世界が大きく変わろうとしている☆一神教による大衆支配の終焉

世界が大きく変わろうとしている☆一神教による大衆支配の終焉




※このブログは2021.3.16にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

スピリチュアルや、あらゆる宗教の教えには、「人生は修行である」という考え方があります。

この考え方は、わたし自身、昔はとても腑に落ちていました。

しかし、ここ最近のわたしは「この考え方は違うのでは?」と思うようになり、最近のわたしは「人生はRPGのゲームみたいなもんだ☆」という話を、よくするようになりました。

更に言うと、これから生まれてくる新しい世代の子どもたちの中には、「人生なんて、ただの遊びだから、ひたすら楽しいことをするのが当たり前でしょ☆」と、こんな感覚を最初から持ち合わせて生まれてくる子供たちが、これからはどんどんと増えてくるのでは?と、わたしは予想しています。

では、何故わたしがそう思うのか?という理由も含めて、今日は色々話していきますね・・・

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一神教とワンネス

何故、宗教というものがあるのか?

皆様の中にも、こんなことを考えたことがある方は多いのではないか?と思います。

これはわたし自身の考えに過ぎませんが・・・

宗教というものが生まれた理由をあげるならば、「人々が苦しみから解放されるために自然派生的に誕生した」と、わたしは考えております。

つまり「人々の集合意識が宗教を生み出した」という考えです。

世界で最初の宗教は「ゾロアスター教」であるとか「ユダヤ教」であるとか、色んな事が言われていますが、時代的には3000年も4000年も前の話になります。

その後、2000年前にイエスが生まれ、1500年前にムハマンドが生まれ、インドの方では2500年前に釈迦国でお釈迦様が生まれて・・・と、今に至るのですが、ただ、ユダヤ教にしても、キリスト教にしても、イスラム教にしても、今、世界のメインになっているのは一神教なのだと言えます。

今は「時代の転換期」だと言われておりますが、わたし自身が、時代の転換期をどの様に捉えているか?と言うと、簡単に言うと、「一神教の宗教が世界の主流になっていた時代」から、「自然崇拝的な神様の考え方や、ワンネス的な考え方」が、主流になる時代に移り変わるのかな?と考えています

たとえば、日本に古来からある「全てのものに神様が宿る」という「八百万の神」という考え方や、ネイティブアメリカンのアミニズムみたいな考え方です。

スピリチュアルの場合、基本となる考え方はワンネスなので、「全ての存在が神様です」という八百万の神的な考え方と似ています。

これまでの世界は、一神教がスタンダードになっていた時期がほとんどであり、その状況は今の段階でも一応は続いておりますが、ただ、日本の場合は少し変わっていて、たとえば縄文時代や弥生時代の頃は、アミニズム的な考え方だったと言われています。

特に、縄文時代においては、遺跡から武器が一切発見されておらず、なぜ武器が発見されてないのか?と言うと、「人と闘う必要がなかったから」だそうです。

では何故、人と闘う必要がなかったのか?というと、縄文時代には、領土(農地)を所有するといった概念が無かったからだと言われています。

土地(農地)を所有するという概念が生まれたのは、縄文の後期になって、大陸から少しづつ、武器を持った好戦的な人が入って来たことにより、こちらも必然的に武装をして戦う必要が出てきて、「農地を守らなきゃいけない!」という状況になったために「所有の概念」が生まれ、次第に弥生時代に移って行ったのでは?と言われています。

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争いや苦難の背景には、一神教がある!?

そもそも、人と争うことがなかったり、喧嘩をしない人は、人生にそれほど苦しみが発生しません。

もちろん現代とは違い、当時は、子供が病気で亡くなったたり、災害で仲間が亡くなったりとか、そういった悲しいことは、今よりも多く起きていたでしょうけども、しかし、憎しみを持って殺し合わなければならない様な状況は、少なくても縄文時代には無かったことが研究により解っています。

つまり人間というものは、縄文時代の人たちの様に、人と喧嘩をしなかったから、大して苦しみが発生しないので、その結果、そもそも宗教というものを必要としなかったのではないか?と、わたしは考えています。

