アイデンティティとは何か?「自分探し」で本当の自分は見つかりません
※このブログは2021.7.28にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
今日は「アイデンティティ」や「自分探し」について話そうと思います☆
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「もっと凄い自分」を探していませんか?
アイデンティティと言うと、多くの場合で、自分に色んな付加価値を付け足していった状態を、「これがわたしのアイデンティティです!」としちゃいがちですが、実はこれは逆だったりします。
本当は、自分から色んな要素をどんどんと取り除いていって、最後に残ったのが「本当のあなた」であり、それがあなたの「アイデンティティ」なのです☆
たとえば、少し前に「自分探し」というワードが流行りました。
特に若い子が「自分探し」というワードに敏感に反応して、ヒッチハイクで旅に出てしまったり、バックパッカーになって海外を放浪してみたりしたようですが(笑
しかし本当のことを言うと、こういった「自分探し的なこと」をしても、本当の自分は見つからないのです。
もちろん、一人旅をするのが意味がないということではなく、ヒッチハイクやバックパッカーが楽しいと思うのなら、全然やればいいのですが、しかし、それらと自分探しはリンクしていないということをお伝えしたいのです。
わたしも若い頃はそうだったのですが、「今の自分ではない本当の自分があるはずだ!」と思っていました。
では何故わたしがその様に考えていたのか?と言うと、当時の自分が、周りと比べてあまりにもショボいと感じていたからです(笑
たとえば、当時自分がやっていた仕事にしても、生活環境にしても、周りにいる人間関係にしても、「こんなの本当の自分じゃない!」と、思いたかったのです。
スピリチュアルな情報発信されている方の中には、全ての人には「使命」や「天命」といったような、「天から与えられた人生の目的がある☆」と話す方がいらっしゃいます。
こういう話も確かにそのとおりなのですが、しかし、この話も上手く伝えないと誤解されがちです。
何故か?と言うと、「天命」や「使命」のお話を聞くと、「今の自分を取り巻く状態は間違いで、本当はもっと素晴らしい自分を取り巻く環境が、天命によって与えられてるはずなんだ!」といった感じに誤解をされてしまうからです。
たとえば、「自分は、本当はプロのサッカー選手になるべく宿命を与えられた人間なんだ!」とか、「本当の私はプロミュージシャンとしてデビューすべき宿命を与えられているハズだ!」と言ったような、何処かに、今の自分ではない素晴らしい自分がいるはずだ!と誤解をしてしまいがちだからです。
もちろん、誰もが「本当はもっと凄い自分がいるはず」と思いたいい気持ちもわかります。
しかし、わたしの意見を言うと、それは大きな勘違いです。
使命や天命の誤解
たとえば、わたしの知り合いに、こんな人がいます。
その人には二十歳くらいの一人息子がいるのですが、生まれながらに重い障害を抱えていて、ずっと寝たきりです。
言葉も「うー」とか「あー」くらいしか話せませんし、常に鼻にホースが刺さっていて、おそらく、一般的な健常者のように何十年も生きることは出来ないでしょう。
では、そういう人の人生の使命や天命はあると思いますか?
