人生は、観念(思い込み)を手放していくゲームなのです

人生は、観念(思い込み)を手放していくゲームなのです




※このブログは2021.5.23にYoutubeにて動画公開した内容を、まとめたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

今日は、「思い込み(観念)を手放すことの大切さ」をお話ししますね☆

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人は「現象」を「思い込み」でジャッジする

わたしの動画やブログは、毎日色んな方が観てくださるのですが、同じ動画に対して「今回は神回でした!」と言ってくださる方も居る半面、「今回のお話は賛同できません!」と、やや否定的な意見をくださる方も居ます。

しかし、動画で話している内容は同じであり、聴いている方によって動画の話の内容が変わるワケではありません(当然ですが 笑)

つまり、この現象が、今日皆様にお伝えしたい「思い込み(観念)」のお話なのです。

この話は少々解りにくいかもしれないので、例え話をします・・・

たとえばわたしが、動画の中で「何処何処のお店のカレーライスが美味しいよ!」という話をするとします。

すると、「わたしも、あそこの店のカレーライス好きです!」と共感してくださる方と、「わたしは、あそこの店のカレーは好きじゃない!」と、共感できない方、この二手に意見が別れる様に思えますが・・・

実際は、まったく同じ内容の話を100人が聴いても、100人全員が違う感想を持つのです。

これは何故か?というと、人は各々、自分の中に「思い込み(固定観念)」を持っているからであり、各々が持つ観念は、人によって全て違うからです

たとえば、わたしは、二十歳くらいの頃、自分が将来的に幸せになっていくためには、まずは結婚をして、給料は最低◯◯円くらいもらって、仕事で活躍して、体も健康で、出来たらローンを組んでマイホームも建てて・・・と言ったような、一般的な「幸せのフォーマット」をなぞっていかなければ幸せになれないと思っていました。

しかし、普段からブログでも話しているとおり、幸せになるためには「条件」など必要ありませんし、若い頃の私は、「幸せの条件が存在する」と信じていたくらい未熟者でした(笑

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わたしたちは、常に「観念」に縛られており、あまりにも、観念に縛られて生きてきたので、観念に縛られていることすらにも気づいていませんん。

もしもあなたが、「観念」を全て捨てることが出来たなら、他人から何を言われても、どんな不幸な出来事に見舞われたとしても、心は、平静を保てるハズです。

つまり、本当に観念から開放されると、人から「ば〜〜か!」と言われても、「ええバカですよ?それが何か?」と、こんな感じの反応になるのです(笑

「ば〜〜か!」と言われて、怒りの感情が湧いてくるのは、自分の中に「わたしは人からバカにされるような人間であってはならない!」という観念があるからです。

旦那から「お前太ったな〜」と言われて落ち込むのは、自分の中に「太っている私は許せない」という観念があるからです。

つまり、相手に何かを言われて怒りの感情が湧いてきたり、悲しくなったり、落ち込んだり、もやもやしたりするのは、一見すると、相手の言葉が原因のような感じもするのですが、本当は、相手の言動は関係ないのです

自分が、どういう固定観念(思い込み)を持っているか?だけなのです。

 

観念を手放し、許す

子供には「観念が無い」と言えます。

固定観念は、人が成長し、いろんな情報や知識を頭に入れていくことによって形成されます。

この時に、大抵の場合、親の持っている観念が、そのまま子供にコピーされます

たとえば、わたしの親は、借金をするのが嫌いな人でした。

その結果、わたし自身も借金をすることに異様な恐怖感を感じるような性格に育ってしまい、今でも、車などを買うときも、ローンを組むことに恐怖心があるので、現金が貯まるまで待ってから買うようにしています。

人は、自分の観念を曲げられる様な情報に触れると、反射的に「イラッ」としたり、ムカついたりします。

というわけで、わたしたちが、もっと人生をラクに生きていこうと思ったら、こういった「固定観念」を、如何に手放していくことが出来るか?に、かかっているのです

これは簡単に言うと、「子供に戻っていく」という様なイメージであり、これが、人生をラクに生きるためのコツだと言えます。

しかし、わたしたちは、大人になるに連れて、常に学ぼうとします。

もちろん「学ぶ」ことは良いことですし、わたし自身も、新しい知識をどんどん仕入れたり、新しい情報を入手するのは大好きです。

しかし、新しい知識を仕入れれば仕入れるほど、人間は、観念を手放しにくくもなります。

だから、スピ系の方は、皆んなこぞって「手放すのが大事」と言っているわけです。

そして、「手放す」ということは、「許す」ということにも繋がってきます。

何故かと言うと、「観念を手放そう!手放そう!」と思っても、今度は、「観念をなかなか手放すことが出来ない、そんな自分を許せない!」というマインドになりがちだからです(笑

