【映画解説】美しき緑の星☆接続解除とは何か?
※このブログは2021.5.30にYoutubeにて動画公開した内容を、まとめたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
今日は、映画「美しき緑の星」の解説をしてみようと思います(・∀・)ノ
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貨幣経済・物質文明を捨て、更に進化した宇宙人
この映画に出てくる宇宙人さんの星では、地球の様な「物質科学文明」や「貨幣経済」を何千年も前に卒業し、まるで縄文時代の様な「大自然と共生する暮らし」をしていました。
食べ物や服なども、貨幣を使わず、お互いに提供し合う様な暮らしで、今の地球のようなピラミッド型の縦システムとは正反対の、皆んなが横並びのフラットな社会が描かれており、そんな中で、皆が当たり前のようにテレパシーを使ったり、他の惑星に自分たちの星の人間を派遣して「目覚めの促進を行う」といったような、言わば「ライトワーカー的な活動」もしていました。
そしてある日、この映画の主人公でもあり監督でもある「ミラ(コリーヌ・セロー)」が、地球(1990年代のフランスのパリ)へ行く事になりました。
そしてここから、「宇宙人ミラおばさん」の、地球での楽しい物語が始まります・・・(笑
「接続解除」とは、本来の自分に戻ること?
この映画の一番のポイントは、「接続解除(切断)」と呼ばれるものです。
映画の中では、「地球人を接続解除をすると、人によっては500年分くらい精神性が進化する」と言ったようなことも説明されています。
しかし、「接続解除」を、わたしなりに解釈すると「自我からの開放」だと思うのです。
たとえば、ミラおばさんが、相手に向かって・・・
↑こんなポーズを取ると、相手が「接続解除」されるのですが(笑)、その瞬間、接続解除された相手は、いきなり「本来の自分」に戻ってしまいます。
映画の中で最初に接続解除されてしまった、お医者さんのマックスは「病院の医院長」だったのですが、接続解除によって「病院の医院長」という役割から解放されて、「本来の自分」に戻ってしまいました。
その結果、何が起きたのか?と言いうと、マックスさんは元々は「根が良い人」だったために、今まで「病院の医院長」として威厳を保っていた人から「良い人」になってしまったわけです。
その後、看護師さんから、「マックス医院長!お産が始まりますので急いで来てください!」と言われても、マックス医院長は、本来の自分に戻ってしまっているので・・・
「すまないが僕はお産を知らない」
「僕が出来るのは、手術とか、注射とか、帝王切開とか、そういうことだけだ」
「僕は、女性についても、お産についても、何ひとつ理解していない」
「だから、お産とはどういうものか?後でゆっくり聞かせてくれないか?」
なんて言ってしまい、看護師さんを驚かせるシーンがあります。
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社会的な役割からの開放
わたしたちは、多かれ少なかれ、全ての人が、何らかの「社会的な役割」を演じています。
それは、「母親」という役割であったり、「父親」という役割であったり、「会社の部長」という役割であったり、こういった「社会的役割」を、誰もが演じているのです。
ミラおばさんは、その後も色んな人を接続解除しますが、なかでも、とある政治家を接続解除したシーンは大変興味深いものでした。
ミラおばさんに接続解除される前の政治家は、最初は、雇用政策について如何にもそれっぽい事を喋っていたのですが、接続解除された途端に、「失業者は、うんこを食べる仕事をすればいい!」「皆んなでうんこ食べ屋さんをやろうぜ!」などと、とんでもないことを話し出してしまいます(笑
では、最初に接続解除された医院長のマックスさんは、接続解除により「良い人」になったのに、何故、政治家は、下品な言葉を吐く様な人間になってしまったのでしょうか?
これについては、映画の冒頭で、それっぽい事が説明されており、「地球では、進化の段階が遅れている人ほど、政治家などの、人の上に立つ職業に就いている」ということなのです。
というわけで、映画の中に出てくる政治家も、人類の中では進化が遅れているので、接続解除により本来の自分に戻って、下品で幼稚な本性を表してしまった・・・というワケです(笑
接続解除の影響を受けない人とは?
