その行動に愛があるか? 愛と自分軸と利己的行動について

その行動に愛があるか? 愛と自分軸と利己的行動について




※このブログは2020.12.20にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。

こんにちは☆スピリチュアリストのNORIです☆

今日も、ご視聴いただき、ありがとうございます。

もしもあなたが、ある重要な場面で選択に迷った時・・・

自分の行動に、どのくらいの「愛」と呼べるものが含まれているだろうか?を考えてみてはいかがでしょうか?

そして、「この行動には愛があるな」と自分で思えるのなら、迷わず行動に移ってしまって良いのです☆

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愛とは、存在を認めること

まずは、今回頂いた質問を紹介しますね。

「今しかない(今ここに生きるという事)」を、周りの大切な人へ伝えたい!というのはエゴなのでしょうか。

「自分軸で生きる」という事と、「自分さえ幸せなら良い・自分勝手・自己中心的」は違いますか?
自分の気持ちに正直に生きるという事が自分軸なら、結果的に相手を傷つける事になっても、迷惑をかけてしまったとしてもOKなのですか?

という質問をいただきました。

わたしはこれまでに何度か「自分軸が大切です」とお話ししてきました。

では、自分軸で生きるのと、自分勝手に生きるのとは、何が違うのか?と言ったら・・・

実は、あまり違いは無いのです(笑

ただ、こういう話が伝わる人は、ある程度の段階にある人だと言えます。

それも当然で、こういう話をあまり変な人が聞くと、「自分軸?じゃぁ自分勝手に生きて人に迷惑かけまくってもいいんだ!」と、解釈しちゃうからです(笑

たとえば、会社の上司が、あなたに対して長々と説教をしているとします。

こんな場合、大抵は上司自身がイライラしているから、あなたに八つ当たりしているだけなのですが・・・(笑)

でも、なかには「部下にできるだけ多くの時間を使って、説教してあげることが愛なんだ!」と、本気で思っている人もいます。

だから本人は悪気がないどころか、「自分は愛に溢れた優しい人間なんだ」と思ってしまっているのです。

でも、こんな人は、そもそも「愛」というものを、勘違いしていると言えます。

なぜなら、本当に「愛」を理解していたら、「相手を自分の思うように変えよう!」という思考にはならないハズだからです

簡単に言うと、「愛」とは、相手の存在を無条件に認めることであり、つまりは「相手を尊重すること」なのです

相手の存在をただ認めてあげることはもちろん、その上で相手を許すことも愛ですし、相手に対して「ただ、あなたがいてくれてありがとう!」と感謝の気持ちを持つことが「愛」なのです。

もちろん、こういったの感情を自分自身に向けて、自分の存在を100%認めてあげて、自分を許してあげるのも愛です。

そして、相手を尊重する感情が自分の中に湧き出てきて、そのエネルギーで相手を光のように照らしていればいいのですね☆

 

愛があれば問題は起きない!?

人が「愛」に溢れていれば、人間関係はもちろん、あらゆることに対して「問題」は起きません。

わたしはよく、「相手に忖度なんてせずに、好きなように生きればいいんですよ☆」と、皆さんにお伝えしています。

しかし、こういう論法は、今の時代になってやっと通じるようになってきた(通じる人が増えてきた)だけで、20年〜30年前なら、この論法は、まだほとんど通用しなかった事でしょう。

何故か?と言うと、人間の平均的な霊性(魂レベル)が、まだその段階に達していなかったからです。

つまり、多くの人は「愛の分量」が、まだそこまで発揮できていなかったのです。

だから、人間関係で問題を起こさないようにするために、あらゆる規則を作って、「これは駄目ですよ」とか、「こういう事はしちゃいけないよ」という決まりを守らせる必要があったのだと言えます。

つまり、道徳教育なるものをこしらえて、「人が嫌がることしちゃいけませんよ」と言った様な事を、わざわざ教える必要があったのです。

でも、「人が嫌がることしちゃいけませんよ」なんて事は、いちいち権力者に言われなくても、愛のある人間なら、生まれつき分かってることです(笑

もちろん、宗教も同じです。

「人が嫌がることをしたら地獄に落ちるよ〜」と、ある意味「脅し」の様な論法を説いて、人間の行動をある程度管理する必要があったのが、これまでの時代だったというワケです。

でも、そもそも、人間が本当に愛に溢れた人ばかりなら、「相手を自分の思うように屈服させよう」とか、「コンロールしよう」とか、「相手を自分の感情に共感させよう」とか・・・そういう発想にはならないのです。

何故かというと、愛とは、相手の存在を認めて尊重することだからです。

多くの人は、相手に対して自分が愛を出したら、相手も同じ分量の愛を返してくれるのが当然だと考えていますが、でもそれは、愛でも何でもありません。

「自分が愛するから相手にも愛して欲しい!」と思った時点で、それは愛ではなくなります

相手を尊重していたら、そうは思わないのです。

たとえ相手がこちらのことを全然好きじゃなくても(つまり片思いでも)、こちらが相手に対して尊重の気持ちを持っていたら、それが愛なのです。

だから、若い方なんかは、恋愛中の一種の興奮状態にある時を愛だと思ってる方もいるかもしれませんが、それは違います。

もちろん「恋」が悪いわけではなく、恋は恋で楽しめば良いのですが・・・(笑

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愛は許し(赦し)ではない!?

