精神世界の本質が受け入れられない理由☆自由意志もアナタも存在しない!?

精神世界の本質が受け入れられない理由☆自由意志もアナタも存在しない!?




※このブログは2022.2.22にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちは♪NORIさんです(*´∀`*)ノ

今日もご視聴いただき、ありがとうございます☆

今日は「精神世界の本当のお話」をしてみますね♪

スポンサーリンク



真実は自分の中だけに存在する!?

たとえ事実はまったく違っていたとしても、より沢山の人が「そうだ!」と信じていることが、世の中の常識となり、事実となります。

こういったことは過去何千年もずっと繰り返えさていることであり、たとえば解りやすいのは、わずか数百年前までは、地球の周りを太陽が回っていると皆が信じてたので、その時代においては天動説が真実だったのです。

当時、「いやいや、本当は太陽の周りを地球が公転してるんだよ!」と、いくら声高らかに叫んだとしても、多くの人に真実が届くことはありませんでした。

つまり、世の中の常識は、多くの人が「そうだ!」と信じこんでいることで形成されるワケであり、「事実がどうか?」は関係ないのです(笑

もっと言うと、人が100人いたら100通りの世界をそれぞれ見ているワケであり、各々が、自分が見てる世界を真実と定義しています。

というワケで、フラットアース説を信じる人にとっては、「地球は平ら」ということが真実になりますし、それはそれで悪いことでもありません(笑

そして、こういった「人の心理構造」を上手く利用して洗脳が行われているのも事実であり、また、精神世界やスピリチュアルの界隈においても、多くの人は「そうだ!」と信じていることで、精神世界やスピリチュアルの常識が作られているに過ぎないのです。

関連記事
洗脳のメカニズム☆なぜ洗脳の深みにハマってしまうのか?

悟ろうとするほど悟れないパラドックス

たとえば、精神世界の話というのは、何処まで行っても方便にしかならないのです。

何故かと言うと、まず、「言葉」で情報を伝達しようとしている時点で、精神世界の本質は例え話でしか伝えることが出来ないからです。

というワケで、スピリチュアルに興味がある方が、「悟りを開きたい!」「目覚めたい!」というモチベーションを持ち、スピリチュアルの本を読んで勉強すればするほど、実は、悟りからも目覚めからも離れていく・・・という逆のベクトルが働いてしまうのです。

何故かと言うと、言語を使って物事を理解しようとすると、左脳を使った論理的な理解をしようとしてしまうことになり、思考の方向性は、より具体性の方向へ向かうからです。

対して、「目覚め」や「悟り」や「次元上昇」の方向へ向かうためには、自分の認識を拡張させる必要があるワケであり、となると、より抽象的な方向へベクトルを振る必要があります

というワケで、スピの界隈でもよく言われているように、「悟ろうとするほど悟れない」というパラドックスにハマるわけです(笑

スポンサーリンク



精神世界における大きな勘違いとは?

日本人は割とこの傾向は薄いですが、精神世界やスピリチュアルの話をしようとすると、少なからず宗教的な価値観に沿った話になりがちです。

そのため、精神世界やスピリチュアルの界隈では、多分に宗教的価値観が混ぜて語られていることが多いように思えます。

では、多くの方がとらわれている代表的な宗教的な価値観はなにか?というと、「物事を相対的に分けて考えてしまう思考グセ」だと思うのです。

解りやすいのが、「私という罪深き存在」が居て、対して「天には全知全能の神様という存在がおられる」と言ったような、一神教でよくありがちな教えです。

しかし、これまでの動画でもお伝えしてきた通り、本当は、この世界は相対性になっていません

これを「ワンネス」と言えば伝わりやすいかと思うのですが、そもそも、わたしたちの意識は分離さえもしていないのです。

というワケで、「わたしと神様」と言った具合に、相対関係で捉えてしまっている時点で、宗教的な刷り込みの影響を受けていると言えるワケです(笑

同様に、「わたしと守護霊さん」、「わたしとハイヤーセルフ」といったように、そもそも、最初から相対的に分かれているワケではない状態を、別れていると錯覚してしまっているという事をお伝えしたいワケです。

更に言うと、「神様のお導き」とか、「守護霊さまのお導き」とか、「龍神様のお導き」とか・・・霊感の強い方がこう感じてしまうのも、それも実は相対的に考えてしまう思考癖から来る幻想であり、本当は、神様や守護霊様や龍神様という存在がいるワケではありません。

あくまでも、「その様に感じるだけ」なのです。

なので、本当のことを言うと、神様に認められるために善い行いをする必要も無ければ、人のために尽くす必要もないですし、もっと言うと、人のためになにか良いことをしなければ罰が当たるとか、そんな事は無いのです

そういった意味でいうと、精神世界の界隈で言われている「魂の成長」や「魂を磨く」と言った考え方も、実は、人を律するための方便に過ぎないのです。

仮に自由意志があったら宇宙は存続できない!?

よく、スピの界隈でも「ワンネス」と言われているように、本当は「命」は一つです。

更に言うと、分離というもの自体が幻想であり、本当は別れてもいないのです。

では、そもそも分離さえもしていない個別の意識が、「わたしは金持ちなイケメンと結婚したいです!」という自由意志を発動したらどうなるでしょうか?