実は、接続解除には「強」と「弱」があり、本当は、ミラおばさんと少し会話をするだだけでも、相手は、軽く接続解除されてしまいます。
たとえば、映画の最初の方で、ミラおばさんは何人かと会話をしますが、ミラおばさんと話した相手は、少なからず接続解除の影響を受けて、いきなり木に抱きついたりしてしまうシーンがあります。
他にも、スーツを着ていたサラリーマンが、いきなり靴も靴下も脱いでしまい「やってられるかぁ〜!!」と、叫びだすシーンも描かれています(笑
これもつまり、今まで無理をして「社会的役割」を演じていた人が、本当の自分に戻ってしまった!ということなのです。
ただ、ここで面白いのが、「接続解除が効かない人」も、映画の中では何人か登場します。
正確には、「接続解除が効かない」と言うよりも、「最初から接続が切れている」と言ったほうがよいかもしれません。
つまり、「自我の影響を、それほど受けていない人」もいるのです。
たとえば、ノートルダム寺院で出会う子供がそうです。
子供は、自分のことを「○○ちゃん」と、自分の名前で呼んだりしますが、これは何故か?と言うと、親が子供のことを「○○ちゃ〜ん」と、名前で呼ぶからです。
人間は、2歳〜3歳くらいまでは、まだ自我があまり芽生えていないので、他人と自分を分けたり、比較したりすることもありません。
というわけで、映画の中に出てくる子供も、ミラおばさんと会話をしたのに、自我がそれほど芽生えていないので、接続解除の影響を受けなかったのだと言えます。
もうひとり、パンクロッカーのオネーチャンも出てくるのですが、彼女もミラおばさんと会話をしたのに、接続接続の影響を受けませんでした。
これは何故か?と言うと、彼女も、ノートルダム寺院で出会った子供と同じように、自我の影響をあまり受けていない、つまり、社会的な役割を演じていないからです。
その事が読み取れるシーンとして、彼女がミラおばさんに向かって、「その服チョー格好いい!」と、まるで子供のような夢邪気さで、ミラおばさんの着ていた200年前のナポレオンの時代のドレスを見て感激するシーンがあります。
つまり、パンクロッカーのオネーチャンの様な「社会的な役割を演じていない人」は、最初から接続解除されているのです(笑
彼女のようなタイプの人間は、言ってみれば「あるがままの自分」を自由に表現して生きています。
パンクに限らず、ロックというのは、その根底が「支配体制」や「金融資本主義」に対する反抗です。
そのため、ロック系のアーティストの残した歌詞や言葉には意外と本質的な言葉が多く、たとえば、ラフィンノーズのチャーミーは、昔はよくライブで「ガキのままでエエんやで!大人になんてなんらなくエエんやで!」と言ってました。
これはつまり、わたしが普段からよく話している、「あなたは、あなたのままでいい☆」という話と同じなのです。
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「美しき緑の星」の真のメッセージ
この映画では、冒頭で、「瞳の映像」、「水が流れる映像」、「木々が風に揺れるの映像」が出てくるのですが、つまりは「瞳」「水」「木」が、この映画の重要なキーワードになっているのです☆
瞳の意味
この映画が伝えたい大切なことは幾つかあると思いますが、その一つに、「自分を殺してまで、社会のシステムに合わせた役割を演じる必要は無い」という事が挙げられると思います。
これを、斎藤一人さん的に言えば「真我に還る」と言っても良いと思います。
つまり、映画の冒頭で映し出される「瞳」は、「真我」を表しているのです。
「目は口ほどに物を言う」とか、「目を見れば解る」なんてよく言いますが、瞳は、「その人の真我を映し出す鏡」なのです☆
というわけで、「人は接続解除によって真我に還る」ということを、瞳の映像を冒頭に持ってくることで「伏線」としているのだと考えられます。
水の意味