人は本来、戦ったり殺し合いをしなければ、一神教のような宗教は要らないのでは?ということです。

日常的に戦争が一杯起きていて、辛いことが沢山あると、人間は、何かに頼ったり祈るしかありません。

では何に祈るのか?何にすがるのか?というと、神様に祈り、すがるしか無いわけです。

つまり、戦争が多発する様になり、多くの人が殺し合うような状況が起きる様になっちゃったから、しょうがないから、人間が及ばない様な大きな力を持った「絶対的な神」という存在が必要になったのではないでしょうか

これが、今までの数千年間の間、一神教の宗教がスタンダードになっていた理由だと、わたしは考えています。

一神教の宗教は、戦争が起きるから必要だったと言えますし、反対に、一神教の宗教によって常に戦争が行われてきたとも言えます。

もちろん今日の動画は、決して色んな宗教を否定する動画ではなく、お釈迦様にしても、イエス様にしても、その教えは素晴らしものです。

ただ、現状としては、宗教が世界支配に利用されてしまっているというのも事実です。

たとえば、カトリックの「免罪符」にしても、「神様にお金払えば罪が許される」なんて考え方は、むっちゃくちゃな理論なのです。

他には、聖書の「タルムード」に関して言っても、「ユダヤ人以外はゴイム(家畜)なので、自由に殺しても良い」というとんでもない事が、聖なる書物である「聖書」に書かれてあるのです。

こういった事実から、聖書は、権力者の都合によって、幾度となく改ざんされてきたということが予想できます

そもそも、イエス様がキリスト教を作ったわけでもありませんし、同様に、お釈迦様が仏教を作ったわけではないのです。

弟子などの周りの取り巻きが、勝手にイエスを崇めてしまい、その状況を、権力者が力を誇示するために上手く利用したというのが、本当のところでしょう。

だから、本来は素晴らしい教えのはずの宗教の教義も、権力者の都合のために「神を崇拝せよ!」「神を讃えよ!」と言ったような、ピラミッド式の支配構造の概念に書き換えられてしまったのです

お釈迦様にしても、弟子のアーナンダに対して、「自分が死んでも私を奉る様な事は決してはいけないよ!」と伝えたのに、それなのに、世界各地でお釈迦様の仏像が作られ、豪華で堅牢な寺院が各所で作られ、結局は「奉られちゃった」わけです。

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平和な世なら、神を崇拝する必要はない

日本は、江戸時代に入ってから凄く平和になりました。

平和な世の中になったおかげで、庶民から見た宗教の位置づけも、だいぶゆるかったと言われています。

つまり、いい意味で「神様を崇拝してない」のが日本人なのです

日本では、どちらかと言うと、「ご先祖様を大事にしよう♪」とか「自然を大事にしよう♪」とか、そいう考え方が主流でした。

しかし、明治維新が始まってからは様相が変わってきました。

明治に入ってからは、日本に昔からあった神道に対して、ディープステート(以下DS)によって西洋から持ちこまれた一神教の概念が組み込まれました。

それを、天皇制と上手く融合させて、「国民を支配管理するための体制」として、国家神道というものが作られたのです。

では何故そうしたのか?と言うと、DSは、戦争をしやすくするための体制を作りたかったからです。

つまり、「天皇(神)の為に、命を捨てて戦おう!」という世論を作ったわけです

その結果、DSの目論見通りに、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争と、日本は戦争の世紀に突入していきました。

明治維新というと、何だか華やかなイメージがありますし、確かに西洋から色んなもの輸入して近代化出来たのは良い事だったのですが、反面、DSの支配が始まったのが明治維新だったと言えるのです。

ただ、今ここへ来て、大きな時代の転換期に入り、明治維新から続いてきた支配の構造が変わろうとしています。

その兆候としては、バチカンのベネディクト16世が生前退位したりとか、日本でも2019年に天皇が生前退位したりとか、色んな動きが見られます。

最近ですと「女系天皇」の話題がよく取り上げられることから解る通り、これからの時代は、一神教の宗教の在り方や、日本においての国家神道や天皇制の在り方も変わってくるのでは?と、わたしは考えています。

女系天皇を認めるということは、将来的には、一般人の男を連れてきて結婚させるという事になるので、万世一系を貫いてきた天皇家の根本が覆るということになりますし、そもそも、天皇家は最初から万世一家ではなないのでは?という話にもなってきます。

