危機管理は不可能!?大地震などの迫りくる危機とどう向き合うか?SDGsと自然環境のお話

危機管理は不可能!?大地震などの迫りくる危機とどう向き合うか?SDGsと自然環境のお話




※このブログは2021.10.25にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちは☆スピリチュアリストのNORIです。

今日も、ご視聴いただき、ありがとうございます。

今日は、これからやってくることが予想される地震などの災害について、わたしたちはどう考えればよいのか?

また、「そもそも自然とは何か?」を考えた時にヒントとなるようなお話をしようと思います☆(*´∀`*)ノ

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そもそも自然は管理できない

「危機管理」という言葉があります。

「危機管理」とは読んで字のごとく、「迫りくる危機を人間の力で管理しちゃおう!」と言う意味です。

しかし本来「危機」というのは回避できないものであると言えるのです。

たとえば、陰謀論にハマりやすい方は、「3.11の東北の震災で起きた原発事故は人災である!」「あれは人工地震だ!」なんて情報を信じようとします。

しかしわたしとしては、3.11の津波にしても、原発の事故にしても、あれは人災ではなくて自然災害だと考えていますし、防ぎようのないことが起きてしまったのだと考えています。

もちろん、陰謀論でよく言われている人工地震の話にも事実が混ざっており、今現在の技術レベルでも人工的に地震を起こすことは十分可能です。

しかしだからと言って、「3.11が人工地震である!」と決めつけることは不可能であり、真実は検証のしようがないのです。

というわけで、地震が起きるたびに「人工地震だ!」と騒ぎ立てるのもオカシナ話です。

本来、わたしたち人間は常に大自然の驚異に晒されながら生きてきましたし、昔の人は、自然災害で命を落とすこと自体が日常に組み込まれていました。

それが何時しか、「人は自然災害等の危険から身を守ることが出来て当然である」という考え方に変わってしまったのです。

その理由は、テクノロジーの進展により、時にわたしたちは、自然災害から身を守ることも出来るようになってきたからだと言えるでしょう。

確かにわたしたちは、堤防を作って川の流れをコントロールしたり、ダムを作って水をせき止める様なこともしてきました。

だから、わたしたちは、「自然はコントロールできるものなんだ!」といった、ある意味重大な勘違いをしてしまっているのです。

SDGsと自然環境のコントロール

たとえば最近は「SDGs」なるものが流行していて、「自然を大事にしよう!」とか、「人類と自然は共生すべきだ」みたいな考え方が流行っているようです。

解りやすいのが「二酸化炭素」に対する扱いで、SDGsでは「温暖化の原因はCO2である」と断定した上で、では、悪者であるCO2の排出を規制しよう!というのがSDGsの目的です。

しかし、この考え方には色々とおかしな部分があり、そもそも、地球温暖化の原因が二酸化炭素だなんてことは、はっきりと解っていないのです。

更に言うと、「温暖化が本当に起きているのか?」という議論もあり、「むしろ地球は寒冷化に向かっているのではないか?」なんて話す学者さんもいます。

ちなみに、わたしの考えとしては、今起きている地球の環境の変化は、二酸化炭素が原因なのではなく、どちらかというと太陽活動の影響が大きいのでは?と考えています。

そして、「自然」というものを考えたときに、実は、こういうことも全てひっくるめて「自然」なのです。

よく、「自然を大事にしよう!」なんて言葉がありますが、自然を大事にするのであれば、自然の摂理によって起きること全てに対して逆らわないのが、本当に「自然を大事にする」ということなのではないでしょうか?

そう考えると、自然が起こすことは、必ずしも人間にとって都合の良いことばかりではありません。

たとえば、我々の意思とは関係なく、火山だって噴火しますし、大地震だって起きるワケです。

そして、こういった自然災害も、本当は自然の営みの中のひとつの出来事です。

自然界には、人間にとって有毒なガスを噴出するような場所もあります。

地球にはオゾン層があるので普段は気づきませんが、しかし地球の表面には、太陽からの強烈なプラズマ(太陽風)や致死量を超えるレベルの放射線が、常に飛んできています。

ただ、こういった、人間の体にとって危険な存在であるプラズマや、放射線や、ガンマ線等も、これらも全て含めての「自然」なのです。

というわけで実は、多くの方が言ってる「自然を大事しよう!」という言葉の意味は、本当は、「人間にとって都合が良いように自然をコントロールしよう!」という意味なのです

