イライラが一瞬で消える☆津留晃一さんから学んだ「無礼講」な生き方

イライラが一瞬で消える☆津留晃一さんから学んだ「無礼講」な生き方




※このブログは2021.6.6にYoutubeにて動画公開した内容を、まとめたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

生きていれば、時にイラッとしたり、ムカついたり、色々あると思いますが・・・そんな中でも、ほんの少し視点を変えるだけでイライラを消すことができる考え方を、皆様にご紹介しますね☆

それが今日のテーマである、津留晃一さんから学んだ「無礼講」のお話です(*´∀`*)ノ

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全て自分が許可しているから起きている!?

「無礼講」という言葉は、本来「上下関係や身分を無視した宴会」という意味なのですが・・・

ただ、今日のお話では、「無礼講」=「全て自分が許可をしている」という意味合いで聴いていただけると伝わりやすいのかな?と思います。

たとえば、皆様の中にも、毎朝の通勤ラッシュで大変な思いをされている方も居ることでしょう。

こんな場合、大抵は「何だよ、この満員電車わ〜!」「どうにかしてくれ〜!」と、イライラしてしまうことでしょう。

しかし、津留晃一さんは一味違います。

仮に、満員電車に遭遇したとしても・・・

「よいよい☆今日は無礼講じゃ(*´∀`*)ノ」

「満員電車は、わたしが許すから、君たち存分に押しくら饅頭を楽しめば良いぞ〜(*´∀`*)ノ」

と、こんな感じに考えることをオススメしています。

更には、電車が事故で遅れるとします。

こんな場合でも、大抵は「何で遅れるんだよ!会議に間に合わねーじゃねーか(怒)」と、イライラしてしまうのが普通でしょう。

しかし、津留晃一さんは一味違います。

仮に、事故で電車が遅れたとしても・・・

「よいよい☆今日は無礼講だから、電車が遅れるもの、わたしが許す(*´∀`*)ノ」

「会議に遅刻するのも、わたしが許すから、遅れている間、のんびり瞑想でもしよう(*´∀`*)ノ」

と、こんな感じに考えることをオススメしています。

これは、つまりどういうことなのか?と言うと、「起きる出来事は、全て自分が許可したから起きている」と、捉えてましょう!という話なのです

つまり、自分が創造主になったつもりで、起きた現象を俯瞰して見てみましょう☆ということです(*´∀`*)ノ

 

ワンネスとノンディアリティ

津留晃一さんは、どちらかと言えば「ワンネス視点」での考え方を発信されてきた方です。

わたし自身もワンネスの視点が好きですので、「自分が神様なんだ☆」とか、「この宇宙には自分しか居ないんだ☆」という視点で物事を考えるのが好きだったりします。

しかし、少し前から「ノンデュアリティ」という考え方が流行っていて、今日の津留晃一さんのお話も、「ワンネス視点」と、「ノンデュアリティ視点」の両方から見てみると、解りやすいのではないか?と思います。

では、ワンネスと、ノンデュアリティはどう違うのでしょうか?

まず、精神世界の話をする場合、一般的な考え方として多くの方に認知されている事として、「この宇宙には、ひとつの命しか存在しない」という前提の考え方があります。

この時に、「ひとつしかない命」を、それを「自分」だと仮定し、「自分という定点」から、全体の命を見ればワンネスの視点になります。

しかし反対に、「ひとつしかない命」を、「命」という全体の視点で見ると、自分という存在が「居ない」ということになり、これがノンディアリティの考え方です。

ここで、ちょっと興味深い話を紹介しますと・・・

たとえば、あなたが「右手を上げよう!」と頭で考えて、「右手を上げる」という動作をするとします。

この時に、脳に電極を付けて調べると、「右手を上げよう!」という考えが意識として上ってくる0.2秒前に、既に脳からは、「右手を上げなさい」という信号が出ているそうなのです。

わたしたちは、一般的には、「心で思うから体が動く」と解釈しがちです。

つまり、まず心が、「右手を上げよう!」と考えて、次に脳が「右手を上げなさい!」という電気信号を手に送って、その結果として「右手が上がる」という様なイメージを持っているのではないでしょうか?

