病気と戦う?病気を受け入れる?病気に対する心構えや考え方のお話

病気と戦う?病気を受け入れる?病気に対する心構えや考え方のお話




※このブログは2021.2.22にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

今日は「病気」というものに対しての、わたしの考えを話そうと思います☆

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「病気と戦わない」という選択

今回、同じ様な質問を何件か頂いていますが・・・

「病気になることに対する恐怖心」や、「死に対する恐怖」と、どう向き合うか?

結構多くの方が、これで悩んでいる様です。

ちなみに、わたし自身も病気持ちなので、お医者さんに言わせれば、決して健康体ではありません。

ただ、わたし自身は、自分の病気のことに対して「まったく気にしていない」というのが本心です(笑

この動画を観てくださる方の中にも、なんらかの病気を持っている方は居るかと思いますし、言ってみれば、40代以上にもなれば「体の何処にも不調がありません☆」という方のほうが少ないでしょう。

現在の西洋医療は決して完璧ではなく、すべての病気を治せるワケじゃないというのは、皆さんもご存知のとおりです。

中には、薬を飲むことによって、薬の副作用で症状が悪化しちゃいました!なんて場合もあるでしょう。

ただ、今日の話は、決して、西洋医療の持つ闇の部分や、陰謀論的な話をしたいのではありません。

今日、皆様にお伝えしたいのは「病気と闘わない」という考え方もあるのだということです

たとえば、うちの父親は癌で亡くなっていますが、生前は、病気と物凄く戦っていました。

何年もの間、抗癌剤治療、放射線治療、数回に渡る手術を繰り返し、治療の為に膨大な時間とお金を使ってきました。

でも、人間は、助からないときは助からないのです。

では、残された人生を病気にフォーカスして、病気と戦いながら苦しんで生きるのか?

それとも、痛み止めなどの最低限の処置はするとして、あとは、お酒を飲んだり、趣味などの好きなことをして楽しく生きるのか?

このどちらを選びますか?という事なのです。

わたし自身は後者の生き方を選択したいと思っています。

ちなみに、以前の動画で、「薬を飲むのをやめました!」という話をしましたが、結局、症状が再発しちゃって、今また薬飲み始めています(笑

しかし、わたし自身、病気の症状が再発したことに対して、一切、落ち込んだり、ネガティブになっていませんのでご安心ください☆

たとえば、西洋医療を物凄く否定をする考え方があります。

西洋医療と陰謀論を結びつけて「悪魔の医療だ☆」なんて過激なことを話す方もいらっしゃいます。

もちろん、そういった一面も実際にあるのも事実で、ある意味、医療と製薬の世界はビジネスになっていると言えます。

しかし、わたしとしては、そういった両極端的な考え方はしたくないのです・・・

 

