苦しんでいる人に同情をするのは優しさではない⁉

苦しんでいる人に同情をするのは優しさではない⁉




※このブログは2020.11.28にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。

こんにちは☆スピリチュアリストのNORIです☆

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

まずは、似たような質問を何件か頂いておりますので、ご紹介いたしますね(*´ω`*)ノ

【質問1】
仲のいい同僚の「ネガティブ思考」を辞めさせたいです。
どうすればいいですか?

【質問2】
自分はスピリチュアルに目覚めていますが、まだ目覚めていない友達や家族や恋人にも目覚めて欲しいのですが、どうすればいいですか?

【質問3】
介護の仕事を仕事をしています。
痴呆になった老人が可哀想なので、治してあげる方法はないですか?

と、こんな質問を頂きました。

ただ、これらの質問に全て共通して言えるのは、「自分以外の誰かを、自分の思うように変えようとしてる」という事なのです・・・

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各々の魂が、各々の体験をしているのが人生

わたしは以前から、「基本的には人は人を変えることは出来ません」という話しをしてますし、人を変えようと思うのは、自分が苦しむので、やらない方がいいとお伝えしています。

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そして、これは厳しい言い方に聞こえるかもしれませんが、相手を変えようと思うのは、それは、あなたのエゴなのです。

特に3つ目の質問の・・・・

痴呆の老人が、可哀想だから治してあげたい

というのは、こちらの勝手なエゴになりますし、もっと言うと、相手に対して「可哀想」と思うのは、その人を侮辱してるという事にもなります。

人の魂は、各々でそれぞれの体験をしています。

そして、そんな体験を、本人は望んでやっているわけです。

たとえ本人が病気で苦しんでいたとしても、それすらも、本当は本人が望んでいるです。

このお話はナカナカ理解し難いことですが、でも本当はそうなのです。

わたしは最近は「学んでいる」とか「修行をしている」という言葉はなるべく使わない様にしていますが、ただ、本当に今辛い人生を送って居る方に向かって「本人が望んでいるから」と言っても、大抵の場合は受け入れられないでしょう。

でも、「今は修行の時期なんだよ」とか、「学んでいる最中なんだよ」という言い方をすれば、「ああ、今は辛いけど、学んでいるのだ」と、納得してくれる方も何人かはいらっしゃいます。

だから、精神的な話をされる方は、皆さん「人生で学ぶ」とか「人生は修行」という表現を使うのだと思うのですが、でも本当は違うのです。

魂は、「ただ、経験をすること」を求めています。

だから、端から観ていかにも辛そうな経験をしている人も、本当は、その人のハイヤーセルフがそれを望んで経験しているのです。

宇宙視点で見れば、どんな体験であろうと、その体験自体に「楽しい体験」とか「辛い体験」といった区別はありません。

こちらが勝手に、「これは楽しい出来事だ」とか、「これは好ましくない出来事だ」とか、「これは幸せな出来事だ」とか、「これは不幸な出来事だ」と、わたしたちの基準で決めているだけなのです。

だから、宇宙視点で見れば、楽しい出来事、辛い出来事、不幸な出来事、幸せな出来事、良い出来事、悪い出来事という意味付けはありませんし、もちろん、これらの体験に優劣もありません。

ただ「違う体験」というだけなのです。

だから、ボケて自分の事もよく解らなくなっているお爺ちゃんを捕まえて、「このお爺ちゃんは可哀想だ!」と思うのは、それは、その人の勝手な価値観と解釈でそう思っているだけであって、本当は可哀想ではないのです。

特に、認知症の方なんて、本人は「自分がボケている」ということが解らないのです。

本人からすれば、ずっと夢を見ているような感じなのですね。

認知症の方は、外から見ると苦しんでいる様に見える時もあるかもしれませんが、でも魂的に見ると、別に苦しんではいないのです。

と言うよりも、そういう方を観て、「あなた自身が何を感じるか?」が大切なのですね。

つまり、認知症の老人を観て、あなたの魂が何を思うか?という「あなたの体験」にフォーカスしてほしいのです。

どうしようも出来ない事に文句を言うのは、ただのエゴ

たとえば、わたしは普段から、「自分が見ている世界が全てです」とお伝えしています。

同じ日本に住んでいても、将来のこと、大統領選挙のこと、ウイルスのこと・・・常に何かを心配して、恐怖の世界に生きている人もいれば、片や、そんな事とは関係なしに日々を楽しく生きている人もいます。

