神社の起源と神様の不思議なお話☆全て存在は全体からの分離として現れている!?

神社の起源と神様の不思議なお話☆全て存在は全体からの分離として現れている!?





※このブログは2021.8.23にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

まずは、今回頂いた質問を紹介しますね☆

NORIさんにとって、神社ってどんな存在でしょうか?

やはり、意味のないものや、場所ってことになりますか?

今日は、この質問にお答えしつつ、「神社の起源」や「神様」について、わたしの考えをお話ししますね(*´∀`*)ノ

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神道は聖書の流れを汲んでいる

以前も動画で話しましたとおり、神社(神道)は、ユダヤ教、キリスト教の流れを汲んでいます。

紀元前約3世紀頃、最初に北イスラエル王国を追われた、いわゆる「失われた10氏族」が日本に入ってきて来て、その後、起源3世紀頃、南ユダ国の2氏族が日本に入ってきているということらしいのですが・・・

実は、彼ら「スファラディ系ユダヤ人(セム系)」こそが、現在の日本人のルーツであり、日本に約5000万人いると言われているYAP遺伝子を持つ民族であり、大和民族(ヤハウェの民)の先祖なのです。

ただ、当時の日本には縄文的な人々も居たわけであり、彼らはアミニズム的な自然と調和をした暮らしを営んでいました。

そういった縄文的な人たちが、今、沖縄をはじめとする南方の離島にいる方々だったり、北の方に居る「蝦夷」と呼ばれる方々です。

そこへ、ユダヤ教・キリスト教などの聖書を信じる一神教的な人々が入っきて、現在の神道の原型を作ってきたとされています。

これがどうやら、神道や神社の本当のお話なのです。

その際、一神教で重要とされている「ユダヤの三種の神器」も日本に持ち込まれており、「失われたアーク(契約の箱)」と「モーセの十戒石板」は、現在の伊勢神宮の内宮に、「アロンの杖」と「草薙剣」は熱田神宮、「マナのツボ」は伊勢神宮の外宮、「勾玉」と「八咫の鏡」は皇居に保管されているそうです。

マナの壺とは?
旧約聖書「出エジプト期」より・・・
当時、モーセ率いる数十万人のユダヤ人は、エジプトを出発し砂漠の中を約40年間放浪していました。
その際、飢えの苦しみから逃れるために神様にお願いをしたら、空から綿菓子のような食べ物が降ってきて、飢えを凌ぐことができたとされています。
その時の綿菓子のような食べものを「マナ」と言い、マナを保管しておくための壺を「マナの壺」と言います。
つまり、「マナ板」の語源は「マナを調理する板」という意味なのです☆

出エジプト当時のユダヤの方々は、砂漠の中を放浪しながら宗教的な儀式を行っていました。

そのため、彼らが宗教的儀式を行う際は、簡易的なテントを張って、そこでヤハウェに祈りを捧げ、生贄を捧げたりしていたそうです。

この時のテントを「幕屋」と言いますが、幕屋と神社の構造は、ほぼ同じ作りになっています。

写真のような、現在の神社でよく見られる構造は、ユダヤ教の「幕屋」と同じ構造(レイアウト)をしている。

※詳しくは「幕屋 神社」で検索してみてくださいね!

他には、神社のしめ縄は「雲」を表しているそうで、ガラガラと鳴らす「鈴」は雷を表していますが、これも、旧約聖書にある「ヤハウェが登場する際は、空に雲が垂れ込めてきて雷が鳴る」というシチュエーションを再現しています。

そして、下に置いてある賽銭箱は「契約の箱(アーク)」を模していると言うワケです。

とまぁこの様に、神道も神社も聖書の流れを汲んでいるわけであり、こういった状況証拠は、あげればキリがないほど存在します

となると、「では、一神教的な流れによって作られた神社に、本当に神様は宿っているの?」なんて素朴な疑問も湧いてくるワケです。

そしておそらく、今回ご質問いただいた方も同様な疑問を持たれたのでしょう。

そんなわけで、神様と神社の関係を、わたしの見解も含めて、もう少し詳しく解説したいと思います・・・

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一神教的な神様は存在しない!?

そもそも神様という存在は、本当に居るのでしょうか?

