この世を遊び尽くすために私たちは生まれてきた☆自己実現から自己超越の時代へ!
※このブログは2021.9.20にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
今日は、「人生はすべて遊びであり、それが解ると、これからの時代は比較的生きやすくなる☆」というお話をしますね(・∀・)ノ
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人生で大切な事とは?
人が生きていく上で大切なことには何があるか?を考えると・・・・
まず、「生きるために食べること」、「お金を稼ぐために仕事をすること」などがあげられます。
では、それ以外の、生きるために直接必要にないことは大切ではないのか?と言ったら、決してそんなことはなく、一見すると無駄と思えるようなことも人生にとって重要だとわたしは考えていますし、むしろ、生きるにあたって「無駄」と思えることの方が、人生を有意義にしていくと、わたしは考えています。
たとえば、「趣味」という名目において皆が真剣にやっていることは、多くの場合で、生きるために直接必要のないことです。
たとえば、魚釣りが趣味の人は、わざわざ細い糸を使って魚を釣り上げる難易度を上げて「魚を捕まえる」という労働を無償で楽しみます。
しかし、魚が食べたければ別にスーパーで買ってこれば良いワケであり、わざわざ苦労して自分で釣らなくてもいいのです(笑
山登りが趣味の人は、わざわざお金と時間を使って、自分の命をも危険な状況へと、自分で自分を追い込むことにより、「山登り」という労働を楽しんでいます。
そして、これからの時代は、こういった「わざわざ無駄なことをする」ということが、自分の人生を豊かにしていくヒントにもなるということに多くの方が気づいてくると思いますし、更に言うと、わざわざ無駄なことをすることにより、それが仕事にもなり、お金が稼げてしまうような状況が起きてくると思うのです☆
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マズローの欲求段階に見る人生のクリエイト
こちらは、有名な「マズローの欲求段階」です。
たとえば原始時代、人がまだ洞穴で暮らしていた時代は、夜中にサーベルタイガーに襲われないように配慮する必要がありましたし、寝ている間に毒蛇に噛まれないように配慮をする必要もありました。
しかし今の時代において、部屋で寝ていて「夜中に強盗が押し入ってきたらどうしよう?」と心配しながら暮らしている人なんて居ないでしょう(笑
というわけで、特に日本のような先進国で暮らすわたしたちは、時代の流れと共に、マズローの欲求段階で言う「生理的欲求」や「安全欲求」は、とうの昔にクリアしているわけです。
次の「社会的欲求」についても、実は、わたしたちの世代の多くはクリアしています。
たとえば、「わたしは〇〇大学を出て、今は、〇〇という一流企業で働いています!凄いだろ〜!」というマウンティングは、「社会的欲求」を満たそうとしているからこそ出てくる感情だと言えます。
同様に、「〇〇の友達のグループに居たい!」という感情も、「社会的欲求」を満たしたいという思いから出てきています。
次の「承認欲求」についてはSNSが解りやすく、「いいねを沢山もらいたい!」という欲求から始まり、「人から認められたい!」「尊敬されたい!」という欲求を満たそうとする段階です。
そして一番上の「自己実現欲求」は、「自分にしか出来ないこと」などの「自分の特性を活かすこと」によって「自分のアイデンティティを確立したい!」と願ったり、自分の夢を実現しようとする欲求です。
現在においては、多くの人は「承認欲求」や「自己実現」を満たそうとしている段階に居ると言え、時代の流れとしての「人間の欲求レベル」は、だんだんと上がってきています。
そして、6段階目の欲求である「自己超越」については、実は、マズローが晩年になってから発表したそうです。
では何故マズローは、6段階目の「自己超越」を当初は発表しなかったのか?と言うと、おそらくは、当時の時代背景において6段階目の「自己超越」を発表したら、多くの方から誤解を受けるかもしれない・・という危惧があったからだと思われます。
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「自己実現」は、切磋琢磨で得られない
たとえば、4段階目の「承認欲求」までの欲求を満たそうと思ったら何をすればいいのか?というと、自分に対する切磋琢磨です。
つまりは、自己の能力を高めるための訓練をすることによって、4段階目までの「承認欲求」は満たされやすいと言えます。