ここが、ある意味「思考の落とし穴」でもあるのです。

だから、こんな場合は、観念を手放なすことができない、そんな自分を許してあげれば良いのです(*´∀`*)

わたしたちが、この地球に転生してくる理由は、「楽しむため」であり、「人生はゲームみたいなもの♪」という話はよくお伝えしておりますが、しかし、この地球上では、人間が肉体を持って生まれ出てくると同時に、様々な観念を持つ様なシステムになってる様です。

だから、この人生というゲームは、ゲームをクリアしようと思えば思うほどクリアできないという、そんな厄介な仕組みになっています(笑

そんなわけで、この人生ゲームをクリアしようと思ったら、クリアしようと思わないことなのです(笑

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イライラの原因は「思い込み」

人生をラクに生きたいのなら、「感情はすべて自分の思い込みであり、自分は何の意味もないオカシナ観念に縛られているのだ」と考えたほうがいいでしょう。

この時に、「自分がどんな観念に縛られているのか?」は、意外と、周りの人が教えてくれます。

たとえば、近所の人に挨拶をして返事が返ってこないと、イラっとする方も多いかもしれませんが、こんな場合でも、わたしは1ミリも気になりません。

何故かというと、「挨拶したら返事を返すべきだ!」という観念は、私の中には無いからです(笑

しかし多くの場合で、「Aさんは挨拶をしても返事もしないから、無愛想で嫌な奴だ」と、相手をジャッジしてしまいがちです。

しかし、こういったジャッジも本当は間違いであり、正しくは、「Aさんは、挨拶をしても無視をする人」という事実があるだけです。

「挨拶をしないAさんは悪い人だ!」とか「無愛想な人だ!」というワケでなく、ただ「挨拶を返さないAさん」という事実があるだけなのです(笑

しかし、あなたの中に「挨拶をしたら返すべきである!」という観念があると、あなたから見ると、「挨拶をしない人はけしからん!」というジャッジに発展してしまうわけです。

つまり、外の現象に対して自分が持つ印象というのは、100%あなたの思い込みなのです

もしかしたら、相手は恥ずかしくて挨拶を返せないだけかもしれませんし、もしかしたら、耳が悪くて、あなたの「おはよう☆」という声が聞こえなかったのかもしれません。

この様に、「相手はきっと、こう考えているだろう」とか、「相手は、きっとこういう性格の人間だろう」というあなたの予想は、大抵は当たっていないと思った方が良いでしょう(笑

これらも全て、自分の中にある「観念」であり、わたしたちは、こういった様々な「観念」に縛られていているのです。

 

最後に・・

では、観念を完全に消すことは出来るのか?というと、それはおそらく無理だと思います。

何故なら、観念を完全に消し去ることが出来たら、そもそも、生まれてくる必要はないからです(笑

人が死んで、何故幽霊となってこの世をさまようのか?成仏できない霊がいるのか?というと、その原因も「観念」を捨てきれないからだとわたしは思います。

人は、知識や知恵をつけていくことによって、どんどん成長もしますが、同時に「観念」も強くなりがちです。

だから「手放していく」のは、すごく勇気がいるのです。

わたしは、小橋正観さんが好きで、今でもyoutubeで正観さんの公演の動画を観ることがあるのですが、若い頃の静観さんの動画は、ご本人も「わたしは生粋の唯物論者です」と話されている通り、話の内容や話し方も、とても理路整然としていて論理的です。

しかし、後半になればなるほど、ダジャレでお客さんを笑わしている割合が増えてきていると感じます(笑

つまり人は、知識や知恵を手放していくことにより悟りに近づいていくのではないか?と思うのです。

あらゆる観念を手放し、あらゆる事を許せるようになると、何を言われてもヘラヘラ笑ってられるようなりますし、何が起きても、平静でいられるようになります。

そして、こんなことが、心から腑に落ちて解ってくると、生きることが本当にラクになるんではないか?と、わたしは思います。

今日もご視聴頂き、ありがとうございました!

スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)

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