もう一つ、冒頭に「水」の映像も映し出されますが、これについては、ミラおばさんがテレパシーでチャネリングをする際に、足を水につけていることからも解りますが、おそらく、水には波動を増幅させる様な効果があるのだというメッセージでしょう。
実際、足立育朗さん著書の「波動の報告書」でも、水は、ある意味特別な存在であることが書かれており、水の重要性を語る方は以外と多いのも事実です。
更には、足を水につけることで「アーシング」の効果もあるでしょう。
つまり、「惑星そのもののエネルギーを借りる」という意味です。
関連記事
→アーシングのススメ。地球と繋がる健康法
木の意味
ミラおばさんがパリに来た際、「ここはコンクリートと排ガスだらけで、土もないし、水は薬が入っていて飲めない」と嘆くシーンがありますが、しかし「木は美しい☆」と、木を見上げるシーンがあります。
他には、接続解除された人が木に抱きつくシーンも何度か登場しますが、これは何か?と言うと、この映画の主演でもあり監督でもあるコリーヌ・セローさんは、映画のストーリーのインスピレーションを、自分の家の庭にある大きな木から受け取ったそうなのです☆
人間以外の地球上の生き物には「自我」が無いと言われています。
つまり、「木」も含め、全ての動植物は、ひとつのネットワークとして、言わば「地球意識」として存在していると言えるのです。
これについては、映画の「アバター」を思い出していただくと解りやすいのですが、アバターに出てくる惑星も、「木」が、惑星全体を繋ぐネットワークを作っている様子が描かれています。
つまり、コリーヌ・セローさんも「木」を媒介にして、地球のアカシックレコードに繋がって情報をもらった☆と言えるのではないでしょうか?
発禁になった理由
この映画には「陰謀論的」な噂もあり、実際に発禁にもなっています。
その理由は、最初は、男同士がキスするシーンや、イエスの銅像を見て「うちの星が2000年前に派遣した人だ!」というシーンが含まれるからなのかな?とも思いましたが、実際は違うようです。
実は、この映画は、重要な部分がカットされているそうで、それが何か?と言うと、某チャリティー団体の人を接続解除した結果、金の亡者とも言えるような酷い発言をしてしまうシーンが含まれていたそうで、これが問題となり、某チャリティー団体と裁判になってしまったからだそうです。
というわけで、日本で売られているDVDは、この部分の映像をカットした短縮版なのだそうです。
この映画を観ると覚醒する?
以前は、「この映画を観ると覚醒しちゃいます!」「切断されちゃいます!」なんて噂もあった様ですが、わたしは、それは無いと思います。
何故かと言うと、接続解除は、覚醒ではないからです。
わたしが観る限り、接続解除とは、「自我の働きを抑えて真我に還る」ということだと思いますし、それによって、「社会的な役割を演じて苦しんでいた状態から開放される」ということだと思うのです。
「美しき緑の星」は、わたしたちの様な精神世界の話が好きな人には、とても共感できる映画です。
また、フランス映画特有のギャグも、良い感じに効いています(笑
しかし、こういう映画を見ても何も感じない人は、きっと、何も感じないのです。
というわけで、この映画を観ると誰でも覚醒するなんてことは無いので、その部分は逆に安心できるでしょう(笑
この映画で描かれている、「通貨のシステムが無い世界」「国家も、中央集権制度も、ピラミッド状の組織も無い世界」「支配と依存のシステムが無い世界」「宗教が無い世界」が来るのは、まだまだ先のことになるでしょうが・・・
しかし、この映画を多くの方が観ることによって、「縄文時代のようなフラットな社会」、リーダーが統率する縦構造の社会とは真逆の、「横構造の社会」へと近づいていくスピードは早まるのではないか?と思います☆
今日もご視聴いただき、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした☆(*´∀`*)
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