そして、近年話題のSDGsも、結局のところ、人間の都合による自然のコントロールであり、SDGsは、別に崇高な話でもなければ、美しい話でもないワケです(笑

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自然という脅威

「自然は美しい!」なんて考え方があります。

たしかに、自然には美しい部分もありますが、しかし、わたしなんかは虫が嫌いだったりします(笑

しかし、虫たちも自然の一部です。

というわけで、自然とは、決して美しい面だけでなく、人によってはグロテスクで恐ろしい面もあるワケです(笑

これまでお話してきた通り、地震であったり、火山の噴火であったり、イナゴの大発生であったり、こういったことに対する危機管理は、本当は不可能です。

しかしわたしたちは「自然を管理しなければならない」という考え方で生きています。

ただ、このような考え方は、科学至上主義から出てきた人間の傲慢さだと思うのです。

昔の人は、火山が噴火したりすると「神の怒りだ!」なんて考えましたし、怒りを鎮めるために生贄を捧げるといったような事を大真面目にやっていました。

しかし本当は、自然に起きることは全て「勝手」に起きているだけであり、大宇宙の流れの中で「ただ起きている」だけです。

そしてわたしたち人間は、例外なく自然のシステムの中で生きているワケであり、そのシステムをコントロールしようなんてことは本当は出来ないのです。

災害に対する備えのヒントは「今ココ」

この世界には、本当は「今」しか無く、過去や未来は存在しません。

つまり、わたしたちは常に「今」を生きています。

ということは、考え方の優先順位としては、「今をいかに心地よく生きるか?」を考えるのが正解だとわたしは思っています。

つまり、何年か後に、やってくるかどうかも解らない大地震や火山の噴火を心配して、今の生活を犠牲にするのは???だと、わたしは思うのです

実際、現在の科学では地震予知は不可能です。

というわけで、東南海地震が心配だからと言って、「では、地震が来ない地方に引っ越そうか!」という考えはナンセンスだと思うのです。

もちろん、日々の日常(つまり今ココ)を圧迫しない程度の地震に対する備えくらいはしたほうが良いでしょう。

たとえば、非常食を買って置いておく程度のことでしたら、一度購入して、あとは物置にしまっておくだけですので、日常の生活(つまり今ココ)を圧迫しません。

つまり、いくら地震や火山の噴火が心配だとしても、「今ココ」を犠牲にしない備えに留めておくのが良いのでは?というのが、わたしの災害に対する考え方です。

ネットに溢れる恐怖情報

現在、SNSなどのネットの世界では、いろんな方がいろんな情報発信をしています。

たとえば、「〇月〇日頃に地震が来る〜!」なんて情報は、自称未来が見える系のスピリチュアルの人は、毎日のように発信しています。

更には、何処かの遊園地で停電が起きれば、「これも悪のDSの仕業だ!」と騒いだり、少しでも珍しい形の雲の写真が撮れたら「地震雲なので皆気をつけて!」なんて騒いだり(笑

この様に、起きること全てを陰謀論やスピリチュアル的因果関係に無理やり結びつけようとする方も多く、また、そんなペラペラの陰謀情報に翻弄されてしまい、自ら恐怖の世界へと没入していくのが好きな方も以外と多いようです。

そして、こういった「恐怖」「心配」「不安」「恐れ」に没入する人と、その反対に、そんな恐怖の感情が渦巻く世界とは全く無縁に楽しく生きることが出来る人、この二分化こそが「二極化」なのでは無いでしょうか

更に言うと、SNSで恐怖情報を撒き散らしている人と、そんな世界とは無縁に楽しく生きている人、この両者を視点を俯瞰して観た場合、どちらが悪魔的だと思いますか?(笑

これが、新興宗教の教祖が必ず「アルマゲドン」を予言する理由でもあり、恐怖によって大衆の支援を得ようとするメカニズムなのです

もちろん、自ら「高次な存在である」と勘違いをし、一生懸命「恐怖情報」をばら撒いているスピ系の人も、本人は無自覚であったり、善意で「恐怖情報」を発信している場合がほとんどなのでしょうが、しかし実は、彼らも新興宗教の教祖と同じ行動原理で動いているのです(笑

今日のお話が、皆様の災害に対する備えや考え方のヒントになれば幸いです☆

今日もご視聴頂き、ありがとうございました!

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