しかし脳科学によると、この順番が違っている様で、正しくは・・・

まず、脳が「右手を上げなさい!」という信号を出して、その結果として「右手が上がる」という現象が起き、その0.2秒後に「右手を上げたいなぁ〜」という考えが「意識」の上に上がってくる・・・という順番なのです。

つまり、脳が体に対して「カレーライスを食べなさい」という信号を送ったその後に、「カレーライスを食べよう(*´∀`*)ノ」という思いが意識に上がってくるのです。

わたしたちは、いろんな物理現象に対してイライラしたり、嬉しくなったりと言ったような様々な感情を持ちますが、実は、脳科学では、感情は、脳からの司令による体の反応の後に湧いてくるということなのです。

つまり、「◯◯をしたい!」という思いが現象の後に湧いてくるということは、「○○をしたい!」という思いが、現象に影響を与えることが出来ないということであり、これは、「わたしたちには自由意思は無い」という話になってしまうのです。

これが脳科学によるノンディアリティの証明であり、起きる現象は、宇宙の摂理や調和によって「ただ起きている」だけであって、そこに意味なんて無いのです

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現象は自分で起こしている?宇宙が起こしている?

実は、わたしの大好きな小林正観さんも、昔から「人生に起きることは、全部予定通りです」というお話を幾度となくされています。

つまり正観さんは、最初から、「人間には自由意志は無い」という立場で話されているのですね。

津留晃一さんの「無礼講」のお話は、ワンネスの視点、つまり自分が創造主であるという視点で観て、「起きることの全ては、わたし自身が起こしている」と考えるといいよ☆というお話です。

しかし反対に、ノンディアリティ的に、「起きることは全て勝手に起きている」「だから、ガタガタ騒いでもしょうがない(笑)から無礼講だと思えばいい」と捉えても、結果的には同じなのかな?と、わたしは思うのです。

このあたりは、どちらの解釈が自分にとってシックリくるのか?自分で自由に解釈しても良い部分だと、わたしは捉えています。

わたし自身は、今の時点ではワンネス的な考えが好きですし、「自分が創造主である」という視点で動画やブログで情報発信していますが、将来的には、ワンネスとノンデュアリティ、この2つをうまく統合して、皆さんに言葉でうまく伝えることができたら面白いのかな?と考えております。

わたしは、ちょうど去年の今頃、交通事故に巻き込まれました。

その時も、もちろん反射的に怒りの感情は出てしまいますし、この「反射」の部分は絶対にコントロールできない部分です。

しかし、いろいろと精神世界のことを学んでいたわたしは直ぐに気持ちを切り替えて、「起きることに、いちいち文句を言ってもしょうがないから、この事故も、自分が許したから起きただけなんだ!」と、考えることによって、直ぐに気持ちを落ち着かせることが出来たのを覚えています。

わたしは病気持ちであり、子供の頃から体が弱いです。

しかし、こんな場合でも、普通なら、いろんな治療を試したり、あれこれ試行錯誤をして病気を治そうとするかと思いますが、わたしは、今はそんなふうには考えておらず、「自分は病気にかかっている」という現実が、「ただあるだけなんだ」という視点で、自分を俯瞰して観る様にしています。

つまり、わたし自身が自分に許可をしたから、病気という現実が起きているだけであり、これも「無礼講」なのです(笑

もちろん、この考え方は、全ての人に受け入れられるとは思えませんし、「今の状況を何とかして変えたい!」と思う人のほうが、圧倒的に多いことでしょう。

そんなワケで、「引き寄せの法則」は昔から人気がありますし、「自由意志で願望実現できるよ!」というお話のほうが、多くの方に受け入れられるのですが、ただ、こういった精神的のお話の本当の理解も、おそらくあと10年位かけて、だんだんと変わってくる様に思えます。

というわけで、今日の「無礼講」のお話を、人生のヒントに役立てていただだけましたら幸いです。

今日もご視聴いただき、ありがとうございました!

スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ

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