たとえば、非二元(ノンデュアリティ)の界隈では「全体」という命が存在するだけで、神様的な特別な存在は居ない・・・ということになっています。

たしかに、一神教的で考えられているような、髭を生やした偉そうなお爺さんが願いを叶えてくれたり、罰を与えたりといったような、そういった「如何にもな神様的存在」は、わたしも居ないと考えています。

しかし、いわゆる龍神様とか、お稲荷様とか、犬神様とか・・・こういった色んな霊的存在が実際に無数に存在しているという話も、色んな霊能者の話を聞く限り確かにそうだと思うのです。

そして、スピリチュアルな界隈では、龍神様やお稲荷様など、彼らのような霊的存在を神様として拝むことが当たり前になっています。

しかし、わたしの考えでは、龍神様やお稲荷様などの存在も、「全体である命から分離している意識だ」というだけであり、我々人間と同じ存在だと思うのです。

つまり、龍神様も、お稲荷様も、あなたの会社の上司も、あなた自身という存在も、「肉体を持っているか否か?」という違いだけであり、全体からの分離として現れているだけで「同じ」なのです(笑

そして、そういった様々な霊的な存在が、全国各所の神社と紐付いているのは、「後付的に起きている」と、わたしは思うのです。

こちらは、集合意識を表したイラストですが、この宇宙は、壮大な「縁起」で成り立っており、全ての事象は完全な調和のもとに存在しています。

これは言ってみれば「宇宙の流れ」とも言え、わたしたちは例外なく、その「流れ」の上に乗っかっています。

というわけで、わたしたちは一見すると自分の意思で人生の様々な局面を選択していると感じていますが、実は、自分で選択しているのではなく、大きな宇宙の流れのに乗っかって勝手に動いているだけなのです。

つまり、わたしたちには自由意志は無いのです

そして、わたしたちの意識のフォーカスが深くなれがなるほど、このイラストでも解るように、周りの存在との意識がダブっていくことにより、意識がどんどん繋がっていくのです。

つまり、意識が「潜在意識」→「超意識(宇宙意識)」と深くなればなるほど、「実はわたしたちは、宇宙の縁起の中に抱かれて、ただ身を任せて生きているだけだった!」なんてことが解ってきます。

では、この宇宙の流れ自体は誰が作ったのか?という疑問も浮かんでくるのですが、実はそれは誰にも解らないのです。

ただひとつ言えるのは、一神教で言われるような神様的な存在が、この宇宙のシステムを作ったというワケでは無さそうです。

たとえば、ユダヤ教の神様であるとされている「ヤハウェ」は「在りて在る者」という意味であり、別に、「ヤハウェという名前の神様が存在する」と言う意味ではありません。

つまり、「ヤハウェ」とは固有名詞ではなく、「名前をつけて呼ぶことができないもの」ということであり、「全体を表す意味」なのです

これは、非二元(ノンデュアリティ)で言うところの「全体」と同じ意味であり、決して、「宇宙には神様的な存在が一人居ます!」ということではありません。

というわけで、一神教でよくある様な「人間を裁く権限を持つ、たった一つの絶対神を崇拝する」という考えは、そもそも、聖書の正確な解釈ではないのでは?と、わたしは考えているワケです。

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三位一体と偶像崇拝

キリスト教には「三位一体」という教えがあり、「父=創造主」「子=キリスト」「精霊=霊力や命」これらを全部合わせて「神」としています。

しかし、図でも解るとおり、「父」と「子」と「精霊」それぞれは「別のモノ」なのです。

このあたりの解釈は、スピリチュアルや非二元でも類似していて、「父」も「子」も「聖霊」も、ただ分離によって現れているだけだと言えます。

そして、分離として現れている存在には「優劣の差」なんて無いですし、どちらが偉いとか、どちらが劣っているとか、そんな区別はありません。

「三位一体」で言うところの神様とは、つまり、スピリチュアルで言うワンネスだと言えますし、命そのものであり、サムシンググレートです。

というわけで、キリスト教の方々が「子」であるキリストだけを拝んでるのは、本当はおかしいのです(笑

もちろんそれを解った上で、イエス本人も「わたしを拝むことは、神を拝むことと同じなので、とりあえずわたしを拝みなさい」と言ったのですが・・・ただ、今皆んなでイエスを拝んでいるのは、言ってみれば「イエスの方便」だとわたしは考えています。

何故なら、本当は「父」と「子」と「聖霊」、全て合わせて神様なので、拝んでるあなた自身も神様だということになるからです。

ただ、それだと拝む対象がなくなっちゃうので(笑)、しょうがないから「偶像崇拝」とは解りつつも「イエスを神様として拝みましょう☆」ということにしたのではないか?と、わたしは考えています。

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皆の集合意識が、神社に霊的存在を宿らせている!?