そして、この差が、おそらく「違う次元に分かれて生きている(二極化)」なのかな?と、わたしは思うのです。

今、この差が、人によってものすごく分かれてきていると感じます。

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極端なこと言うと、同じ会社で、隣同士に机を並べて仕事をしている同僚でも、片や毎日楽しく生きているのに、もう片方の人は、毎日苦しみながら生きていたりします。

もちろん、二人の環境は全く同じで、毎日上司がガミガミ言ってきたり、残業が一杯あったりとか、同じ環境に居ながらも、状況に対してまったく違う捉え方をし、「不幸に生きている人」と「楽しく生きている人」の差が、すごく開いてきているのです。

たまに、こんなコメントを頂くことがあります・・・

紛争地域で飢えている人や、戦争に巻き込まれて辛い生活を送っている人が可哀想です。
そういう人を観ないようにするのが、それが本当に愛のある事なでしょうか?
テレビを消すように、「自分には関係がない」という事にするのが、それがスピリチュアルなのでしょうか?

と、こんな感じに言ってくる方が居ます。

ただ、自分が本当に心から、「紛争地域の人が可哀想だ!」「何とかしてあげたい!」と思うなら、今すぐ中東の紛争地帯や、アフリカの飢餓で飢えている子どもたちの所へ行って助けてあげればいいのです。

でも、そんなこと、あなたには出来ませんよね?

もっと言うと、こういうコメントくれる方に限って、実は、やろうとも思ってないのです。

そんな人は、ただイチャモンを付けたいから、こういった極論を例え話として出しているだけなのですね。

だから、自分がどうやっても手の打ちようがない事柄にわざわざ首を突っ込んで、あーだこーだと文句を言うのは、本人は、そうやって声を上げるのが「優しさ」だとか「自分は正義感がある」と思っているのでしょうけども、でも、それは優しさではないのです。

本当に愛がある人なら、あれこれ悩む前に、もう行動に移しているハズです。

でも、「実際に行動に移せるかどうか?」というのは、魂的に生まれ持った適正で、生まれる前からだいたい決まっています。

だから普通の人は、そんな大掛かりな人助けなんて出来ないのです。

仮に、「誰かを助けたい!」という気持ちがあるのなら、たとえば、道に落ちているゴミを拾いながら歩くとか、公園のトイレ掃除するとか、そういった「自分に出来ること」をすればいいのです。

わたし自身も、目に見えるところに煙草の吸殻が落ちてたら、なるべく拾うようにしていますし、出先で何処かのトイレの個室に入った時は、必ず掃除をしてから出てくる様にしています。

他には、募金や寄付も、毎年やっています。

こんな感じに、自分に出来ることをやればいいのですね。

もちろん、苦しんでいる人が世界中にいるのは解りますが、しかし、あなた自身にはどうしようも出来ないことの方が、はるかに多いのです。

でも、そういう案件は、あなたよりも力もお金もある他の誰かさんが、ちゃんと解決に向けて動いているから、だから、そういう人を見つけたら、応援してあげればいいのです☆

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相手を変えたかったら、まずは自分が見本を示す

昔流行った、「スクールウォーズ」というドラマを、皆さんはご存知でしょうか?

もう40年近く前のドラマですが、不良ばかりの落ちこぼれが集まったクラスに新任の先生が配属され、その先生が、ラグビーを通して、不良の生徒たちを更生させていく!というストーリです。

当時、高校生役の生徒がパンチパーマだったりして「全然高校生に見えないじゃん!」と、皆んなで笑いながら観ていたのを思い出します(笑

スクールウォーズの様に、「熱血先生が不良の生徒を更生させる」という青春のストーリーは、よくありがちです。

ただ、ああいう物語で出てくる熱血先生は、よくよく観てみると、生徒を変えようとはしていないのです。

先生は、自分が一環として「ポジティブで肯定的な態度」を生徒の前で示し続けているだけなのですね☆

すると、そんな先生の「ポジティブで肯定的な波動」が生徒に伝染し、劣等感の塊だった落ちこぼれの生徒達が、次第とポジティブで肯定的に変わっていくのです。

だから、ああいった「先生が生徒を更生させる」と言うストーリーの基本原理は、先生が力づくで生徒を変えるワケではないのです。

いくら周りがネガティブで否定的な生徒ばかりだとしても、先生の方は一環として「ポジティブで肯定的」を貫くことによって、その波動が生徒に伝わるのです。

だから、生徒が変わるのですね☆

つまり、人を変えようと思ったら、まずは自分が変わって、自分が変わった姿を相手にただひたすらと示し続けるしか方法はないのです

だから、今回質問いただいた「仲の良い同僚を目覚めさせたい」とか、「友達に、愚痴や文句を言うのを辞めさせたい」というのは、あなた自身が見本となって、そんな生き方を示し続ければよいのです。