先天的に重い障害を持った、寝たきりで言葉もしゃべれないような子にも、人生の使命や天命があるのだとしたら、それはおそらく、動かない体、話すことも出来ない状態で「両親に面倒を見てもらう」というのが、その子の天命であり使命だと言うことになるでしょう。
以前に紹介した津留晃一さんもこれと同じ事を話されていて、先天的な障害を持った方は、両親の魂が生まれてくる前に決めた「障害を持った子供の面倒を見たい」という、魂の意思の合意の元に生まれてくるのだそうです。
これについては、小林正観さんも同じことを話されています。
というわけで、「全ての人には何らかの天命や使命がある」という、スピリチュアルでよく聞くこの話も、ある意味正解なのですが、天命と言っても、それは決して「活躍してお金が稼げる状態」であったり、「人のためになる様な立派なことをする」という状態になるのが目的ではないのです。
つまり、ミュージシャンやプロスポーツ選手になって「有名になる」とか、「異性にモテる」とか、「皆んなから好かれる」といったような状態になることが、必ずしも天命ではないのです。
しかし、多くの人は、そこを目指そうとします。
誰もが、人よりもお金を稼ぎたいと思っていますし、人気者になりたいと思っていますし、健康で幸せに生きたいと思っています。
そして、そんな状態を目指そうと、今の自分に色んな付加価値を付け足していこうとするわけです。
たとえば、勉強をして色んな知識を身に着けたりとか、様々な人生経験をして経験値を身に着けたりして、どんどんと「自分」というものを盛っていこうとするわけです。
もちろん、それによって人格は成長するでしょう。
しかし反対に、自分に付加価値をつけていくことによって、「本来のあなた」という部分がどんどん隠れていってしまいがちになるので、ここが難しいところなのです。
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社会的役割と本当の自分
人は、大人になって社会的な役割が大きくなればなるほど、本来の自分を見失いがちになります。
たとえば、会社で出世して役職がついて部下が何人も出来てくると、立場的に「他の社員よりも立派でなければならない」と思いがちになってしまいます。
実際、わたしが昔勤めていた会社にもそんな人がいたのですが、その人は、それまで平社員だったのですが、ある日「次長」という役職が与えられました。
その人は元々はひょうきんで面白い人で、言ってみれば社内のムードメーカー的な存在だったのですが、「次長」という役職を与えられた瞬間から、いきなり、新入社員の若い子を怒鳴り散らすような嫌な人に豹変してしまったのです。
おそらくその人は、役職を与えられたことによって、「これまでの自分では駄目だ」と思ってしまい、「次長」という役職にふさわしい人間になろうとしたのでしょう。
しかし、その思いと行動が上手くリンクせず、「新入社員に怒鳴り散らして、威張るだけの上司」という間違った方向へ自分を進めてしまったのです。
手放すことで見えてくるアイデンティティ
「本当の自分」や、「本当のあなたのアイデンティティ」は、決して今のあなたが持ち合わせていない要素を探して見つけていくということではありません。
逆に、社会的な役割を手放していくことで、本当の自分、本当のアイデンティティが見えてくるものです。
例えるなら、ゆで卵の殻をむいていく感じです(笑
しかし、多くの場合でこれの逆をやってしまいがちなのが人間です。
自分に色んなオプションをくっ付けていき、自分をどんどんとデコレーションしようとしちゃうわけです。
もちろん若い頃は、人生のおいて色んな事を吸収する時期もあります。
たとえば、40〜50歳くらいまでは、いろんな事を勉強したり、色んな経験を蓄積することによって「自分」というものを作っていくのだとしたら、人生の後半は、今後は、そういったものをどんどん手放していくことで、より本質に近づいていくことが出来るのではないか?と、わたしは考えています。
わたしは幸い、これままでの人生で、役職らしい役職をもらったことがありません(笑
だから、「自分は大したやつじゃない」と、ずっと思って生きてきました。
会社員をやってたときも、年下の上司とか先輩も一杯いましたが、まったく気になりませんでした。
そんな経緯もあって、今でも「素で生きている」という自負はあります(笑
たとえば、インフルエンサー的な活動をするにしても、普通ならもっと格好をつけることでしょう。
スピリチュアルな情報発信をするのなら「ビーガンや瞑想が趣味」といった様な、それっぽいキャラクターを作って「役割を演じる」というパターンになりがちです。
しかしわたしの場合は、そういったキャラ設定をまったくしておらず「素」を出しています。
素を出しているから、Twitter上にリラックマのヌイグルミが出てきたりするわけです(笑
つまり、「オッサンだけどヌイグルミが好き♡」という恥ずかしい素が、本当のわたしのアイデンティティなのです(●´ω`●)
というわけで、アイデンティティとは、決して役割を演じることでもないですし、自分が本来持ち合わせていない付加価値を獲得して、自分をデコレーションすることではないのですね☆
今日もご視聴頂き、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ
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