カッコつけるから苦しくなる!自分を大した奴だと思わない生き方☆完璧主義を捨てよう!
※このブログは2021.7.1にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます☆
今日は「格好つけるのをやめよう!」というお題でお話していきますが・・・
まずは、今回頂いたご質問を紹介しますね♪
断ることについての罪悪感について
ノリさんこんにちは、いつも読んでます。
何か不安なことがあるも、こちらのブログに来て心を落ち着かせることにしてます。
ありがとうごさます。
わたしはノリさんと同じグラフィックデザイナーなのですが、仕事の依頼を断ることがとても苦手です。
断れば次はないんじゃないか?
その人に嫌われるんじゃないか?と考えてしまうのです。
仕事内容が、自分には荷が重そうで、過去に受けてしまった大変な思いをした仕事に似ているなと連想してしまうような感じだと、断りたくなります。
断れば前述したような罪悪感にみまわれ、受けたら受けたでやはり大変な仕事で、とてもストレスになります。
でも、逆に無理に受けてみたら、心配しすぎてたな、案外楽な仕事だったし新しいことができて新鮮だった、ということもあります。
ノリさんがいうように、のびのびと楽しく生きられるように、仕事を減らして、好きなことの副業も始めましたが、この悩みは消えません。
すごいアーティストが書くような絵を描いて欲しいと言われたのですが、ギリギリ無理したら描けそうだけど、面倒な修正などが沢山来たら嫌だと思い断ってしまいました。
でも、、の繰り返しです。
損して得を取るべきなのでしょうか?
どんな考え方をすれば、断った人に後味がなく断れるのでしょうか?
また、面倒そうな仕事でも、受けたら新しいわたしが開花するなど考えたほうがいいのでしょうか?
どうか回答よろしくおねがいします。
というご質問をいただきましたが・・・
今日の話は、もしかしたら、この方の質問のお答えにならないかもしれないですが、こういった場合の苦しみの根本原因は何か?と言うと、おそらく「断ることの罪悪感」と言うよりも、「完璧主義」にあるのではないか?と、わたしは思うのです。
そんなわけで、詳しく解説していきますね!
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「自分は大したやつじゃない」と思えばいい
わたしは、別に仕事で失敗してもいいと思っていますし、それが原因で、次の仕事が来なくなってもいいと思うのです(笑
実際、「仕事に失敗したから〜」とか、「デザインの出来が悪かったから〜」と言った理由で、「その人に仕事を頼むのをやめよう!」とクライアントが考えるパターンなんて、意外と少ないのでは?と、わたしは思います。
それよりも、これまでの付き合いで「この人に頼みたいからその人に仕事を出す!」というパターンや、「これまで何年も一緒に仕事してきたから、その人に頼もう!」というパターンの方は多いのでは?と思うのです。
その上で、受けた仕事はバッチリこなすぞ(`・ω・´)ゞというマインドも確かに大事だとは思うのですが、ただ、そもそも、人は完璧な仕事なんて出来ないのです。
もちろん、わたし自身、この方のお気持ちはものすごく解ります。
仕事を頼まれたからには、「常に最高のモノを出さなきゃいけない!」と、以前は思っていましたし、「クライアントを喜ばせることが出来なければプロではない!」と思っていた時期もありました。
しかし、コロちゃんが来た辺りから、この考え方も少々変わってきました。
これからは、おそらく「仕事のあり方」「お金のあり方」、この辺りの価値観体型は総変りしてくると思います。
もちろん、そんな中でも上昇志向を持って、目的に向かって突っ走るような生き方も全然格好いいと思いますし、それも素敵な生き方だとは思います。
しかし、わたしとしては、そもそも「自分は大した奴じゃない」という考えが根底にあるので、仕事に関して言っても、100%完璧にこなすことなんてそもそも無理だし、結果的に80点くらいの仕事しか出来なくてもしょうがないと思っています。
普段から話しているとおり、わたしは学生時代に学校の勉強も全然してこなかったですし、そもそも病弱だったので、小学校や中学も、あまり行ってません。
精神世界の事も、本を読んでちゃんと勉強するようになったのは、まだここ数年前のことですし、言ってみれば1ミリも努力をしていないのです。
それでも、こんなに沢山の方がわたしの動画をいつも観てくださる状況は、言ってみれば奇跡的ですし、更には感謝の言葉までいただける今の状況は、奇跡中の奇跡なのです。
