友達不要論は正しいのか?友達なんていらない!という考え方に思うこと色々

友達不要論は正しいのか?友達なんていらない!という考え方に思うこと色々




※このブログは2021.7.25にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)

今日もご視聴いただき、ありがとうございます。

今日は、少し前に流行った「友達不要論」について、わたしの考えを色々話してみようと思います☆

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「友達」という定義の曖昧さ

友達不要論といえば、「今でしょ!」の林先生が、テレビで「友達なんていらない!」と発言したのが有名なお話だとは思います。

林先生曰く、友だちが沢山いることが良いことだという価値観は、『友だち100人できるかな』の歌が原因だとも仰られておりました。

更に林先生は、友だちが多いことの弊害や、反対に、孤独であることの素晴らしさも語られていて、林先生曰く、「孤独を嫌がる人の共通点は、本をあまり読まない」という分析もされています。

そして実は、タレントのタモリさんも「友達不要論」を語っていて、自身でも「今どんどん友達減らしているところだ」とインタビューで話されていたそうです。

わたしとしては、林先生が仰ることも、タモリさんが仰ることもよく解りますが、ただ「友達なんていらないんだ!」と否定的に考えるのもちょっとどうかな?と感じる部分もあります。

ここで、わたしの考えを先にお伝えしますと、「友達が要るのか?要らないのか?」なんて、各々が勝手に決めることであって、正解のない話だと思います。

そもそも、なぜ「友だちが要るのか?要らないのか?」という事が議論となってしまうのかというと、友達というものの定義が、非常に曖昧であることが、議論を生んでいる原因だと思うのです。

たとえば、わたし自身の体験談をお話します・・・

わたしが小学校のときのお話。修学旅行で新幹線の席を決める際に、まず皆んなが好きなようにグループを作るように先生から言われました。

新幹線には3列シートと2列シートがあるので、3人+2人のグループを作るように言われたのですが、わたしは、当時仲の良い友達がいたので、その子と隣同士に座ろうと自分の中で決めていたのですが、しかし、ふと見ると、その子は既に別の子と隣同士に座ることを決めていたのでした。

わたしはその子を選ぶつもりだったのですが、その子は、わたしを選ばなかったのです。

つまり、友達なんてものは、こちらが相手を友達だと思っていても、向こうはこちらを「ただのクラスメイト」という風に見ていたりするものなのです(笑

こちらが相手を親友だと見ていたとしても、相手はこちらのことを、何人かいる友だちの一人にしか見ていなかったりします。

そして、こういった人間関係における微妙な感じは、実は大人になっても同じで、たとえば、仕事上で付き合いがある人を例にとって話しますと、こちらが相手のことを「常連客」と見ていても、相手はそう思ってなかったりするものです。

要するに、こちらが想像する、「相手が自分のことをどう思っているのか?」という予想は、大抵は当たってないのです

何故か?というと、あなたの目に映るあらゆる物理現象は、すべて、あなた自身の観念や思い込みというフィルターを通して、現象に対して意味付けをしているからです

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自分軸な人ほど何故か人が集まる!?

何故、多くの方は人間関係で悩むのか?というと、簡単に言うと、多くの方が「人に好かれたい」とは考えているからであり、その心の裏側には、「嫌われたくない」という恐怖心があるからです。

そして、その「恐怖心」が、あなたが、あなたらしくあることの邪魔をしています。

「この人に嫌われたくない」
「この人と友達でいたい」
「この人と恋人でいたい」

こういう思いは誰でも少なからずあるものですが、ただ、この思いが強い人は「良い人になろうとする」傾向にあります。

しかし、「良い人になろうとする」のは、多くの場合で、本来の自分の姿を隠しつづけることになり、まるで役者さんのように演技をし続けることになってしまうのです。

つまり、自分の中にある「きっと、こういう人が周りから好かれるだろう」という観念に従い、自分に、そういう人格を演じさせるわけです。

もちろん、その「演技」によって、実際に周りに人が集まることもありますし、人気者になれることだってあるでしょう。

良い人を演じ続けることにより、「友達100人出来るかな?」の歌のように、本当に友達が100人できるかもしれません。

しかし、良い人を演じ続けるということは、言ってみれば「自分に嘘をつき続ける」ということであり、そんなことを続けていれば当然ストレスが蓄積してきます。

これは、わたしの想像に過ぎませんが・・・

もしかしたら、林先生も、タモリさんも、過去に人から好かれようという思いが強かったために、本来の自分ではない「役者としての自分」を演じすぎてしまい、それに疲れちゃって「友達なんていないほうがいい!」という結論に至ったのかもしれません。

もちろん中には、自分の素の性格を出しているだけで、本人はまったく努力をせず自然に振る舞っているだけなのに、周りに人が集まってくる様な人もいるでしょう。

だからと言って「皆んなもそうなるべきだ!」なんて話をしたいわけではありません。

そんな人は、あるがままに生きているから、意外とわがままな傾向もあります(笑

たとえば、時間を守れないとか、すごくウッカリ屋さんで天然入ってるとか・・・そういう人が多かったりします。

ただ、だからと言って、友達をたくさん作りたくて、今まで他人軸で生きていた人が、急にわがままになって自分軸で生きはじめたところで、いきなり人気者になれるのか?というと、そういうわけでもないでしょう。

「わがまま」と言うと、ちょっと悪い意味に聞こえてしまいますが、じつは、わがままとは「我がまま」ということであり、自分軸と同義なのです。

つまり、最近流行りの「自分軸」とは、「わがままに生きましょう!」ということにもなるのですが、では、全ての人がわがままに生きて世の中がうまく回るのか?というと、そういうわけでもありません。

もちろん、一昔前の時代と比べれば、多くの人がわがままに生きても、それが通ってしまう時代になってきたのも事実です。

というよりも、これからは、本当の自分を隠して生きることのほうが、むしろ辛くなってくるでしょう。

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最後に・・・

たとえば、わたし的には、孤独死は問題だと思っていません。

なぜなら、人は死ぬときは、誰でも一人だからです。

それでも世の中には、老後に孤独死をしたくないがために、パートナー探し(婚活)をしている人もいる様です。

そんなことも踏まえつつ、「友だちがいるか要らないのか?」を議論するとしたら、本来そんなことは各々で正解を決めることでしょう。

つまり、「俺は友達なんかいらない!」と思う人は、その生き方を自分にとっての正解にすればいいだけであり、友だちがいない人生を、自分にとって最高に楽しいものにすればいいだけの話です。

そしてもうひとつ、最後に、「友達や恋人を作りたい!」という方にアドバイスをしますと・・・

やはり、「友達や恋人が欲しい!」というオーラが出てると、逆に人は離れるように感じます。

それよりも、ある意味周りを気にせず、自分軸で生きている人(言ってみれば我がまま)、良く言えば自分らしく生きている人ほど、結果的に周りに人が集まってしまうことの方が多いようです。

というわけで、出会いを求めるのでしたら「自分軸」を心がけてみるとよいのかも知れませんね☆

今日もご視聴頂き、ありがとうございました!

スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ

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