この様に、わたしたちは完全な調和のシステムの(縁起)中で生きていいますが、同様に、わたしたち自身もこのシステムに含まれているワケであり、わたしたちの集合意識がこのシステムを作っていると言っても良いと思うのです。

たとえば、諏訪大社にしても、伊勢神宮にしても、熱田神宮にしても、千数百年の歴史があるわけですし、「これまでの千数百年の間に、いったい何百万人の人が、その神社を参拝したのか?」と考えると、「その人たちの集合意識が、神社に霊的存在を宿らせる」と考えられないでしょうか?

わたしたちの集合意識は、自然環境も含めて、この現象世界の様々な事象に影響を与えるでしょう。

とは言っても、以前から話している通り、この宇宙には本当は「時間」の概念が無いので、未来や過去が存在しているわけでもありません。

つまり、集合意識によって神社に神様が宿り、その神様が皆の願いを聞いてくれるどうか?も、「鶏が先か卵が先か?」ということであり、本当は全て予定通りだ☆という解釈が出来るのと思うのです。

もちろん、そうは解っていても、わたし自身、神社は大好きです☆

ただ、神社に行ってもお願い事なんてしませんし、ただ手を合わせて「遊びに来ました〜よ〜(*´∀`*)ノ」と挨拶をして、入場料のつもりでお賽銭を払っているだけです。

では何故わたしが神社に行くのか?というと、単純に気持が良いから☆です(笑

神社は自然も多く、樹齢数年以上の木も沢山あるので、様々な精霊も沢山居ることでしょう。

しかし神社の中には、多くの人の出した「執着の波動」や「不平不満の波動」も漂っているわけです。

これはどういうことか?というと、神社でお願い事をしているつもりで「商売繁盛お願いします!」「結婚できますように!」と言ったような、願い事のフリをした不平不満の波動を出している人も多いからです。

神社によっては、そんな「不平不満の波動」が充満しているところもあるようで、そんな波動に同調して気分を悪くしたり、体調を崩しちゃう方も結構居る様です。

更には、神社と言っても、場合によっては、霊的存在を封印してある神社もあるわけです。

たとえば、片方の勢力が、もう片方の勢力を一族ごと滅ぼしちゃた場合など、祟りを恐れて祀ってある神社もあるワケです。

そんな神社にうっかり行ってしまうと、敏感な方は、すぐに気分が悪くなるのではないのか?と思うのです。

スピで言う神様も人間も、同じです

これは以前にもお話しましたが、わたしの知り合いの、とある会社の社長さんは、とある神社に年間600万〜700万円のご祈祷のお金を払って商売繁盛を祈願していましたが、それが功を奏してか、その社長さんの会社は、ありえないくらい様な手法で商売が上手く行ったりすることが何度も起きています。

つまり、その社長さんは、ビジネス書に載っている所謂「成功法則」とは正反対の手法でビジネスを成功させるという体験を何度もされているのです。

しかしその反面、ビジネスが上手く行ったその直後に、原因不明の体調不良になって2ヶ月間入院する羽目になったりとか、一見すると「神との契約を守らされている」と取れるような事も起きているわけです。

だから、わたしからすると、龍神様やお稲荷様にお願いするのも、結局は人間にお願いするのと同じであり、「神様との契約」だと思っています。

何故なら、神様とは言っても、相手はサムシンググレートから分離しているだけの存在であり、肉体が無くて目に見えないだけで、わたしたち人間と同じだからです

人間にも、すごく権力のあるヤクザや悪徳政治家が居るのと同じ様に、肉体を持たずに全体から分離している霊的存在の中にも、ヤクザの様な存在もいれば、心優しい人もいるのでしょう。

そんなわけで、もしも神社でお願い事をするのなら、こんなことを解った上でお願いしたほうがいいのかな?なんてわたしは考えております(笑

今日もご視聴頂き、ありがとうございました!

スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ

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