最強の心の作り方☆心は緩ませるから強くなる!?
※このブログは2021.8.4にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
「本当の心の強さとは?」というテーマで、お話しますね〜☆
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強がるから弱くなる!?
わたしは元々、心が弱い人間でした。
しかし、そんなわたしも、今となってはかなり心が強くなったと思います☆(`・ω・´)ゞ
では、心を強くするために、わたしが何か特別な修行をしたり、心を鍛えたのか?というと、別に何もしていません。
こんな例え話があります・・・
棒を2本立てて、その棒の両側を紐で結ぶとします。
この時に、紐はなるべく「ピン!」と張っておきます。
ピンピンに張られた紐は、「ピン!」と張ることにより強度を増し、洗濯物を干したりすることが出来るようになります。
しかし、強度を増した紐に対して、誰かがカッターナイフで「ちょっん!」と触れると、どうなるでしょうか?
おそらく、「ピン!」と張ってあることによって、紐は簡単に切れてしまうでしょう。
「ピン!」と張った紐は、一見すると洗濯物を干したり出来ますし、強そうに見えるのですが、実は、カッターナイフで軽く触れるだけで切れてしまうという弱さもあるのです。
では、この紐をカッターで切られないようにするためには、どうしたらいいのでしょうか?
方法は簡単で、片方の棒に縛ってある紐の結び目を解いちゃえばいいのです☆
そうすることにより、紐はだら〜んと垂れ下がり、風に吹れるまま、フラフラとなびくことになるでしょう。
では、フラフラとなびいている紐をカッターナイフで切ることが出来るのか?と言うと、実はこれは結構難しいのです。
何故か?と言うと、フラフラと風になびいている紐にカッターナイフの刃を当てても、おそらく、スルスルと紐がカッターの歯の脇をかすめて「刃が立たない状態」になるからです(笑
そして実は、こんな状態が一番強いのです☆
これは人の心も同じで、「ピン」と心が張っている人は、その反面弱かったりします。
過去のわたしは、常に心がピンと張った状態だったので、心が弱かったです。
心が張っていると何故弱い?
心が「ピン」と張っている状態というのは、どういう状態かというと、解りやすいのが「完璧主義」です。
完璧主義の人は、言ってみれば、自分のハードルを凄く高い位置に設定しています。
その上で、「こうあるべきだ!」とか、「こうでなければならない!」と言った観念を持っています。
精神世界の勉強をされている方は、既にこういった事を知識としてはご存知かと思いますが、しかしこの話は、こういった精神世界が好きな方の中も、意外とドツボにハマりやすい構造になっているのです。
これはどういうことか?と言いますと・・・
たとえば、「わたしはたまに自分チのマンションの周りのゴミ拾ったりしてる」と、以前話したことがあります。
では、毎日そんなことやっているのか?っというと、決してそんなことはなく、気が向いた時はやるし、気が向かなければやらない・・・と、こんな感じです(笑
一方で、「徳を積む」という考え方があります。
確かに、「徳を積む」ということは素晴らしいことなのですが、ただ、それを「修行」にしちゃうと、話がおかしな方向へ行ってしまうのです。
以前にも、こんな質問をくださった方いらしたのですが・・・
「NORIさんは毎日ゴミをいくつ拾いますか?」「自分は●●個拾ってますが、これからは●●個拾えばいいですか?」と、聞いてきた方がいました。
しかし、こういう質問が出る時点で、ゴミ拾いが「修行」になってしまっているのです。
では仮に、「あなたは毎日10個拾いなさい!」と、わたしが指示をしたら、それによって「10個拾った自分は偉い」「10個拾えなかった自分は駄目だ」と、これまた、優劣で分ける二元論的な思考になってしまいます。
更には、「今日は10個拾おう!」「明日は15個拾おう!」なんて具合に、自分に「ノルマ」を課していたら、おそらくその人は、自分よりもゴミを拾ってない人を自分よりも下に見るようになるでしょうし、反対に、自分よりも沢山ゴミを拾っている人を、自分より上に観るという、上下ヒエラルキーを作ってしまうと思うのです。
これが、精神世界やスピリチュアルの界隈で起きている、初歩的な落とし穴です。
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修行は必要ありません
小林正観さんの有名なお話に、「ありがとうと何回も言うといい☆」というお話があります。
確かにこれはアファーメーションですし、同じ言葉を脳に繰り返しインプットすることによって、自分で自分の心を幸せな状態にしていくという、脳科学的なアプローチから見ても効果があるテクニックです。
しかしここで、「あの人が、ありがとうと100回言ったなら、自分は200回言うぞ!」と、この様に「もっと上を目指す!」と思った時点で、話がおかしな方向に進んでいるのです。
というわけで、「徳を積む行動」や、「ありがとうのアファーメーション」は、自分で「楽しいな」とか「面白そうだな」と思える人だけがやった方がいいのです。
ここで、「誰が沢山徳を積んでるから偉い」とか、「そんな人が霊的進化が進んでいて凄い」とか、そういうことは無いのです。
つまり、こういった「〇〇の行動を何回やりましょう」といった様なワークも、あくまでも、精神世界を知る上での、初歩的な方便なのです。
キリスト教でも仏教でも「人に愛を持って接しましょう!」とか、「人の嫌がることやっちゃいけませんよ!」と、経典では教えていますが、しかしそんなことは、一般的な日本人からすれば、最初っから心に染み付いていることなのではないでしょうか?