愛とは、相手に対する尊重です。

なので、尊重をしているから、当然、許すことも出来るでしょう。

だから、「愛とは許し(赦し)」だとよく言われているのですね♪

ただ、わたしはとしては、「許し」という概念はあまり使いたくなくて、それが何故かというと、そもそも、わたしたちは誰かに許してもらうような罪な事なんてしていないからです(笑

わたしは万引きとかしたことないですし、誰かに迷惑かける事もしていない筈です。

なのに、キリスト教では、「人は生まれた瞬間から罪人である!」という論法からスタートしています。

その前提の上で、「あなたが信仰する事によって、あなたの罪は神に許されるのですよ〜!」「だから、神を信仰しましょう☆」という教えが、キリスト教なのです。

しかし、この論法の、そもそもオカシイな点に気づいてほしいのです。

何度でも言いますが、わたしたちはワンネスの存在ですし、わたしたちの魂は、皆んな神様と同じです

だから、この宇宙のすべての存在は、ただ存在しているだけで、最高に価値があるのです

というわけで、最初から罪な存在なんて居ないのです(笑

罪な存在なんて居ないので、誰かに許してもらう必要もないというワケです(*´∀`*)

というワケで、わたし自身は、よく言われているような「愛とは赦しである」という論法は、あんまり自分では使わないようにしています。

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昔は、あらゆる決めごとで人の行動を縛る必要があった!?

すべての存在に価値があり、全ての存在は、最初から愛の塊です。

一見すると愛が無い様に見える人も、地球に転生してくる過程で、「自分は愛なんだ!」という事実を忘れちゃってるだけです。

だから、「自分の本当の正体は愛なんだ!」という事がちゃんと解っていて、この基本理念が自分の中にあれば、人間が後天的に作ったあらゆるルール、規則、道徳観、宗教的な論法も、本当はいらないのです。

でも、いままでの時代は、人間の愛の部分が、なかなか表に出てこなかったのです。

昔は戦争ばかりやってましたし、飢餓などの問題も多かったので、ある意味しょうがなかったのですが・・・

でも今は、あらゆる社会問題が解決されてきて、人類が暮らす上での環境は、どんどん良い方向へ進んでいます。

そして、今のような物質的に豊かな時代になって、やっと多くの人が、本来の愛を発揮できるような環境が整ってきたと言えます。

でも昔は、世の中全体が、戦争に飢餓に弾圧に虐殺と、ぐっちゃぐちゃに荒れまくってたので、宗教や法律など、あらゆる規則や道徳によって決め事を作り、それを守らせなければ収集がつかなかったわけです。

そして、そういった決まりごとの中には、「修行をして、聖人君主を目指しましょうね!」といった様な、宗教的な論法も含まれます。

昔の人には、こういった教えが必要だったのですね。

もちろん、まだ今の段階でも、多くの人には、こういう事を教える必要はあるとは思います。

今でも、外国では直ぐに暴動が起きるし、ちょっと何かあると直ぐに略奪が始まります。

でも日本では、そういうことは、ほとんどありません。

だから、わたしとしては、日本はある意味「ちょっと特別」だと思っています。

これを言うと、「日本人特別論」みたいに受け取られて、アレなんですが・・・(笑

でも、事実そうなのです。

東北の震災が起きた時も、日本だから、ああやって皆で愛を出し合って、助け合うことが自然と出来たのです。

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根底に愛があるか?

これからの時代は、ほとんどの事が、今までのアベコベになるのだと言えます。

たとえば、これまでは、競争思考を持って相手を倒し、倒した相手を踏み台にして自分が上に上がることが成功法則だと言われてきましたし、これまでのピラミッド社会では、この論法が正しいとされてきました。

でも、これが逆になります。

簡単に言うと、「愛がある人」が、どんどん活躍できる社会になっていくと言えます。

最初の質問の・・・

「今しかない」を、周りの大切な人へ伝えたい!というのはエゴなのでしょうか?