しかし、5段階目より上の「自己実現欲求」や「自己超越欲求」を満たそうと思ったら、これまでと考え方が少々違ってきます。
簡単に言うと、5段階目より上の「自己実現欲求」や「自己超越欲求」を満たそうと思ったら、これまでの偏差値教育の枠組みの中で物事を考えていたら、これを達成するのは結構難しいのです。
これは、どういうことなのか?と言いますと・・・
以前に「のび太」と「ジャイアン」のお話をさせていただいたと思いますが、たとえば、1段階目の「生理欲求」、2段階目の「安全欲求」を満たそうと思ったら、ジャイアン的なタイプの人が有利です。
何故なら、ジャイアンの様な力が強い人は、「自分の命の安全を守る」という欲求を比較的簡単に満たすことが出来るからです。
というわけで、昔はジャイアンのようなタイプの人間の価値が高かったワケです。
しかし時代が進むにつれて社会システムの整備が整い、テクノロジーも進展したことにより、多くの人が大して努力をしなくても「生理欲求」や「安全欲求」を満たせるようになり、次の段階の「社会的欲求」を満たそうとし始めました。
ただ、「社会的欲求」を満たそうと思ったら、「社会の枠組み」に入る必要があります。
しかしこの時に、社会の枠組みに入ろうと思ったら、多くの場合で偏差値によってふるいがかけらましたし、「枠組みに入れるかどうか?」を、学力で計られることが多かったわけです。
となると、「社会的欲求」を満たそうと思ったら、今度は、スネ夫的なちょっと小狡い奴や(笑)、出来杉君の様に学校の勉強ができる人が有利になりました。
そして更に時代が進み、多くの人が4段階目の「承認欲求」を満たす段階に来たら、今度は、単に勉強が出来るワケでなくとも、SNSなどで注目されれば、「承認欲求」を満たすことが出来るような時代になりました。
そして、5段階目の「自己実現」を満たそうと思ったら、もう、これまでの偏差値教育で使われたテクニックは必要なくなったのです。
例えるなら、仮に学校の勉強が出来なくても、その人にしか無い何らかの個性をうまく発揮さえ出来れば、「承認欲求」は満たすことは出来ますし、「自己実現」も出来るのです☆
たとえば、偏差値が低くても、大食いが得意な人は、大食いの様子をSNSで投稿して、「イイネ」を沢山貰えば、それで「承認欲求」は満たせるワケです。
更にその人が、大食いユーチューバーとかになって更に注目を浴びることが出来れば、それによってお金も稼げるワケですし、有名になることによって「自己実現」も達成されます。
実際、のび太くんは学校の勉強も出来ないですし、運動も苦手ですが、ただ、のび太くんは「あやとりが上手」とか、「射的が上手い」などの特技を持っています。
しかし、これまでの「偏差値で人を測る時代」においては、「あやとり」が得意でも、「射的の腕」があっても、何の役にも立ちませんでした。
しかし今後は、こういった一見すると「無意味」とも思えるような個性を、割と活かしやすい時代になっていくのです☆
つまり、「自己実現」をするための特技や個性は、決して一般的に言われる「能力の高さ」や、「コミュニケーションの上手さ」や、「知識の豊富さ」や、「見た目の良さ」とは限らないのです。
というわけで、これからの時代は、これまでの時代で生き辛い思いをしていた、例えるなら「のび太くんの様な人」が、意外と生きやすくなる可能性が高まっていくワケです(*´∀`*)ノ
「自己超越」とは何か?
では、6段階目の「自己超越」とは何か?というと、ここからが、結構スピリチュアルっぽい話になってくるワケです。
人は「自己超越」の段階まで来ると、「他人を幸せにしたい」と願うようになります。
これはつまり、「他人の幸福感=自分の幸福感」という考え方が根底にあるからこそ湧いてくる欲求段階であり、ここへ達するためには、自他の区別がなくなっている状態になる必要があります。
そして、この考え方へ到達するには、スピリチュアルの界隈で言われている「ワンネス」への理解が必要になってくるワケです。
ただ、6段階目の「自己超越」は、1〜5の段階が満たされるからこそ実現出来るのであって、つまりは、1〜5の段階が満たされないと、6段階目の「自己超越」には行けないのです。
というワケで、わたしも以前からよく話しているように、他人を幸せにしようと思ったら、まずは自分が幸せにならないと無理ですよ!という話になるワケです。
同様に、4段階目の「承認欲求」や、5段階目の「自己実現」を満たそうと思ったら、まずは、1段階目の「生理欲求」、2段階目の「安全欲求」が満たされていないと、「承認欲求」や「自己実現」は満たすことが出来ません。
では、「自己超越」を実現するためには、どの様な考え方が必要なのでしょうか?
