ひっくり返る世界★宗教というシステムは終焉するのか!?
※このブログは2021.5.18にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
わたしたちの世界は、様々な矛盾が、当たり前のようにまかり通っています。
解りやすいのが、「男と女に対する矛盾した考え方」と、「お金に対する矛盾した考え方」です。
たとえば子供の頃は、誰もが「赤ちゃんはどうやって生まれるのか?」という疑問を持っており、親も、子供にこの事を聞かれると「コウノトリさんが運んでくるんだよ〜」と、苦し紛れの言い訳をしてしまいます(笑
「お金」に関して言っても、まず前提として「お金は汚いものである」という考え方があります。
しかし、生きていく上で、お金は必要なものです。
男女の性行為に関しても、生きていくため(子孫繁栄)に絶対に必要な事です。
性行為は、言ってみれば、宇宙の調和の中に含まれる、ごく自然な行為だと言えます。
しかしわたしたちは、性行為は醜いことであり、いけないことだと教えられています。
お金に関しても、商売で儲けることは卑しいことであると教えられています。
では、なぜその様な教育が行われているのでしょうか?
今日はこの矛盾の答えとなるようなお話をしていこうと思います。
(注意)今日のお話は、あくまでも都市伝説として聴いてくださいね!
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人は4000年間、霊的存在に振り回されてきた!?
最近、あらためて旧約聖書を読んでいます。
聖書を全く知らない方のために、「聖書とはどういうものか?」をざっくりお話しますと・・・
簡単に言うと、旧約聖書とは、人間の心の醜さや、未熟さから起きる争いの歴史が、永遠と記されている書物です。
その上で、要所要所に、チャネラーや預言者が登場します。
たとえば、有名な「アブラハム」もチャネラーであり、神様の声を聴くことができる人物なのですが、ある時、神様が「息子(イサク)を殺して生贄にしなさい」と言った、とんでもないことを言いだすワケです。
アブラハムは、神様の言うとおり、息子のイサクを殺そうとするのですが、その瞬間、神様が止めに入り、「やっぱり息子は生贄にしなくていいから、かわりに、羊を生贄にしないさい」なんてことを言い出すワケです。
聖書の中では、その後も、様々なチャネラーや預言者を通して「神様の声」が降ろされ、「大衆を引き連れてエジプトを出なさい(モーセと出エジプト)」とか、「今度はあそこの国を攻めなさい!」という指示が出されます。
この様に、「チャネリングで降ろした声の通りに行動する」ということを、何百年も繰り返していく様が描かれているのが、旧約聖書の物語です。
そんなことから、聖書の中では主人公であるユダヤ人は「神様に選ばれた民である」と言われてるのですが、となると、「ユダヤ人によって攻められた国はどうなるの?」と、わたしは疑問に思うわけです。
この様に、「善悪」というものは、その人が「どちらの立ち位置に立っているか?」という都合の上での「相対的な判断」にすぎません。
ここを理解した上で、聖書の話に戻りますが・・・
聖書の世界は、基本的には、ユダヤ人(ヤファウェの民)の視点で、ずっとお話が進行しています。
というわけで、ユダヤの民の視点からみれば、色んな国を征服していくのは国の繁栄に繋がりますし、それが正義なのでしょうが、しかし、征服された国からすれば、自分の親兄弟の命を奪っていった悪魔に見えたのではないでしょうか?
そして、ここでポイントとなるのが、こういった、「聖書の一連のストーリ」が、今も実際に続いているということです。
宗教というシステムは終焉するのか?
よく、聖書は預言書だと言われていますが、今の時点でのわたしの考えをお伝えしますと、聖書は預言書というよりは、予定表なのではないか?と感じます。
つまり、聖書の通りに物事を進めようとしている方々がいるということです。
聖書の物語を最初から追っていくと、人間は、ノアの箱舟以降から、あらゆる高次存在に、常に常に導かれてきたように見えますが、しかし言い方を変えると、高次存在に誘導されてきた(振り回されてきた)ようにも見えます。
人類史は、ユダヤの民を中心に動いてきましたが、しかし、そのユダヤの民さえも、チャネリングで降ろされた言葉のとおりに行動してきだけです。
宇宙系のスピリチュアルの方の中には、「聖書の出てくる高次存在は宇宙人のことですよ〜!」と話す方もいますが、わたしも、今の時点ではそう感じてしまうというのが、聖書を読んだ率直な感想です。
聖書に登場するあらゆる神や天使が、仮に宇宙人ではないにしても、霊的な存在は「目に見えない」という理由から、なんでも凄く思えてしまうものです。
たとえば、マラキの予言では「今のバチカンの教皇(フランシスコ教皇)が最後の教皇になるだろう」と言われております。
聖徳太子の「未来記」と呼ばれる予言では、「今の日本の天皇が最後の天皇になるだろう」と言われています。
更には、チベットのダライ・ラマ14世も、今回で最後だという話もあります。
これについては、ダライ・ラマ14世本人が「私は既に半分引退している状態だ」と語っています。
これらの状況を踏まえて未来を予想してみると、これまで世界のスタンダードになっていた、あらゆる宗教が終わるのではないのか?なんて予想も出来てしまうのです。
宗教が終わるとことは、つまりは、「一部のチャネラーが大衆に神の声を伝える」というシステム自体が終わるのでは?ということです。
実際、バチカンにしても、天皇にしても、これまでは、高次存在をチャネリングして降ろした情報を参考にし、政(まつりごと)を進めてきました。
しかし近年は、科学の発達が原因なのか?はたまた、松果体が劣化したことが原因なのか?解りませんが、時代が進むに連れて、だんだんとチャネリングが出来なくなってきている(高次存在の声が聞けなくなってきている)そうです。