だから、日本人は無宗教の人が多いのです。
無宗教でも、ちゃんと倫理観とか道徳観を持ち合わせているのが日本人の特徴なのです。
しかし他の国の人は、そういった価値観を持ちあわせていない人の割合が多いので、経典によって人を律するようなルールを設けることが必要だったワケです。
その中で、初歩的な教えとして、「悪いことをしたら罰が当たる」とか、こういったことをある意味方便として教える必要があったのが、これまでの時代だったワケです。
関連記事
→ひっくり返る世界★宗教というシステムは終焉するのか!?
→日本から始まる!精神文明の夜明け(千賀一生さん著書:ガイアの法則)
本当は、あるがままでいい
本当は、無理をしてまで良い人になろうとしなくてもいいですし、無理をしてまで立派な行動を取らなくてもいいのです。
そして、こういったわたしのメッセージは、特に、こういったチャンネルを観てくださる方のほとんどに当てはまります。
何故か?というと、こういう動画を観てくださる方は、最初から一倍優しさを持っていますし、徳を積むこと、人助けをすることを、当たり前のように出来てしまう方が多いからです。
だから逆に言うと、「徳を積むこと」を義務的にしないでほしいのです。
それをやっちゃうと、さっきの紐の例えでいうところの「紐がピンと張ってる状態」になっちゃうワケです。
だからもっと紐を緩ませればいいですし、簡単に言うと、もっとテキトーに生きればいいのです(笑
自分の中のハードルをもっと下げて、ありのままの自分を許してあげればいいのです☆
たとえば、わたしは独身で自由人ですが、しかし言い換えれば、社会不適合者ですし、ロクデナシです(笑
しかしわたしは、「ロクデナシの自分」を、ちゃんと許しているのです(*´∀`*)
何処まで行っても自分を許せる人は、心がゆるゆるの状態になるから、だから、刃物で切ろうとしても、ゆるゆるだから、刃物が「スルッ」と逃げてしまい、切ることが出来ないワケです。
これが、わたしの考える「最強の心の状態」です(`・ω・´)ゞ
わたしは、色なことに対しても極力ジャッジをしなようにしていますし、極力、善悪の判断もしないようにしています。
しかし世の中には、反射的にジャッジを繰り返している人もいて、そんな人というのは、常に心がピンピンに張った状態になっています。
つまり、常に心が緊張状態なのです。
常に心が緊張していたら、それはストレスも貯まるでしょうし、そんな心持ちで人生が上手く行くワケがありません。
だからわたしは、いつも「中庸」を目指すようにしているワケです。
たとえば、人間関係においては、相手が自分をジャッジしてくることもあるでしょう。
しかしそんな場合でも、「それがなにか?」と思っていればいいのです(笑
「ありがとうございます」と、テキトーに返事だけしておけばいいのです(*´∀`*)
仮に悪口を言われても、自分で自分のことを「大したやつじゃない」と思っていれば、腹も立ちません。
しかし、自分のハードルを高い位置に設定し、紐がピンと張った状態を作っていると、何かの拍子に紐がぶちっと切れてしまうことがあります。
つまり、突然、心が折れるのです。
では、なぜ折れるのか?と言うと、硬いから折れるワケです。
反対に、ふにゃふにゃの心なら「ふにゃ」と曲がるから折れません(笑
そして実は、こんな考え方が、本当の心の強さに繋がるのですね(*´∀`*)ノ
今日もご視聴頂き、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ
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