運のいい人、運の悪い人の違いとは?
- 2018.01.04
- 幸せに生きる術
こんにちは☆NORIです(*´ω`)ノ
今日は「運を良くする方法」について書いてみますね♪
あの松下電器の創業者である「松下幸之助」は、自社の面接の時に、学生たちに「君は運がいいか?」と、必ず質問をしていたそうです。
というのも、松下幸之助は、人生がうまくいくのも行かないのも、その人が成功するのもしないのも・・・
「7割は運!」と考えていたからです。
わたし自身も、自分の人生の行く末を決めるのに「運」は重要だと考えております。
ただ、世の中には、生まれつき運のいい人も、運の悪い人もいますので、人生が運で決まるとしたら、「それは不公平ではないか?」と思われそうですが、そうではないのですね。
なぜなら、「運」とは、自分で良くも悪くもすることができるからです。
では、運の良い人と運の悪い人は、何が違うのでしょうか?
はたして「運」なんて、本当に存在するのでしょうか?
今日はちっと前置きが長くなりますが・・・
歴史上の「運の良いといわれた人」を実例に上げつつ、運を良くする方法について書いてみようと思います☆
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日露戦争は”運”に頼った戦争だった!?
日露戦争の時の「バルチック艦隊」のお話を知っている方は多いかもしれませんね☆
バルチック艦隊の戦いは、大日本帝国海軍とロシア軍の軍艦(バルチック艦隊)との戦いで、圧倒的な不利な条件にもかかわらず大日本帝国海軍が勝利した。という有名なお話です。
この戦いが、実は「運」に大きく影響を受けていた。という事を知ってる方も多いかもしれません♪
というのも、当時の大日本帝国海軍大臣である山本権兵衛は、連合艦隊の司令長官を誰に任命するか?で悩んでおりました。
そんな時に、司令長官に任命されたのが東郷平八郎です。
しかし、東郷平八郎は、この時かなりの高齢で、会社でいえば定年退職を迎えるほどの年齢だったのです。
では、山本は何故ロシア軍との大事な戦いに、東郷平八郎のような年寄りを選んだのでしょうか?
当時の明治天皇も、山本の人選を心配し、山本にそのことを直接聞いてみたそうです。
そして山本から返ってきた答えが・・・
「東郷は運が良い男であります(‘ω’)ノ」
という一言でした。
実は、東郷平八郎という人物は、今までの戦争の経験から「物凄く運が良い男」として知られていたのです☆
しかもその「運の良さ」というのが、どうも偶然ではなく、「自ら運が良くなるよう」に東郷自身が仕向けていたようなのですね。
人並な離れて運が良い男だった、東郷平八郎
日本国での初めての海戦、つまり海上で軍艦同士の戦いが行われたのは、薩摩藩と幕府との戦いで、慶応4年のことでした。
ある日、薩摩藩の船は四国近海にて、日本幕府の軍艦と鉢合わせをし戦闘となりました。
その時、薩摩藩の船に乗っていたのが、若き日の東郷平八郎でした。
幕府軍の戦力は、当時のオランダから技術提供を受けた最新鋭の軍艦。
しかし、東郷平八郎の乗る薩摩藩の船は、ただの小船にわずかな武装を施したもの。
常識的に言うと、とても勝ち目はなかったのですが、この戦いが、後に東郷平八郎の運の良さを世に知れ渡らせる事となります。
最初、幕府の軍艦は薩摩藩の船に向けて、13問ある大砲を一斉射撃しました。
わずか1km程度の近距離から、およそ100発の砲弾を打ちましたが・・・どういうわけかすべて外れ。
すかさず反撃を開始した薩摩藩の船。
この時、東郷平八郎自身が大砲を操作し3発の砲弾を放ったところ、何と全弾命中!
