なんて事を、測る基準自体が存在しないということになります。

というわけで、次元が高いことが良いことでもなければ、反対に、次元が低いことが残念なことでもなく、そもそも次元は「高い低い」や「優劣」で測れるようなものではないのです

更には、先ほどお話させていただいた、「自由意志は存在しないけど、集合意識になれば自由意志は発揮できる」という論法も、無限に続くパラドックスの話になってしまいます。

というワケで、わたしたちの理解が及ぶ範囲で考えるならば、結局のところ「自由意志によって物事を選択できる」と捉えたほうが良いですし、あらゆる決断や選択も自分の意志で行えば良い☆という認識でOKだと思うのです。

たとえば、夢や願望がある方が、「自分には自由意志は無いんだ!」と思うと、それはすなわち「夢は叶えられない」という結論に至ってしまうかもしれません。

しかし先程もお伝えした通り、そもそも時間という概念自体が幻想ですので、ここにも「因果関係のパラドックス」があるワケです。

つまり、「夢が叶えられない」と思うから、「夢が叶えれない現実を自分の意識によって創造する」ということになります。

逆に、「人生は全部シナリオ通りなんだ!」と思えば、「自分の人生は良い方向へ進むしかない!」なんて前向きな考えを持つ事も出来ます。

そして、そう思えるからこそ、そういう現実が創られるワケです☆

最後に・・・

この様に、宇宙には「時間(時空)」にも「次元」にもパラドックスが組み込まれているので、結局の所、「自由意志があるのかないのか?」という話も、どちらでも好きなように考えればOK!ということになるワケです(笑

これは、フォーカスする視点によって捉え方が変わるだけです。

たとえば、シークレットの「引き寄せの法則」で言われているようなテクニックの話というのは、映写機がフィルムの映像をスクリーンに映すプロセスの話をしてるだけです。

イエスを始めとした霊能者は、1本のリールに巻かれてる映画のフィルムの「別のコマ」を垣間見るからこそ出来たからこそ、未来を予言出来たのです。

お釈迦様の残した「色即是空」という言葉は、「映画館の中には映写機とスクリーンがあり、映し出された映像を見ている観客がいる」という、宇宙全体の構造の説明を話しているワケです。

つまり、あらゆるスピリチュアルのマスターたちの話は、宇宙の仕組みのどの部分について話しているか?だけであり、結局は皆んな同じこと伝えていたのです☆

つまり、「群盲象を評す」なのですね♪

読んでいただき、ありがとうございました(*´∀`*)ノ

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