大調和の時代へ☆宇宙の流れに任せることが人類の調和に繋がっていく!?
※このブログは2021.6.10にYoutubeにて動画公開した内容を、まとめたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
今日は、「あるがままに生きることが、調和に繋がるのです!」というお話をしますね☆
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昭和の価値観を思い出す
まずは、今回頂いた質問を紹介します☆
1)前回の動画で質問ですが、「血統の呪縛からの開放」とは、戸籍制度を廃止して、皇室も途絶えさせるのが良いという事でしょうか?
2)日ユ同祖論についてですが、人種の違うユダヤの民が日本に入ってきたのに、なぜ顔が違うのですか?
1つ目の質問は、前回の動画で「血統というものに対して軽く考えたほうがよい」と話した事についての質問だと思うのですが・・・
たとえば、昭和の時代を思い出してみてほしいのです。
わたしなんかは、子供の頃を思い出してみると、ちょっとイタズラしたら、すぐに近所のオッサンに叱られていたもんです。
よく、暗くなるまで外で遊んでいたので、全然知らないオッサンから「早く家に帰れよ〜!」と注意をされていました(笑
しかし、今の時代に同じ事をすると、下手すると犯罪になってしまいます。
最近の子供は「知らない大人と話しちゃいけません!」と教えられていますし、大人のほうも、他人の子に気安く話しかけると「誘拐犯!?」に間違えられかねないので、気軽に子供に声をかけなくなってしまいました。
しかし昭和の時代は、まだそういう風潮がなかったので、子供たちは、よく近所のオッサンやオバサンに叱られていたものです。
ただ、これは逆に言えば、「大人がちゃんと子供を見ていた時代だった」ということなのです。
つまり、自分んちの子供とか、人んちの子供とかを意識することなく、「地域全体で子供を見守る」という風潮が出来ていたのです。
わずか40年〜50年前までは、日本はそんな社会だったのです。
他には、たとえば近所の子供が、片親で、親が夜遅くまで仕事をしている様な環境の場合、その子も自分の家に呼んであげて、一緒にごはんを食べさせてあげたりしていたものです。
以前の日本には、こういった「温かい社会」が、当たり前のようにありました。
更には、江戸時代なんかは、もっと人が暖かかったと思うのです。
では、この時の「人の暖かさとは何か?」というと、「所有の概念の薄さ」や、「血縁というモノに対するこだわりの無さ」なのではないか?と、わたしは思うのです。
つまりこれは、「宵越しの金は持たねぜ〜!」といった様な江戸っ子の特有の価値観であり、「財産を所有する」とか「相続する」といったような感覚の薄さだと思うのです。
江戸時代は、「結婚制度」についても、もっと軽い感じだったそうです。
これは何故か?と言うと、「結婚制度」というものは、元々は「土地」や「財産」を血縁に相続させるための制度だからです。
というわけで、結婚制度は、一部の金持ちだけが採用していた制度で、わたしたち一般人は、「血縁」というものに対しても、「財産の所有」というものに対しても、今ほど深刻に考えていなかったそうです。
そして人は本来、こういうことに拘り過ぎないほうが、幸せを感じて生きていくことができると思うのです。
というわけで、前回の動画は「血統という呪縛から開放されましょう!」というタイトルにしたわけであり、決して「戸籍制度を廃止しましょう!」と言ったような極端なことを言ったわけではありません。
関連記事
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血の呪縛が争いを生んでいる
もちろん「天皇家を無くす」とかも、話が極端に飛び過ぎです(笑
確かに、とある予言では、天皇家は今回で最後だという話もありますし、わたしの情報源でもある「とある方」のお話によると、「もしかしたら天皇家は最後になるかもしれない」とのことですが・・・とは言っても、天皇制度そのものがなくなることは無いと、わたしは思います。
たとえば、「天皇に対する位置付け」は、これまでも何度か変わってきています。
戦時中は、天皇は神様だったわけですし、あの体制も、明治維新以降にそういう体制を作ることによって、周りの取り巻きが、自分たちのやりたいように政治を動かしてオイシイ思いをする・・・という意図があっての仕組みだったと言えます。
その後、敗戦によってGHQが介入し、天皇は神様ではなくなりましたが、だからと言って、天皇制がなくなったわけではありません。
というわけで、今後も、天皇制の「位置づけ」だけが変わるのかな?と、わたしは考えています。