これはあくまでもわたしの持っているイメージですが、「自己超越」を達成しようと思ったら、無垢の状態、つまり、子供に戻っていくイメージを持つことが大切なのかな?と思うのです。
何故か?と言うと、子供は最初から分離の感覚が希薄であり、自分と他人の区別が無いからです。
そして、子供の頃は、誰もが「ありのままの自分」を受け入れることが自然と出来ていました。
というわけで、6段階目の「自己超越」を達成しようと思ったら、1段目〜5段目の欲求を満たすためにこれまで頭に入れてきた価値観を、今度は逆に「捨てていく」ことを考えたほうがよいのかな?と、わたしは思うのです。
この様に、今後は、これまで必死で頑張ってきた方が、これまでの頑張りを手放した時に、結果的に成功してしまうような社会が訪れると思うのです。
ただ、6段階目の「自己超越」は、1〜5段階目を満たせているからこそ6段階目へ行けるわけです。
わたし自身も、「あなたは、あなたのままでいいですよ」というメッセージをよく皆様にお伝えしてきましたが、こういったメッセージは、これまでに1〜5段目の欲求を満たすために頑張ってきた人に当てはまると言えます。
というワケで、「あなたは、あなたのままでいいですよ☆」「そんな自分を、ただ許してあげればいいですよ☆」という話は、江戸時代に言っても通用しなかったのです(笑
この様に、マズローの欲求段階は、時代背景と絶妙にリンクしており、そのため、第6段階目の「自己超越」も、マズロー自身が「まだ時代が追いついていないな」と判断したために、直ぐに発表しなかったのでしょう。
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「自己超越」と、新時代の仕事とのあり方
「自己超越」を満たすために大切なことは何があるか?を考えてみると、やはり、この宇宙には「目に見えない世界があるのだ」ということをまずは認めることであり、目には見えないけど、「自分も他者も本当は繋がっている!」ということを知ることが大切だと思います。
たとえば、「徳を積む」といった考え方も、昔は、「修行をするなどの努力によって、徳を積まなければならない!」という考え方が、あらゆる宗教でも教えられてきました。
しかし、「本当は、自分も他人も同じなんだ!」ということに気づくことが出来れば、自然と、徳を積むような行動が出来るようになるワケです。
これが、「自己超越」というものだとわたしは思います。
そして、「自己超越」を満たすための考え方で大事なのは、今日のお話のテーマでもある、「仕事も人間関係も全て遊びなのだ☆」と、こんな感じに軽く考えることがコツなのかな?と、わたしは思うのです。
たとえば、今仕事をされている方の中にも、生活のために嫌々仕事をしている方が多いとは思いますが、しかし、今後の5年、10年のスパンで時代の流れを予測すると、もう「嫌々仕事をする」とういう価値観は消えていくことになると思います。
つまりは、遊んでいる感覚で仕事を出来ないのだったら、そんな人はもうベーシックインカムで良いと思うのです。
なぜなら、人間が嫌々仕事するよりも、AIや機械の方が上手くやってくれるのなら、全然そっちのほうがいいからです。
わたしとしては、マズローの欲求の段階に見られる人の進化は、時代の流れとして、全ての人に対して起きてくることだと思っているので、いずれは全ての人が、第6段階目の「自己超越」を達成することになると考えています。
というわけで、こういった「マズローの欲求段階」のお話も、今話題の「ベーシックインカムの話」も、全て繋がっているのだとわたしは思います。
今後の仕事に対する考え方は、「嫌なことを我慢してやる」という考え方を捨て、どんな仕事をするにしても、結局は、「自分の人生を豊かにするための活動でしかない☆」といったような感覚に、だんだんと皆がなっていくと思うのです。
つまり、「仕事と趣味の境目なんて実はなかったんだ!」「全て遊びだったんだ!」と思えるようになるのが、新時代を生きるコツだと思うのです。
というわけで、これからはもう努力をする時代ではないのです。
もちろん、傍から見て、一見すると額に汗して努力をしているように見える人でも、本人がそれを望んでやっていたら、それは遊びと同じだという意味ですけどね♪
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努力を捨てて、ありのままに生きよう☆
もちろん、マズローの欲求の段階のお話は、仕事だけではなく、人生全般に当てはめて考えることが出来ますし、今日のお話しも決して「会社で出世しましょう!」と言ったような自己啓発的なお話をしたいワケではありません。
それどころか、おそらく今後は「上を目指さなければいけない!」なんて価値観自体が崩壊していくと思うのです。
今後はおそらく、結果的に世の中で大きく活躍できたり、皆の注目を集めるような人と、反対に、そういった特別感を出せない人の「多様性」がどんどん細分化してくると思います。
ただ、だからと言って「社会で活躍できないから駄目なんだ」という価値観自体が疑問視されてくると思うのです。
これまでの時代は、「普通の人」という価値観が皆の中にあったと思いますし、言ってみれば「普通の人生のフォーマット」の様なものが存在していました。
解りやすいのが「一億総中流」という考え方であり、これまでの時代は、皆で中流になるためのフォーマットに、無理やり自分を当てはめようとしてきたのです。
しかしこれからの時代は、そのフォーマット自体がなくなっていくのだと言えます。
では、これからの時代、社会システムや人の生き方はどう変わっていくのか?を想像すると、イメージ的には、似たような価値観の人が集まる小さなコミュニティが一杯出来てくると思うのです。
そして、こういった小さなコミュニティの形成は、インターネットによって実現するのですが、小さなコミュニティが一杯出来るということは、それだけ、考え方が多様化してくるということであり、その多様性を皆が認め合えばいいのです。
たとえば、わたしのYoutubeチャンネルも、別にわたしがトップの立場で皆に話をするというイメージではなく、このチャンネルも、言ってみれば「皆んなで作っているチャンネル」だと言え、似たような価値観の人が集まり、その価値観を皆で共有し合うようなコミュニティにしたいと考えています。
そして、わたしが皆と共有したいことの1つとして、もうこれからの時代は、「嫌なことを我慢してやり続けなければならい」とか、「苦手なことを克服しなければならない!」と言った様な「義務的な考え方」を捨てることが許される時代になると思いますし、もっと自然体に生きても、実は、困ったことは起きないんだ☆ということが、皆にも伝わると良いな☆と思っております。
今日もご視聴頂き、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした(*´∀`*)ノ
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