こんな事は、統計学的に見てもほとんどあり得ないほどの確率なのですが、この逸話から「東郷平八郎は運が良い」という伝説が始まったのでした。
運を良くする方法を習得した、武道家の植芝盛平。
もう一人、歴史上でとても運が良い人と言われる植芝盛平のお話をします。
時代は、戦前の日本・・・。
植芝盛平は、自ら柔術や空手など学び、合気道という武術を発明し日本に広めた「合気道の開祖」でした。
植芝は、武術家ながら身長はわずか160cm程度の大変小柄な人だったそうです。
合気道という新しい武術を始めたばかりの植芝の元へは、腕自慢の柔道家や空手家などから、決闘の申し込みが後を絶ちませんでした。
中でも、木村正彦という負け知らずで豪腕の格闘家が植芝に決闘を申込んだ時は、植芝の弟子たちは「これはさすがにヤバイんじゃないの?」と、師匠の負けを覚悟していたそうです。
しかしここで、植芝の運の良さが現れました。
なんと、決闘を申し込んだ木村自身が、当日、試合場に現れなかったのです。
多くの人が植芝の敗北を予想していたこの試合に対して、「まさか、木村正彦が逃げた!?」なんて噂も飛び交う中、この事は自然と忘れ去られ、結局は、植芝と木村の決闘は、そのままお流れになりました。
しかし後日、植芝自身が、周りの人たちにこんな事を語っていたのです。
「わたしは運が強い☆」
実は、植芝自身は「運」というものは技術により習得するものであり、武道家としての強さは「運」も含まれる。という考え方だったのですね。
つまり、決闘に木村が現れなかったのは決して偶然ではなく、「わたしは、鍛錬と修行により“運”を良くする方法を身に着けた」。
と、植芝自身が語っていたのです。
運を良くするための方法。ルーチン化は効果ある!?
東郷平八郎は、道を変えないことで有名でした。
たとえば帰り道で、道の真中に猫や犬がいたとしても、相手がいなくなるまで自分がじっと待って、決して回り道をしなかったのです。
「そんなん、猫追い払って進めばいいじゃん!」と、周りの人から指摘された東郷は、一言こう言いました。
「こんな所で運を使いたくない」。
つまり東郷は、運を良くする方法として、普段の生活パターンを決して変えない。という事を頑なに守っていたのでした。
そして、こうした生活パターンのルーチン化を徹底して実践しているとして有名なのが、鈴木一朗ですね。
イチローが、毎日同じ時間にキッチリ起きて、毎日同じメニューであるカレーライスを食べるというルーチンを、一日も欠かさずに繰り返している事は、有名なお話ですね♪
そして、このことから「運を良くする方法」というのは実際に存在し、イチロー自身もそれを知っており実践しているといえるのです。
では何故、運を良くするために生活パターンの「ルーチン化」が有効なのでしょうか?
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運の良さとは「自分は運が良い」と信じる心
東郷平八郎も、イチローも、「生活をルーチン化することにより運が良くなる」。と考えていたと言えます。
合気道の植芝盛平は、「運とは武道の技術のひとつだ」。という考えでした。
では、超絶に運がよいと言われた彼らの共通点はなんでしょうか?
それは、簡単に言うと「こうすると運が良くなる」と信じ切っている思考なのです。
東郷平八郎は、若い頃から「自分は運が良い」と信じており、「毎日帰り道を変えない」というルーチンを実践することで、その運の良さを自分自身で強固にして行ったと言えます。
イチローは、毎日同じ時間に起きて同じ時間にカレーを食べるというルールを自分自身に設定することで、自分の運の良さを自分自身で確固たるものとしているのです。
しかし、彼らが運を良くするために「生活パターンをルーチン化する」と考えたのには、実は理由があるのですね。
それは・・・
日本人の基本的な思考パターンとして「努力をすると報われる」という考え方があるからです。
もちろん、努力をすれば実際に報われることもありますし、報われないこともあるでしょう。
しかし、わたしたちは昔から「努力は報われる」と教育されているため、「こんなに大変な思いをしているのだから、未来は思い通りになるはずだ」。と、潜在的に考えてしまう思考パターンがあるのですね。
つまり、ルーチン化が運を良くするわけではなく、「ルーチン化をすることにより運が良くなるはずだ」と信じる心が、本当に運の良い状況を引き寄せるのです。
これは逆に言うと、別に生活パターンにルーチン化を取り入れなくとも、「自分は運が良い」と信じ切ってしまう人が運が良い人と言えるのですね☆(・∀・)丿
運の良さとは、自分自身に対する、いわゆる「願掛け」であり「自己暗示」なのですね☆
運の良い人は「自分が運が良いと信じている人」であり、逆に運が悪い人というのは「自分は運が悪い」と考えてしまう人なのです。
このことから言えることは、わたしたちは常に「自分は運が良い」と思うことが大切であり、仮に何か運が良くないことが起こったとしても「自分は運が悪い」と考えてしまうことは、更に運の悪い現象を自分自身で引き寄せてしまうのです。
その為、わたしたちは常日頃から「自分は運が良い」というプラス思考を維持しなければならないのですね☆
そしてこのことは、わたしのサイトでもよく書いている「潜在意識」や「脳のRASの機能」の話につながってくるのですね♪
今日は、前置きが長くなりましたが・・・
運を良くする方法とは、「自分は運がいい!」と信じ切る思考なのだ!
というお話でした☆
読んで頂きありがとうございました!
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