というわけで、わたしとしては、「成功」というものは、決して努力の先にあるものでもないと思うのです。
もちろん、努力をすることによって、実際に成果も出ると思います。
ただ、ここで皆様にちょっとお伝えしたいのは、努力と言う言葉の「本来の意味」です。
努力の「努」は、力の上に奴隷の「奴」が乗っかっています。
更には「怒」という字の上にも、奴隷の「奴」が乗っかっていますが、本来、「努力」という言葉の意味は「奴隷状態である」ということなのだそうです。
つまり、本来の自分の意志ではないことを、やらなければいけないような状況にあること・・・が、「努力」なのです。
そして、努力をすると「怒り」が出てくるわけです。
これが、本来の「努力」という言葉の意味だそうです。
もちろん現在は、そのような意味合いで「努力」という言葉は使われてはいませんが・・・
というわけで、スポーツ選手や、ミュージシャンなど、好きなことを仕事にしている方が「私は凄い努力をしてます!」と言っていたとしても、目標を達成するための練習や鍛錬を自主的にやっていたのなら、本当は、それは努力とは言わないのですね。
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→努力・頑張る・義務・我慢を手放す時代の到来!!
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世の中には普通の人間しかいない
わたしたちは、言ってみれば「社会的役割」を演じているだけであり、自分で生きているつもりでも、自分では生きてないのです。
世の中には、本当に優れた頭脳を持った方、特殊な才能を持っている方もいますが、しかし彼らも、本当はそういう役割を演じているだけであり、そこに優劣はありません。
わたしなんかは、以前は仕事の打ち合わせに行くだけで緊張していた時期もありました。
「お客さんと上手く話せるかな?」と心配し、ガチガチになっていた時期もあったのです(笑
しかし今となっては、そういうのも無くなってきたのですが、では、その様なマインドになれたのは、わたしの心境がどの様に変化したからなのか?という理由をお話しますと、簡単に言うと「別に失敗してもいいや!」と、思えるようになったからです。
つまりは、自分のハードルを、最初から下げまくっているわけです(笑
最初からハードルを下げておけば、仮に失敗しちゃったとしても、「まっいいか!」と思えますし、逆に、上手く行ったりすると「ラッキー☆」と思えるものです。
というわけで、「自分は大したやつじゃないし、そもそも何者でもない!」と思っていると、意外とラクに生きられます☆
ただ、ここで注意したいこととしては、「自分は大したやつじゃない」と思うことにより、自己肯定感が下がってしまう方もいるかも知れないので、この言葉は、極端にネガティブに振れてしいまっている方には響かないかもしれません。
ただ、言ってみればこの地球上には、「大した奴じゃない(普通の人間)」しかいないのです(笑
一見、能力が高く見える様な人でも、その能力が、今の社会システムのルールの上で、たまたま上手く機能していただけでなのです。
本来、人間なんて皆んな一緒で、優劣はありません。
言ってみれば、空っぽの「器」の中に各々の意識が入っていて、各々の人生の役割を演じているだけであり、誰が優れていて誰が劣っているかなんて「差」は無いのです。
その証拠に、あの世に還れば皆んなワンネスですしね(笑
というわけで、「あなたは、そのままの状態で、あるがままで生きればいいですよ!」という、いつもの話になるわけです☆
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よく、ホリエモンが著書の中で、「皆んなも俺みたいに徹底的に努力をすれば、ちゃんと結果が出せるはずだ!」と語っていますが・・・わたし自身、それは絶対に無いと思うのです。
何故か?と言うと、努力が好きな人というのは、簡単に言うと「生まれつき努力家である」という個性を持って生まれてきているからです。
実際、基礎体力だって生まれつき皆んな違いますし、持久力や、集中力、知能指数だって、皆んな違うわけです。
それなのに、今の世の中は「ストイックでなければならない!」と言ったような風潮がスタンダードになっているので、だから、わたしとしては、正反対の生き方(ストイックでなくてもいいじゃん♪)という生き方を推奨しているわけです(笑
今日もご視聴頂き、ありがとうございました☆
スピリチュアリストのNORでした(*´∀`*)ノ
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