という質問に関しても、この方の「伝えたい」という気持ちは、おそらく愛から来ているだと思うのです。

でしたら、伝えればいい!ということになりますね☆

ただこの時に、「相手がそれを受け取るかどうか?」というのは相手の問題です。

自分が、「愛を持って伝えたい!」と思うのなら、遠慮なく伝えればいいのですが、ただ、それに対して「相手がどんな選択をするか?」という部分には、こちらが干渉する必要はないのです。

もちろん、相手に自分の意思を伝えることにより「自分の望むように変わって欲しい!」と、期待をするのもナンセンスです。

何故かと言うと、相手を尊重することが大事だからです。

2つ目の質問の・・・

自分軸で生きる”という事と”自分さえ幸せなら良い” ”自分勝手・自己中心的”は違いますか?

自分の気持ちに正直に生きるという事が自分軸なら、結果的に相手を傷つける事になっても、迷惑をかけてしまったとしてもOKなのですか?

この質問についてお答えしますと、これについても、自分勝手で良いのです(笑

ただ、その前に、あなた自身が「自分は愛がある人間だ」という自覚があるのが大前提ですけどね♪

「これをやったら、相手を無理やり変えようとする事になるかな?」とか、「これを言ったら、相手を傷つけることになるな?」と分かっているのだったら、そもそも、その行動は、あなたは出来ないハズです。

相手を認め尊重しているのなら、自分軸に基づいた行動であっても、その先が「相手を傷つける」という結果に繋がらないはずです。

もしも仮に、自分のとった行動によって、不本意に相手を傷つけることになってしまったとしたら、それは、しょうがないでしょう。

自分は良かれと思って(それを愛だと思って行動した結果)相手が傷ついたのなら、そんな場合は、相手に謝るしか無いでしょう。

そして、こんな場合には「愛とは赦しである」という論法が成り立つでしょう。

反対に、「今は自分軸で生きるのが流行りなんだ!」とか言って、相手が迷惑をするのを解っているのに、傍若無人に自分勝手に振る舞うのは、それは、根底の「愛の部分」が足りないからそうなってしまうのです。

まず、根底に愛が満ち足りていれば、そもそも、自分勝手な行動は取らないハズです。

その上で、自分軸で生きればいいのですね☆

そして、自分自身が愛に溢れた状態で、その上で利己的に生きると、それが結局は「利他的な行動」に繋がるのです。

本来人間は、この様に生きるのが理想だと、わたしは思っています。

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今後、分離の感覚が益々薄くなっていく

元々、ワンネスの感覚に近く、分離の感覚が薄い人が居ます。

最近生まれてきたスターシードと呼ばれる子供たちなんて、皆んな最初から分離の感覚が薄いのだと思います。

分離の感覚が薄い人にしたら、自分を大切にするのも人を大切にするのも同じことでしょう。

自分を尊重して相手も尊重する事ができる、つまり、最初から愛に溢れているのでしょう。

私自身、子供の頃を思い出すと、分離の感覚が薄かったんだなと思います。

おそらくこれは皆さんの子供の頃も同じだと思うのですが、子供の頃って、自分の大事なオモチャを、何も考えずに友達にあげちゃったりとかするんですよね(笑

よく、アニメとかで、初対面の男の子が知り合って友達になる過程で、喧嘩をして相手を傷つけながら、だんだんと仲間になっていくシーンがありますが、わたしは、ああいう流れが全然理解できませんでした。

わたしが子供の頃は、最初、相手がどんな子か解らなくても、こちらで勝手に「相手は自分と同じ様に優しい子なんだ」と決めつけて相手に近づいていきました。

でも何故かいきなり殴られたりして、それが凄く不思議だったワケです(笑

わたしは、ごく最近まで、「出会う人は全員良い人に決まっている」と思っていました。

でも、こういったわたしの考え方は親にも結構指摘されてきましたし、会社勤めの頃も、上司にいつも指摘されてきました。

わたしが教えられてきたことは、「相手を敵だと思い、戦って勝つこと」や、「相手を倒すこと」でした。

特に親から言われたれたのは、「もっと欲を出して、相手から奪えるものは出来る限り奪う」、「自分が(金銭的に)得をすることを考える」と、教えられてきました。

もちろん今となっては、自分の感覚のほうが正しかったと自信を持って言える様になりましたが、わたしは子供の頃からこんな感じに、「分離感」を強くする様な環境で育ちましたし、そういう教育を受けてきたと感じます。

でも、もう時代は変わっていくのです。

これからの時代は、分離の感覚が強い人ほど、時代に違和感を感じるようになっていくのだろう・・・と、わたしは思っています。

今日もご視聴いただきありがとうございました。

スピリチュアリストのNORIでした☆(*´ω`*)

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