我慢や苦労は美徳ではない!
- 2017.05.23
- 仕事とかお金のお話
こんにちは、NORIです☆
今日の記事は日頃頑張りすぎてしまう方に向けて「もう我慢しなくてよいのですよ!」というお話をさせていただこうと思います。
ちまたでは、我慢や苦労をすることが成功に近づき、幸せになることように言われていますが、実はこれは間違いです。
本当に幸せに成功をしたいのであれば、我慢や苦労というのは、望んでするべきではありません。
それでは、人生に、我慢や苦労が必要ない理由を、詳しく解説していきますね☆
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我慢や苦労は美徳ではない。自ら苦労をしてはいけない。
苦労なんてしなくてよい。
もう、我慢なんてしなくてよいのですよ!
こう書くと、団塊世代の精神論で凝り固まった頑固親父から批判の声が殺到しそうですね(笑)
特に、50代以上の人たち・・・
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」
とか、
「辛いことに耐えなければ、幸せになれない」
とか・・・
こんな考えの方が非常〜〜に多いです!
はっきり言います・・・・
苦労や我慢からは、何も生まれません。
苦労して苦労して、苦労し続けていれば、いつかは幸せになるんじゃないか・・・なんて考えて苦労する生活を送っていても・・・
いづれ年を取り、苦労したまま死ぬだけです。
辛いことを我慢して、我慢し続けて、この我慢を乗り越えれば幸せが来る・・・なんて考えている方・・・
我慢して、我慢し続けても、その先にあるのは、我慢し続けたことにより、ムダな時間を過ごしてしまった事実と、我慢し続けたことにより疲弊したまま死んでいくだけです。
もし、あなたの周りに本当に幸せな人がいるとしたら、その人に聞いてみてください。
「若い頃、苦労しましたか?」と・・・
その人が、「若い頃はものすごく苦労したけど、今は幸せだ」。
と、答えたとしたら、その人は若い頃に苦労したから幸せになれたのではありません。
その人は、苦労や我慢をするのを辞めたから幸せになれたのです。
さらに、こんな人もいるかもしれません・・・
「自分は若い頃ものすごく苦労した。だからお前も今は苦労すべきだ!」
と、こんな事を言う人がいたとしたら、その人は、今も昔も不幸なままの人です。
本当に幸せな人というのは、若い頃から特に苦労や我慢をしていない人なのです。
しかし、ここで勘違いしてほしくないのですが、それは「生まれた環境が恵まれていた」という事ではありません。
昔から幸せな人というのは、生まれつきの性格や親からの教育で、我慢や苦労は、はなから人生に必要ないと考えていたり、他の人から見たらその人が我慢や苦労をしているように見えても、本人はそれを我慢や苦労と感じていない人なのです。
つまり、我慢や苦労とは、自分自身が我慢や苦労と感じるかどうかなのです。
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ブラック企業は「我慢や苦労」を美徳と捉える日本の国民性から生まれた
ブラック企業は日本では社会問題になっていますね。
最近ではブラックバイトなんて言葉もあり、バイトですら、ブラックが存在するのです。
しかし、みなさんはこれから書く事実を知っているでしょうか?
実は、ブラック企業って日本だけなんですよ。
海外には、ブラック企業なんて言葉は、そもそも存在しません。
ではどうして、海外ではブラック企業という言葉がないのでしょうか?
理由は簡単で、海外では、仕事が辛かったら簡単に辞めちゃうし、社員が団結して仕事をボイコットしたりするからです。
海外では、空港職員のデモにより、空港が1週間機能停止する、とか、地下鉄職員がデモを起こし、地下鉄が1週間止まる・・・なんて事がフツーに起きます。
それが不思議と日本では、こういう事は起きません。
これは日本人の真面目すぎる性格が原因です。
自分が仕事を辞めたら、会社に迷惑がかかる。
日本人の多くはこう考えてしまうのですね。
そのため、つらい仕事でも嫌々我慢しつづけて、最終的には自分自身が壊れてしまうのです。
しかし、自分自身が壊れてしまったら、わたしたちの人生は本末転倒なのです。
なぜなら・・・
わたしたちがこの世に生まれてくる理由は「幸せになるため」だからです。
わたしたちは自分自身を幸せにするために生まれてきます。
幸せになるのは「権利」ではなく「義務」なのです。
そして、自分自身が幸せになれたら、そこから、他人にも愛を与えて、他人の幸せを願うのです。
この考え方を、仕事に置き換えると・・・
会社やお客さんに迷惑がかかるから、嫌な仕事を我慢し続けてやる。
という考え方は、自分は不幸になってもいいから、他人を幸せにする。と、言っているのと同じです。
しかし、聖書にもそんなことは書いてありませんし、釈迦も「自分を犠牲にして他人を幸せにしろ」なんて事は一言も言っていないのです。
わたしたちは、まずは、自分が幸せにならなければならないのです。
順番で言うと「1.自分」「2.他人」です。
我慢や苦労は、美徳でも何でもなく、自分自身をいじめる間違った考え方なのです。
「苦労し続ければ、いつか幸せになれる」は、間違い
では、どうして、わたしたちは、「苦労や我慢」を美徳と感じてしまうのでしょうか?
それは、日本の間違った教育が原因だったのです。
わたしたちは、子供の頃から「苦労や我慢」をすることが、立派な大人になる為に必要だ、と間違った知識を、ずっと学校や親から教えられてきました。
体育の授業では、炎天下の中、校庭を何周も走らされたり、漢字の書き取りの練習だと言って同じ漢字を何回もノートに書かされたり・・・
こんな意味不明なことを教師たちは疑いもなく「教育」だと言って生徒に指導してきました。
その結果、「我慢や苦労」が出来る人が「大人」であるという風潮になってしまったのです。
たしかに、「我慢強い人」は、嫌な仕事に耐える事ができ、会社からは重宝されるでしょう。
しかしそれは、あくまでも「企業」という利益を上げる為の組織から見たら、「我慢強い人は従業員として使いやすい」という企業側から見た人間の評価です。
しかし・・・
我慢しながら嫌な仕事を耐え続けているその人自身の心はどうなるでしょうか?
そんな生活を続けていたら、いつか身体が壊れてしまいますし、精神的にもおかしくなってしまいます。
残念ながら、我慢や苦労を続けても、その先にあるのは、同じように我慢や苦労をし続ける辛い日々だけなのです。
我慢や苦労の先には幸せはやってきません。
我慢や苦労の先にあるのは、限られた人生の時間を「我慢することに使ったしまった」という事実だけなのです。
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最後に
今日は、「我慢や苦労は美徳ではない! 嫌なら辞めればよいのです。」という記事を書いてみました。
もしあなたが、今の人生で物凄く我慢や苦労をしているとして、その状況から逃げ出すことが出来るのであれば、今すぐにでも、その「我慢や苦労」を辞めましょう!
人生は有限で限られた時間しかありません。
人生で大切なのは、生き続けていくその過程です。
その人生の過程を、我慢や苦労で使ってしまうのは、とても、もったいない事をしているのです。
わたしたちは幸せになるためにこの世に生まれてきたのです。
私たちが幸せになることは「権利」ではなく「義務」です。
この世に生まれてきた以上、わたしたちは幸せにならなければならないのです。
今この瞬間から、幸せで楽しい人生を送ることが大切なのですね♪
わたしは、皆様が幸せになることを願っています。
読んで頂きありがとうございました☆
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