その一連の流れとして、現在の天皇制を変更させるための手段として、海の王子の問題が、いま浮き彫りになってきているのでしょう(笑
次に、「人種の違うユダヤの民が日本に入ってきたのになぜ顔が違うのですか?」という質問については、人種が違うので顔が違うのは当然ですが(笑)
それ以前に、日本は多民族国家であり、多くの民族が混血しています。
いくら日ユ同祖論を語ったところで、本当のところは、何度も混血が繰り返されており、血は混ざりあっています。
そのうえで「血統」という、言ってみればしょーもない事に拘っている人たちが、いま世界を動かしているのです(笑
しかし、こういった「血の呪縛的なこと」に対する拘りは、本来は、わたしたち一般人に関係のないことです。
同様に、中国や韓国を嫌う風潮や、逆に、中国や韓国が日本人を嫌うな風潮も、意図的に作られているにすぎません。
しかし、世界の根本の仕組みが解らないと、メディアの情報にまんまと乗せられ、お互いにいがみ合うような状況を、自分から作ってしまうのです。
これも、血統(血筋の違い)によって争うように仕向けられてた「血の呪縛」です。
というわけで、これからの時代は、「血統」というものに縛られるのではなく、もっと「調和」を大事にした時代に向かうしかないと思うのです。
もちろん、「調和を大事にしましょう!」とは言っても、あと数年で、金融システムが無くなるとも思えませんし、明日すぐに社会の体制が変更されるとも思えません。
わたしも、よく「縄文回帰が大事」とは話していますが、映画「美しき緑の星」の様に物質文明を捨てて、皆で大自然と共生して暮らしましょう!という話をしているわけではなく、つまりは「気持ちの問題」なのです。
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調和を意識した働き方
たとえば、仕事をするにしても、今までなら、「どうやって客から1円でも多く取ってやろうか!?」と考えていたのを、「調和の気持ち」を持って仕事をするだけで、仕事のやり方も変わってくると思うのです。
では、わたしたちに出来ことは具体的に何があるのか?というと、たとえば、大手のチェーン店を利用するよりも、なるべく個人でやっているお店のサービスを利用するという方法があります。
こういう考え方も「調和の社会」に繋がるのです。
もう少し詳しく説明しますと・・・
たとえば、生活に必要なお買い物も、なるべく、知り合い、友達がやっているお店から買うようにします。
今までなら、ついついネットで値段が安い店を探して買ったり、何となく近所の大きなチェーン店で買ったりしていましたが、少々値段が高くても、なるべく、友達の店とか知り合いの店を利用するわけです。
わたし自身も、今は、なるべく友達のやっている店で買い物をするようにしています。
以前は、なんとなく近所の大きな病院に通っていましたが、しかし今は、趣味のサークルで知り合った、個人経営の小さな病院に通っています。
車のオイル交換も、ディーラーに頼むのではなく、友達が一人でやってる工場に頼みますし、車を買うにしても、ディーラーから買わずに、知り合いに頼んでオークションで引っ張ってもらったりしています。
床屋に行くにしても、昔からの知り合いの老夫婦がやっている店に行きますし、飲みに行くにしても、友達がやってるスナックに行きます。
逆に、友達から、ロゴのデザインやホームページの制作を頼まれたら、気軽に引き受けたりしています。
こんな感じに、なるべく、知り合い、友達、知人の間で、仕事を回すようにしています。
もちろん、生活必需品の全部を、知り合いの店で済ますのは不可能です。
これは、あくまでも「気持ち」の問題です☆
そして、こんな感じに、内輪で仕事を回していると、「調和って、こういうことなんだ☆」というのが、だんだんと解ってくるような気がします。
つまり、お互いが、各々持ち合わせた天命を、ただ提供し合うようなイメージで、仕事を回し合うわけです。
そして、理想を言えば、ここに「金銭を発生させない」のが、本当に進化をした「調和の社会」だと思うのです。
もちろん、そうは言っても、すぐには、そんな世界を作るのは無理なので、まずは気持ちのうえで「お互いに提供し合う」という感覚を持てるように「内輪で仕事を回す」というスタイルをオススメしているわけです。
ただ、こういう話をすると、「わたしに向いている仕事は何だろう?」とか、「わたしが天から与えられた役割は何でしょう?」と、悩んでしまう方も多いとは思いますが・・・
本当は、「あるがままに生きる」のが、それが天命なのです☆
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あるががまに生きれば調和の社会が作れる!?