というわけで、これも以前の動画で話したのですが、これからは「血縁」というものに対するわたしたちの価値観も、どんどん変わっていくような気がします。

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一神教に対する位置づけが、大きく変わろうとしている

これはあくまでも、わたしの考えに過ぎませんが・・・

これから起きる大きな変化は何か?というと、「一神教の宗教に対する位置づけ」が、大きく変わるのでは?ということです。

そう考えると、これまで何千年も続いてきた時代の価値観が、一気に変わるという事になります。

今は「風の時代」と言われていますが、わたしとしては、もう少し大きな枠組みの「水瓶座の時代」のほうが、しっくりきています。

ちなみに、その前の「うお座の時代」は、どんな時代だったか?と言うと、簡単に言うと「支配の時代」だったのです。

つまり、宗教が、支配に利用されてきた時代だったと言えます。

それが、2000年間続いたのが、うお座の時代だったのです。

西暦2000年代に入り、いよいよ水瓶座の時代が到来しますが、この時に、水瓶座の時代に入るのは2013年〜とか、2016年〜という話もあり、これまた偶然とは思えない時期に、バチカンでベネディクト16世が生前退位したのも2013年だったりします。

ほかにも、一神教の宗教に絡んだ様々な変化の兆候が到るところで見られており、たとえば、去年の年末には、ドイツのカトリックの教会が「我々が400年前に行った魔女狩りで、何百人という罪のない人を処刑したことに対して謝罪したい」といったニュースが発表されました。

こういった事実をひとつひとつ拾ってみても、今が時代の変わり目だということは明らかです。

ただ、そうなると、「今までの時代は、人間が過ちを犯してきた時代だったのか?」というと、決っしてそういう事ではありません。

というわけで、これまでの「宗教による支配の時代」も、決して否定できるものではないのです。

ちなみに、みずがめ座の時代でキーワードになるのは、「公平性」「人類愛」「自由」だと言われており、今ここへ来て、わたし達人間は、やっとその段階を体験できるまでに魂が進化できたと言えます。

もちろん今後も、一神教の宗教が無くなることはないとは思いますが、これまでの宗教によくありがちだった、「神を崇拝をする」とか「神にひざまずく」とか、こういった上下関係のある様な価値観は消えていくのかな?と思います。

つまり、一神教の宗教が持つ「崇拝」「支配」「依存」という体制は、どんどん消えていくだろうというのが、わたしの予想です。

今、スピリチュアルや都市伝説の界隈では、「もうすぐ世界が驚くような物凄いことが起きるっ!」という話題があるようですが、仮に、これから世界がびっくりするような物凄いことが起きるとしたら、わたしの予想では、それは「一神教の宗教に対する位置づけの大きな変化なのでは?」と予想しています。

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人生は修行ではない

わたしたち日本人は、お正月には神社に行って、クリスマスも祝って、お盆は仏教で・・・と、宗教を柔軟に捉えることができる民族ですし、西洋と違い、日本人は、いい意味で神を崇拝していません。

崇拝していないということは、つまり、依存もしていないということです。

だから、これからは、スピリチュアルの「ワンネス的な考え方」や、「ノンデュアリティ的な考え方」が、どんどん広まっていくでしょうし、反対に、上下構造である一神教の宗教の考え方が、だんだん無くなっていき、次第に「フラットな社会」に移行するだろうと予想しています。

というわけで、今後は「宗教の在り方」が変わるのと同時に、それと連動しで、大きな戦争(世界大戦)は起きないだろうと、わたしは予想しています。

宗教が要らなくなれば、依存や支配や崇拝という価値観もなくなるので、苦しみから開放される人も、どんどんと増えてくるでしょうし、そうなると、今までよく言われてきた、「人生は修行である」とか、「人生とは苦しいものである」とういう考え方も、これからの新時代には消えていくでしょう。

つまりこれが、今まで私がよく話してきた「あらゆる価値観が変わる」という一環です。

言ってみれば、「人生は修行だ!」と思っているから、修行のような日々が続いちゃうのです。

同様に、「人生は良いことが起きた後には悪いことが起きる」と教えられてきているので、本当に悪いことが起きるのだと言えます。

しかし、別の動画でも話したとおり、本当は、悪いことは続かないですし、良いことしか続かないのが人生であり、幸せな人は死ぬまでずっと幸せなのです

同様に、「人生遊びだ!」「人生は楽しいことしか無い!」と、思ってると、ほんとうに楽しことだけになるのですね(*´∀`*)ノ

今やっと、わたしたちは、こんな風に考える事を許されるような時代になった・・・と言えるのですね。

ご視聴いただき、ありがとうございました!

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