つまり、本来は祭祀である天皇にしても、バチカンにしても、高次とチャネリング出来ることが特別な権威だったハズなのに、そのチャネリング自体が出来なくなってしまっている様なのです。
しかし反対に、近年は、個人のチャネラーが増えてきています。
更には、一瞥体験をしてしまう様な人も、どんどんと増えて来ています。
今は、「大企業よりもフリーランスの時代」なんて言われていますが、これと同じ様に、これからの時代は、もう、宗教というシステムに頼らずに、すべての人がチャネリング(ハイヤーセルフと繋がる)が出来るような時代に向かっているではないか?と、わたしは思うのです。
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高次と繋がることが当たり前になる時代
大昔は、皆んなが当たり前の様にチャネリングができたそうですし、ほとんどの人が、ハイヤーセルフと深く繋がっていたと言われています。
特に、縄文時代においては、全ての人がチャネラーだったそうで、全ての人がハイヤーセルフと深く繋がっていたのでは?と言われています。
もちろん日本だけではなく、たとえば、アボイジニや、ネイティブアメリカンも方々も、同じ様な傾向にあったでしょう。
それが、紀元前300年位前にイスラエルからやってきた、いわゆる「失われた10支族」により、ユダヤ教の流れを組んだ新しい神道が形成され、縄文の方々は、だんだんと北の方(蝦夷)や、南の方(沖縄)に追いやられていきました。
というわけで、このあたりから日本は「大和」と呼ばれるようになったのですが、大和とは、つまり「ヤハウェの民」ということなのです。
こういった日ユ同祖論の話をしだすと、「だから日本は特別なんだ!」という話に結びつけちゃいがちなのですが、わたしは決して日本人が特別だとは思っておりませんし、むしろ、ユダヤ人は人類史の中心から外れていくのではないか?とも考えております。
たしかに、聖書によると、この地球史はユダヤ人の歴史だと言えますし、実際に文明社会を見てみても、今でもユダヤ人の社会システムになっています。
しかしこれからの時代は、ノアの方舟から4000年続いてきた、預言者や救世主と呼ばれたチャネラーを媒介として、霊的存在の指示通りに大衆が動いてきたシステムが終わるのでは?というのが、わたしの予想です。
となると、現在のメインストリームから外れた、ユダヤの系列以外の人たちの生き方が、メインストリームになる可能性もあるのではいでしょうか?
つまり、ひとつの絶対神を崇拝する「一神教の時代」が終わり、縄文時代のような「アミニズム的な考え」が主流になるような気もします。
自分の上に神様という特別な存在がいて、神様的存在が人間を導びいていく・・・と言った様な、これまでの常識だった宗教的価値観から、一人ひとりが高次(ハイヤーセルフ)と繋がっていく価値観へと変わっていくのです。
つまり、もう「なにか」を崇拝する必要はなくなるのです。
ヤハウェの民は時代の主役ではなくなる!?
長野県の諏訪大社は、日本最古の神社だと言われていますが、諏訪大社の近所にある記念館には、なぜか、鹿の首の剥製が飾ってあったりします。
あれは何か?と言うと、「牛や羊を生贄にする」という、ユダヤ教の儀式の名残であり、そういった生贄の儀式が、そのまま日本でも行われていたということです。
しかし、そもそも、なぜ生贄というシステムがあるのでしょうか?
こういった、「高次を崇め崇拝する」というシステムに疑問を持つことのほうが大切なのでは?とわたしは思います。
関連記事
→崇拝と支配と依存からの開放
先程もお話しました通り、最初に日本に入ってきたのが「失われた10支族」で、その後、キリスト教が布教してから300年ほど経ち、日本に入ってきたのが、南ユダ王国の2支族だと言われています。
日本の天皇家は16菊花紋のマークなのですが、これの意味は「世界には、12支族の他にも4つの支族がある」ということだそうです。
これはわたしの考えでしか無いのですが・・・
これからの時代は、もしかしたら、12支族以外の人たち(ユダヤ以外の人たち)が、時代のメインストリームになるのでは?なんて考えてしまいます。
こう考えると、ジョージアガイドストーンの人口削減の話にも繋がって来るようにも思えます。
となるともちろん、未来の社会は、今の資本主義経済とは完全に違ったシステムになるでしょう。
それはきっと縄文の時代のような、大自然と共生して、大宇宙と調和する、そんな生き方ができる人の時代になるのではないか?なんて想像もしてしまいます。
縄文時代は、文化の中に翡翠が溶け込んでいたそうですが、一説によると、翡翠は、高次存在とチャネリングするための、波動の増幅装置に使われていたのでは?と言われています。
そんな話を裏付けるように、2016年には、日本鉱物科学会が、翡翠を国石に認定しています。
これも、これから時代が、「宗教というシステム」から、「フリーランスのチャネラー(笑」の時代へと変わっていくことの伏線なのかもしれません☆
最後に・・・
わたしとしては、男と女の矛盾や、お金の矛盾も、ある意味、宗教によって作られたものなのではないか?と考えております。
もちろん、これまでの時代は、こういった矛盾が、意図的に設定されることによって、それにより、人が律せられ、その結果として、秩序が保たれ、人々の精神性の進化も行われたのでしょう。
つまり、昔は、まだまだ人の霊性の進化が未熟だったために、宗教も必要だったのです。
しかし、ここへ来て、いよいよわたしたちは、各々がハイヤーセルフと深く繋がることにより、宗教という洗脳から抜ける時代を迎えようとしているのではないでしょうか?
となると、これからの時代の変革は、旧約聖書から続いてきた4000年来の価値観の大変革だと言え、まさに、世界がひっくりかえる大変革になる可能性もあるのです☆
今日もご視聴頂き、ありがとうございました。
スピリチュアリストのNORIでした☆(*´∀`*)ノ
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