もし、自由意志によってそんな願望が叶うのなら、そもそも分離さえしていない別の意識は「わたしはブサイクな貧乏人と結婚したいです!」という自由意志を発動しなければ、辻褄が合わなくなってしまいます(笑

この様に、分離をしていると錯覚している個別の意識から発生する様々な願望や欲求は「エゴ」と呼ぶことが出来ますが、個別の意識から発生するエゴは、そもそも叶うワケがないのです。

別の例え話をしますと・・・

たとえば、宇宙を人間の体に例えた場合、左手の親指が「足の指になって歩いてみたい!」と言い出しても、既に足の指の役割を果たしている存在がいるのでそれは無理ですし、左手の親指が自由意志を発動して勝手なことを言い出したら、人体という宇宙のバランスが一気に崩壊してしまいます。

宇宙に散らばっている個別の意識は、それぞれが絶妙なバランスの上に成り立っています。

では、この宇宙のバランスを保っているのは誰なのか?というと、「きっと神様が宇宙を作ったのだ!」と考えてしまうのが、これまた宗教的な刷り込みなのです(笑

最初にもお伝えした様に、わたしたちの意識は分離さえもしていないのです。

しかし、わたしたちの思考癖により、「わたしと神様」と言ったように、何でも相対的に考えてしまうようになっているのです。

スポンサーリンク



自由意志は全く無いという話

たとえば、ある方が「この宇宙には自分しか居なかったんだ!」なんて気づきを経験したら、それは「ワンネスの気づき」だと言えます。

「この宇宙には自分さえもいなかったんだ!」なんて気づきを経験したら、それは「ノンデュアリティの気づき」だと言えます。

どちらにろ、本当は意識はひとつしか無いので、意識が分離しているという幻想から来る「分離した意識が自由意志を持つ」という論法自体が成立しません。

ちまたでよく言われている「引き寄せの法則」というのは、思考が現実化するプロセスの部分だけ切り取って語られているだけであり、そもそも、その思考自体が「あなた」という分離意識から発生しているワケではありません。

では、思考はどこから来ているのか?というと、実は、勝手に湧き上がってきているのです。

そして実は、このあたりのメカニズムは現在の脳科学でも証明されており、本当のことを言うと、わたしたちには思考をコントロールする権限さえも無いのです。

もしも仮に、わたしたちが自由意志によって思考をコントロールできたら、悩みという概念自体がなくなるハズです。

何故なら、悩むのが嫌なら、そのことを考えるのを辞めればいいだけだからです(笑

しかし、それが出来ないから皆んな悩むのです。

もしも仮に、わたしたちが自由意志によって思考をコントロールできたら、簡単に自殺をできるハズなのです。

何故なら、死にたいと思うのなら、自由意志によって悩むこと無くパッと電車に飛び込めばいいだけだからです。

しかし人は、簡単にコレが出来ないのです(笑

わたしたちが自由意志によって思考をコントロールできるのなら、寝たいと思ったその瞬間に、スイッチを切るように思考を止めることが出来るハズですが、しかし、そんなことが出来ないということは皆様ご周知のとおりです。

悲しいときや嬉しいときは勝手に涙が溢れますが、わたしたちは、感情をコントロールすることも、本当は出来ないのです。

この様に、わたしたちには思考や感情や行動をコントロールする権限さえも持ち合わせていないのです。

宇宙は愛でしかない

宇宙には、完全な調和で動いているシステムが存在するだけす。

このシステムは、全てにおいて完璧であり、間違いがありません。

なので、起きることは、全て完璧に起きています。

なぜ完璧なのか?というと、すべてが調和によるバランスが取れているからです。

なので、このシステムは、完全な調和で動いている愛のシステムなのだと言えます。

つまり、この宇宙のアルゴリズムが愛そのものなのです

そして、完全な調和により起きる様々な出来事は、出来事自体には意味はなく、「ただ起きているだけ」と言えます。

なので、宇宙には、「幸せと不幸」「優劣」「勝者と敗者」「善と悪」と言った概念自体が存在しません

しかし、わたしたちは相対的に物事を考える思考癖がついているので、「幸せと不幸」「優劣」「勝者と敗者」「善と悪」と、物事を相対的に意味付けをすることにより自ら苦しんでいるという、非常にバカバカしことをやっているワケです(笑

こんなメカニズムに気づいてくると人生は驚くほどラクになりますし、わたし自身も、今は悩みと呼べるものがほぼなくなりました(*´∀`*)ノ

宇宙は完璧な調和の取れた愛のシステムですので、実は、努力をして流れに逆らう必要もないのです。

ただ、「愛のシステムに身を委ねる」という、一見すると後ろ向きで無気力な人生を歩んだとしても、それも何一つ間違ったことではないのですね☆

読んでいただき、ありがとうござました(*´∀`*)ノ

関連記事
すべて完璧なタイミングで起きている☆お釈迦様に学ぶ縁起のお話
宇宙からのテスト☆人は変化を怖がり新しいものを拒絶する
あなたは、あなたのままでいい☆あなたは既に完璧な存在です
努力・頑張る・義務・我慢を手放す時代の到来!!

スポンサーリンク



Youtube動画はコチラ