誰もが「あるがまま」に生きられることが許される時代の到来!?〜協調性から調和へ〜

誰もが「あるがまま」に生きられることが許される時代の到来!?〜協調性から調和へ〜




※このブログは2021.10.30にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちは☆スピリチュアリストのNORIです。

今日も、ご視聴いただき、ありがとうございます☆

今日は、「誰もが、あるがままに生きられる時代へ!」というお題で話そうと思います(*´∀`*)ノ

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変わりゆく価値観

これからわたしたちが向かおうとしている社会は、未だかつて、わたしたちが経験したことがない社会だと言えます。

たとえば、「働かざる者食うべからず」という価値観があります。

「働かざる者食うべからず」という言葉は、これまでの時代では当たり前のように言われてきたことですし、人は、大人になったら当然労働をしなければならないとされてきました。

他には、「立派な社会人」なんていう価値観があります。

しかし今後は、「立派な社会人」という言葉の意味さえも変わってくるのではないか?というのが、わたしの考えです。

たとえば、今50代くらいの方は、簡単に言うと、第2次産業革命以降に作られてきた社会の仕組みに適応した大人になることを目指してきたと言えます。

今から100年ほど前、第2次産業革命による「機械」の登場によって大量生産が出来るようになりり、この大転換によって、社会では、「工場で機械に合わせて作業をする事ができる人」が大量に求められるようになりました。

「工場で機械に合わせて作業をする事ができる人」とは、工場で働くために時間をきっちり守れる人であったり、工場の流れ作業に適応できる人のことです。

つまりこれまでの時代は、同じ作業を淡々と繰り返しても、それに対して文句を言わずに働いてくれる様な人を、育成する必要性があったのです

偏差値が重要でない理由

この様に、産業革命以前は、何をするにも人力で行っていたので、単純に「体力がある人」だったり、「体が強い人」が重宝されていましたが、産業革命を迎えたことによって「求められる人材」が変化したのです。

そして実は、今現在の教育システムは、未だに第2次産業革命によって生まれた社会システムに適応するための人間を作るための教育が行われているのだと言えます。

特に日本においてはその傾向が強く、日本の教育体型の根底となる部分は、言ってみれば、100年前から変わっていません。

しかし、時代は常に変化するものなので、やがて第3次産業革命が起き、コンピュータの時代になりました。

そうなると、求められる人材は更に変わってきて、これまでの「単純作業に文句を言わないように訓練された人」よりも、今度は、コンピュータを扱う人、つまり情報を扱うホワイトカラーが求められるようになってきました。

更に今度は第4次産業革命がやってきて、人工知能やIOTなどが普及し始め、それらのテクノロジーを扱える人が求められるように時代が変化してきました。

第4次産業革命によって人工知能が登場したことにより、人間はもう、体力だけでなく、記憶力や計算速度などの「頭脳」も、機械に勝てなくなったのです。

ということは、「記憶力」を能力のひとつとして図っていた「偏差値教育」も、もう、意味をなさなくなってきたということです

これについては、既に多くの方が感じているとは思います。

その証拠に、学校の勉強が出来たからといって、では、そんな人が社会に出てから活躍できるのか?というと、ここはまったく比例しないということが事実起きているからです。

つまり、これからの時代は、学歴にこだわることも、大して意味がなくなっていくと言えるのです

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没個性の時代は終わる

この様に、わたしたちは第2次産業革命以降の社会のシステムに合わせた教育を受けてきているため、言ってみれば、システムに合わせるために「個性」を潰すような考え方を教え込まれてきたのだと言えます。

何故か?と言うと、工場で働くためには、皆で同じ時間に同じ行動を取ること大事だったので、そのためには、個性は邪魔だったからです。

この教育は、戦争をするための軍隊を作るときも同じであり、兵隊は統制が取れていないといけないワケです。

そのため、何も疑問を持たずに上官の命令に素直に従うような人材が大量に必要だったのです。

だから昔は、「上の人の指示に素直に従うことが出来る人間が、立派な大人である」といった価値観が教えられていましたし、現在の教育のシステムの基本構造も、この部分は昔のままなのです

そして、上の人間の指示に素直に従うためには、自分の個性を表に出さない方が都合が良いのです。

何故か?と言うと、各々が個性を発揮してしまうと、統制が取れなくなってしまうからです。

だから、わたしたちは、個性を抑え込むように教えられてきましたし、皆が個性を抑え込んで、周りの人と上手くやるために「協調性」を身につけるように訓練されてきました

そして、個性を抑えて周りと上手くやることができる協調性のある人間こそが、立派な社会人なんだと教えられてきたのです。

お金や仕事の価値観の変化

いま、時代は第4次産業革命を迎えようとしていて、工場ではどんどんとオートメーション化が進んで無人化していますし、コンビニやスーパーのレジも無人化が始まっています。

そして今後はテクノロジーにの進展によって、多くの人は「仕事をしないのが当たり前☆」という時代になってくることことが予想できます。

その上での「ベーシックインカム」のような制度が導入されようになることは、ほぼ間違いないだろうというのが、わたしの予想です(`・ω・´)ゞ

更に、ベーシックインカムで毎月お金がもらえるようになれば、「老後に備えて貯金をする」という価値観自体もだんだんと無くなっていくことになることも予想できます。

となると今度は、お金に対する意味付けすら変わっていくことになり、「資産」というものに対する多くの人の考え方も変わってくると思うのです。

その結果として「資産を相続する」という価値観もだんだん薄まっていくでしょうし、資産を相続するための「結婚」という制度に対しても、優先順位が低くなっていくような気がします。

こういった、「お金」「資産」というもの対する価値観の変化は、つまり「資本主義」という仕組み自体の変容ということにもなり、結果的には、社会全体の仕組み総変わりするのかな?なんて予想も出来るワケです

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個性を出すことで円滑な人間関係が生まれる!?