西洋医療と陰謀論

たとえば、癌になっても、西洋医療的な治療はせず、自然療法だけで治す方もいますし、わたしの様に、一応は薬は飲むけど、あとは好き放題生きる☆なんて方もいるでしょう。

「製薬を飲む」ということは、つまりは「副作用も受け入れる」ということであり、薬を飲むということは、「毒をもって毒を制す」という考え方です

しかしその一方で、薬によって痛みを抑えられるので、心の方は、ポジティブで上機嫌になれます。

反面、西洋医療や、製薬業界の闇の部分を否定して、薬を飲むのを辞めて痛みを我慢していたら、心の方は、ポジティブで上機嫌にはなれません。

だから、わたしとしては、よく陰謀論で言われているような、西洋医療を全否定する様な考え方していません。

つまり、西洋医療には必ず副作用があるので、その部分と、どう折り合いをつけるか?という話です。

だから、わたしの場合は、痛みを抑えてるために最低限の薬は飲むのですが、そのかわりに、お酒も飲みますし、夜ふかしもして「楽しく生きる」という選択しています。

これが、わたしの「病に対する考え方」なのです☆(*´∀`*)ノ

もちろん、この考えを、皆さんに押し付けるわけではありません。

この動画を観てくださる方は40代、50代の方が多いので、皆さんも、どこか体の調子が悪い所はあると思います。

自分の体を、まるで機械を修理するといった感じに、「不調な部分を完璧に直してやろう!」「病と徹底的に戦うんだ!」といった考えも、もちろんアリだとは思います。

実際、わたしの知り合いや、同級生にも、癌になった人は何人もいますが、放射線治療をバンバンやったおかげで癌が治り、今は何事もなく元気で生きている人も居ます。

その人達は、「病気と戦って勝つことが出来た」、そんなタイプです。

ただ、今日お伝えしたいのは、決して、戦うだけが人生じゃない☆という話です。

うちの父親なんかは、「病気と戦って負けたタイプ」だと言えます。

だから、ある程度、病気を受け入れる部分は受け入れるとして、残された人生を、好きなことをして幸せに楽しく暮らすという選択もあって良いと思うのです☆

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死なない人は居ない

そもそも人は、100%全ての人が、いつかはあの世に還りますし、死なない人なんて誰ひとりいません。

だから、あの世に還ることを「怖いことだ」と、思うほうがおかしな話なのではないでしょうか?

この辺は、スピリチュアルな不思議な話になってきますので、なかなか信じられない方もいるとは思いますが・・・

肉体を脱ぎ捨てるということは、今までやっていた、オンライのRPGゲームの電源を切って、ゲームを辞めるというだけです。

だから、いろんな宗教でも「目覚めよ!」ということがキーワードになっていて、結構同じことが言われているのわけなのですが、「目覚め」とは、「今の現実はRPGのゲームだった!」と気づくことだと、わたしは考えています。

更に言うと、「目覚めたままゲームを続ける」という方法もあり、それがつまり「悟って生きる」ということです

これが出来ると、生きる事がすごくラクになるでしょう。

もうひとつ頂いた質問で、「死ぬ瞬間は痛みはないのですか?」という質問も頂きましたが、これについては、今の科学である程度の事は解ってきている様で、動物や人間が生命活動を終了するときは、エンドルフィンというホルモンが出て、痛みを感じないようになってるそうです。

だから、逆に言うと、痛みを感じているうちは、まだ死なないということになります。

このときに、仮に、傍から見て、本人が苦しんでいる様に見えたとしても、本人は、脳内から痛みを麻痺させるホルモン(エンドルフィン)が出てるので、実際は痛みを感じていない・・・ということだそうです。

わたしも、父親が亡くなる時など、人が亡くなる瞬間に立ち会ったことは何度かありますが、治療をしている時は確かに苦しそうな顔をしていましたが、あの世に行く瞬間は、とても穏やかな表情をしていました。

認知症についての考え方

以前にもお話したかもしれませんが、認知症について、わたしが一番しっくりきている考え方は、小林正観さんの著書に書かれてあった話です。

静観さん曰く、人は、自分の命が尽きることに対する恐怖心を取り除くために、自分自身で、自分が死に向かっているということを解らなくするために、人によっては「認知症」という症状を発症して、死の恐怖から解消されようとしているのではないか?という事だそうです。

確かに、認知症になれば、その人自身は苦しみから開放れるわけです。

何故かと言うと、認知症になった本人は、自分が認知症だということがら解らないからです。

だから、認知症になられた方を見て「可哀想だ」と思うのは、それは、そう思う人のエゴであり、本人は、別に可哀想ではありません。

毎日毎日「体が絶好調です!」なんて人は、ごく少数しかいません。

誰でも若いうちは毎日絶好調ですが、40歳も過ぎれば、誰にでも不調な日が多くなってきます。

しかし、体の調子が悪い日があるから、たまに、体の調子が良い日があると、調子の良い日に対して感謝ができるようになるのです。

ちなみに、感謝の気持ちを感じている時というのは、かなり波動が高まっている状態だそうです。

そのため、ありふれた日常に対して感謝を忘れていると、感謝を思い出させるために病気になる・・・ということもある様です

だから、体の調子が悪くなったときは、「今のこの調子の悪い状況は、これから調子が良くなる前兆であって、調子が良くなったら、調子が良い状況に対して感謝ができるように、今こうして調子が悪い状態を経験しているんだ」と、考えれば良いと思います。

今日もご視聴いただき、ありがとうございました。

スピリチュアリストのNORIでした☆(*´∀`*)ノ

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