この時に、「相手に無理やり言って聞かせる」という方法は、決して賢い方法ではありません。

コツとしては、「愚痴や文句を言うのは、そういう出来事を引き寄せるし、結果的に自分が損するから辞めたほうがいいよ!」と、相手に対して、1回か2回くらい伝えるだけでいいのです。

あとは、自分自身が見本となって、それを示すのですね☆

すると、そんなあなたを見て、友達は「何故あなたは何時もそんなに楽しそうなの?」と、興味を示す様になるかもしれません。

同じ会社に勤めていて、片や自分は苦しんでいるのに、「何故この人は何時もこんなに楽しそうなんだろう?」と、不思議に思うかもしれません。

だから仮に、あなたの友達がネガティブになって落ち込んでいたとしても、一緒になって、あなたも落ち込んであげるのは、それは優しさではないのです

もちろん、言葉で励ましてあげるのは良い事です。

でも、その人がハマっているドツボの底に自分まで一緒に入っちゃったら、二人で波動を重くして、結果的には、不幸な人が一人から二人に増えるだけなのです(笑

斎藤一人さんの有名な教えに「同情とは、同じ状態になることである」という言葉がありますが、正にその通りなのですね。

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ヒントを示して、「どう生きるか?」相手に選ばせればいい


仮にあなたが、お釈迦様やマザー・テレサと同じくらいの愛のパワーを持っているとして、相手がどれだけネガティブな人でも、「私の無償の愛のパワーでどんな相手でも幸せにすることが出来ます!」という、そんな自信があるのなら、相手に寄り添って、相手の不幸に一緒に共感してあげることもできるでしょう。

そして、あなたの愛のパワーで、相手を一気に幸せな方向へ引っ張り上げてあげる!・・・なんてことも、もしかしたら、できるかもしれません。

でも、普通の人には、そんなことはできないのです。

波動というのは、ネガティブで重たい波動の方が、引っ張る力が強いのです。

そして、人の脳も、否定的なマインドに傾きやすいような構造になっています。

だから、「この人に同情したら自分の波動も一緒に下がっちゃうな・・」と思ったら、諦めて、その人には深入りしない方が良いのです。

ただ、自分が一環として、ポジティブで肯定的で、愛のある言葉を使い続けて、そんな生き方を相手に見せてあげればいいのです。

つまり、相手を変えようと思うのではなく、ただ「見本」を示してあげればいいのです。

それに、もしかしたら、相手は好きでネガティブで居るのかも知れません。

実際にそんな人も居て、本人も無意識ですけども「悲劇の主人公」になったつもりで、自分をどんどんと落としていき、ネガティブな体験を楽しんでいる魂の人も居ます。

だからある意味、そういう人の「貴重な不幸体験⁉」を邪魔しちゃいけない・・・という考え方も、その人を尊重することになります。

人によっては、右へ左へ頭ぶつけながら、ボロボロになりながらも、不幸から幸せになっていく過程を楽しんでいる、そんなタイプの人もいるのです。

この人間界で体験できることは全て貴重な体験ですし、だから、他人がどんな生き方をしていても、それも、その人の自由意志による選択なので、とやかく口出しなくてもいいのです。

それを踏まえた上で、あなた自身が、その人の隣で、「実は、こんな楽しい生き方もあるんだよ〜(*´ω`*)ノ」と、何時もポジティブで肯定的で、ニコニコ笑顔でいる生き方を見せてあげればいいのです

それを見た相手が、「あっ、そっちの生き方のほうがいいな!」と思ったら、相手が変わるのです。

だから、人が変わる時というのは、あくまでも「自分の意志」によってしか変わることはありません。

あなたが見本を示すことによって、相手に「人生の選択のヒント」を見せてあげることは出来ます。

ただそれを見て、相手が変わりたいと思うかどうか?は、相手の自由意志による選択で決めることなので、こちらが口出しすることではないのですね☆

今日もご視聴いただき、ありがとうございました☆

スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ

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