実は、各々が天命に従い、あるがままに生きたほうが、本当は調和のとれた社会になるのです。
では、各々が天命に従い、あるがままに生きることによって、なぜ調和に繋がるか?という話しのヒントとなるような例え話をします。
たとえば、人間の体は、何十億もの細胞で出来ています。
一口に、細胞と言っても、「目」を作っている細胞あれば、「口」を作っている細胞もありますし、手の先の「爪」を作っている細胞もあれば、「髪の毛」を作っている細胞もあります。
目の細胞は、生まれついてから「見る」という役割(個性)を持っています。
というわけで、口を作っている細胞が、目の細胞のマネをして、物を見ようとしても、それは無理なのです。
反対に、目の細胞が「わたしも歯の細胞になって食べ物を噛んでみたい!」と思っても、それも無理なのです(笑
この様に、本来の「あるがままの自分」ではない、何者かになろうとしてしまうことが「天命から外れる」ということであり、天命から外れたことをしようとすると、そこに苦しみが生まれるのです。
しかし、人間の体の場合は、細胞の一つ一つがちゃんと天命に沿って生きているので、だから人間の体は、こんなに複雑な構造なのに、ちゃんと上手く機能しているわけです。
これが、「あるがままに生きる」ことによって、「調和に繋がる」ということです。
というわけで、自分の天命が解らない時は、逆に、流れに任せるのが一番ラクだったりします。
つまり、宇宙におまかせしちゃえば、意外と、本来の天命に導かれるものなのです。
しかし多くの人は、「わたしも芸能人になりたい!」とか、「スポーツ選手になりたい!」とか、「お金持ちになりたい!」とか、「あの人みたいになりたい!」と思ってしまうわけで、これが苦しみの始まりなのです。
では何故「何者かになりたい!」と思ってしまうのか?というと、人間だけに「自我」というものがあるからです。
わたしたちの魂は、本来は、人間の体の細胞ひとつひとつの様に、各々の天命の様なものがあります。
ただ、天命というと、特別な才能であったり、自分が得をする特技の様に捉えられてしまいがちですが、本当は、そういうことではありません。
たとえば、わたしなんかは、生まれつき体が弱くて体力がありません。
しかし、わたしのまわりには、すごく体が丈夫で、運動神経も良くて、体力のある奴がたくさんいます。
ただ、そうい人は、ちゃんと自分の体力を活かした仕事をしています。
逆に、彼らに言わせると、わたしの様に1日中パソコンの前に座りっぱなしの仕事ができることが不思議な様で、彼らからすると、パソコンの前に座りっぱなしという状態は、拷問の様に感じるそうです(笑
この様に、各々に天命(個性)があり、これは皆んな違うわけです。
そして、各々生まれ持った天命に正直に生きれば、本当は、地球上の人類全体が「ひとつの生命体」と言えるような状態になれるのです。
つまり、人間一人ひとりが、地球意識を織りなす細胞のひとつひとつのように生きることが出来れば、わたしたちは、地球と共にワンネスに近づいていくことが出来るのかな?と思うのです。
もちろん、各々が、何かの目標を持って頑張ったり努力をするのも、それはそれで美しい生き方ではありますが、しかし、そういう生き方に疲れてしまったり、いま苦しさを感じているのなら、一度、宇宙の流れに身を任してみはどうでしょうか?
実は、こんな考え方が一番ラクに生きるコツでもありますし、それが結局調和に繋がり、皆んなが幸せになることになるのではないか?と、わたは思います。
今日もご視聴いただき、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした☆
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