では、これからの時代は、「どういった人が魅力的なのか?」「どういった人が社会で活躍できるのか?」を考えてみましょう。

まず、機械が人の代わりに色んなものを生産してくれる世の中になったことにより、人間が重たいものを運んだりする必要がないため、「体力がある人が重宝される」という時代が終わっていることは、誰もが理解ができるでしょう。

次に、コンピュータや人工知能の進展により、記憶力や計算の速さなどの「頭の良さ」さえも、あまり重要ではなくなってくることも予想できます。

この様に、人に求められる「魅力」を考えてみると、それはもう「体力」でもなければ「記憶力」でもなければ「偏差値」でもない、ということが、ご理解いただけると思います

簡単に言うと、これからの時代で魅力的な人となるのは「個性的な人」だと言えます。

ただ、個性の話をすると、「わたしは個性的な部分がありません」なんて言う人もいますが、実はこれは間違いで、本来すべての人は個性的なのです。

そして「個性」とは、必ずしも「人よりも優れている部分」のことではありません。

たとえば、わたしなんかはコミュ障の気がありますし、性格的には営業向きではありません。

しかしわたしは、自分がコミュ障だということを隠しません(笑

そして、こういった個性は、隠さないほうがいいのです☆

以前の「方向音痴の動画」でも話したとおり、自分が方向音痴なら「わたし方向音痴なんです☆」と公言すればいいのです。

何故なら、それらも全て「個性」だからです。

この様に「自分の個性」を最初に公言してしまうことで、周りの人は、「ああ、この人はこういう人なんだ」という認識をします。

そして、周りの人は「この人は方向音痴だから、では、方向感覚が強いわたしがフォローしよう!」といった感じに、個性をフォローし合えば良いワケです。

そして今後は、「個性を隠さずに出す」ことによって、お互いに各々の個性をフォローし合うような社会に向かっているのだといえます

そして、自分の個性を公言するということは、逆に言うと、自分の長所となるような部分を早く見つける方法でもあるのです☆

ただ、最初にもお話したように、わたしたちは、これまでの時代は、社会の仕組みに合わせるために自分の個性を抑えてきました。

たとえば、これまでの時代は、「コミュ障」の人に対して、「コミュ障を克服すること」が求められてきたのです。

しかし、お互いに個性を隠さずに、性格的な凸凹を上手くフォローし合うことができれば、それで世の中は上手く回るハズなのです。

もちろん、これまでの時代は、テクノロジーもまだそれほど発展していませんでしたし、一人頭に求められる生産性の負担が大きかったので、出来ない人に対しても「努力をして出来るようになりましょうね!」と言う必要がありました。

だから、学校教育にしても、社員教育にしても、一人ひとりの生産性を高めるための「没個性」が必要でしたし、そういった価値観が時代背景にマッチしていたのです。

しかし、これからの時代は、テクノロジーの進展によって生産効率も飛躍的に高まりましたし、言ってみれば、人類の1割くらいの人が働いて、残りの人は遊んでいても、それで世の中が回るようになっていくことが予想されるのです。

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協調性から、調和、愛への時代

これからの時代は、「長所」や「短所」という価値観自体も、ひっくり返ってくいくと思うのです。

仮に、仕事が出来ないにしても、そういう部分を「かわいい天然キャラ」として見てくれる人もいるワケです。

方向音痴だとしても、それを「愛されキャラ」として見てくれる人もいるワケです(笑

だから、自分で欠点だと思っている部分(つまり個性)をさらけ出しても、世の中ちゃんと回るような社会が、本当は実現可能なのです。

つまり、皆が「あるがまま」に生きた方が、結果的に良い人間関係が形成されますし、個性を隠さないほうが、上手く世の中が回ると思うのです

だから、スピリチュアルな界隈でもよく言われている様に、「あなたは、あなたなのままでいいですよ☆」なんてメッセージが、これからの時代は大事であり、システムに合わせて、嫌なことを我慢してやる様な時代ではなくなるのです。

もちろん、「自分をさらけ出す」という流れは、「お互いの多様性を認めあう」ということが前提の上で成り立ちます。

各々が生まれ持った凸凹した部分(個性)を補い合い、相手を認めること、つまりは、「考え方の違う相手を許す」ということも大事です。

というわけで、これからの未来のコミュニティを考えたときに、これまで大切とされてきた「協調性」という価値観とは正反対の考え方が大事になるのです。

何故か?と言うと、「協調性」とは、お互いの凸凹した部分を上手く隠すことによって人間関係を円滑にしていく、という考え方だからです。

つまり、これからの時代は「協調性」が大事なのではなく、「調和」が大事なのです

調和とは、お互い凸凹した部分認め合い、凸凹を許し合うことです。

許しとは愛です。

だから、これからの時代は「愛が大事なのです☆」という、いつもの話に繋がってくるワケです(*´∀`*)ノ

今日もご視聴頂き、ありがとうございました!

スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ

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