目覚める人、眠り続ける人☆相対性からワンネスへ

目覚める人、眠り続ける人☆相対性からワンネスへ




※このブログは2021.12.26にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちはNORIさんです☆

今日もご視聴いただき、ありがとうございます(*´∀`*)ノ

今日は「目覚める人・眠り続ける人」というお題で話してみようと思います!

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宗教による二元論的刷り込み

近年、過去にバチカンが行ってきた小児性愛や児童虐待のニュース、教会による魔女狩りで何万人もの人が犠牲になったというニュースが、包み隠さず報道されるようになってきました。

こういった流れからも解るように、今後わたしたちが迎えようとしている社会は、これまでの一神教的な「絶対神を崇拝する」といったフェーズは、もう終わろうとしています。

そもそも、「悪魔」という存在は、宗教的な観念によって作られた幻想であり、この宇宙には悪魔なんていません(笑

こういった二元論的な考え方は、片側から見た解釈によって生まれる相対的な価値観であり、そもそも、物事を善悪で分けることなんて出来ないのです。

中東のテロ組織も、こちら側からみれば「悪魔のテロリスト」と定義できますが、しかし、彼らは彼らで「自分たちこそが神に選ばれた神聖な存在なのだ!」と、本気で信じているからこそ、テロ行為を行えるわけです。

宗教においては、「ルシファーが正しい!」と、真剣に思い込んでいる人たちが悪魔教的な人たちであり、それに対して、「ヤハウェが正しい!」と真剣に思い込んでいる人たちが、キリスト教を中心とする一神教グループの人達というだけです。

そして、彼らがそれぞれの正義感を行使する戦いが、かれこれ数千年も続いているのが今の現状の世界なのだと言えます。

しかし、こういった状況も一歩俯瞰してみれば、ただ、片側が片側の主張をして正義感を出しあっているだけであり、どっちもどっちだと言えます(笑

もちろん、日本の神道しても、ユダヤ教キリスト教などの一神教の流れを汲んでいますし、本来のアミニズム的な考え方とはズレてしまっているのも事実。

この様に、世界は宗教を基軸として動いていますし、宗教から発生している価値観や常識感を当たり前の様に感じて、わたしたちは生きているのです。

つまり、スピの界隈で語られる「光と闇」という概念も、宗教的な「天使と悪魔」という概念も、更には、哲学的な「善と悪」といった概念も、そもそも二元論的な考え方であり、これこそが、人類が長年刷り込まれてきた「相対的価値観」という嘘の正体なのです

相対的感覚の嘘


ではこの時に、わたしたちが刷り込まれている一番大きな相対的価値観の刷り込みは何か?と言うと、それはおそらく「自分」という存在が、この世界にリアルに存在しているという感覚でしょう。

わたしたちは、生まれると、まず名前をつけられます。

名前をつけられることによって、「自分」と「自分以外の存在」と言った具合に、目に映るあらゆる事象に対して「相対的に分ける」という考え方をするようになります。

更にはここへ追い打ちをかけるように、あらゆる宗教では、「この宇宙には自分と神がいるのだ☆」と相対的に分ける考え方を教えます。

そして、「神とは人間の力の及ばない凄いお方なんだ!」と、更に自分と神とを分離させる価値観が語られます。

この様に、わたしたちは、物事を相対的に分ける考え方しか出来ないように、様々な刷り込みを受けて来ています。

しかし、本質的なことを言うなれば、この宇宙に存在するものは、本来は「ひとつ」です。

というわけで、あえて「神様」という言葉を使うのであれば、この宇宙に存在するものは、すべて神様☆ということになります(笑

仮に「魂」という言葉を使うのであれば、この宇宙に存在するものは、すべて魂☆ということになるのです(笑

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命の境界線は存在しない

現代の科学では、「有機質と無機質」と分けて考えられていますが、しかしここで、仮に「命」という言葉を使うのであれば、実は、この世界に存在するものは、全て命であると言えます。

たとえば、天外伺朗さんも、著書の中で「この宇宙は一つの生命体であり、それは愛と呼べるようなもので出来ている」と結論づけています。

解剖学者の養老孟司先生は、人間固有の能力して「同じにする能力」の話をされています。

ここで言う「同じにする能力」とは、簡単に言うと、マルチーズやスピッツやチワワを見ても、人間だけが「犬だ!」と、グループ化して認識することが出来る能力だそうです(笑

では何故人間だけにこの様な能力が備わっているのでしょうか?

これはあくまでもわたしの考えですが、人間が持つ「同じにする能力」も、もともとは、人間が何でも相対的に捉えてしまう感覚から来ているように思えるのです。

まず、人間だけが「わたしが存在する」という自我を物凄く感じています。

人間だけが備える強固な自我の機能により、「自分」と「それ以外の存在」を、相対的に分けて捉えているのです。

こういった自我の機能により、人間だけが、「自分と犬」とか、「自分と猫」と言った具合に、存在を「カテゴリー分け」して捉える様になったのでは?と思うのです。

そしてここで、「悟り」とか「目覚め」といった言葉を使うならば、この領域に至る人というのは、こういった「相対性の嘘」に直感的に気づける人のことなのではないか?と、わたしは思うのです

そもそも、原子レベルのミクロの視点で世界を見れば、すべての存在が原子、電子、中性子などの素粒子が運動することによるエネルギーだと言えます。

となると、どの存在が命であるか?命でないのか?

どこからが物質で、どこからが空間なのか?なんて境界線を引くことなんて出来ないということになるのです。

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目覚める人、眠り続ける人

「目覚めた状態」、「眠っている状態」とはどういう状態なのか?という話をしますと、自我によって相対的に物事を分ける考え方が極まっていくのが眠っている状態であり、反対に、相対的に物事を分けないようになっていくのが目覚めていく状態なのかな?と、わたしは思うのです。

映画のマトリックスでも、眠り続ける人(仮想現実だと気づかない人)は、自分という存在がリアルに存在しているのだという感覚が強いからこそ、眠り続けているわけです。

近年は、ムーンショット計画や、メタバースの話題が流行っています。

しかし、わたしたちは、そもそも自我によって「自分」という存在がリアルに存在していると感じている(つまり眠っている)状態なのに、そこへ、メタバースの様な仮想現実空間が登場すると、既に仮想現実の中にいるのに更に仮想現実の中に入り込む・・・という、おかしな状況になるワケです(笑

ということは、近い将来、メタバースのような仮想現実空間に没入する暮らしを選ぶ人は、もう完全に眠り込むということになると思うのです。

もちろん、仮想現実の中で完全に眠り込むという選択も、悪い事だとは思いません。

要は、本人が幸せなら良いわけであり、そういった意味でいうと、「目覚め=幸せ」ということでもないのです(笑

とは言っても、目覚めちゃう人というのは、何もしなくても勝手に目覚めんちゃうんですけどね♪

なぜなら、分離をした「個」としての意識には、自由意思はないからです(笑

我を手放すことによって願いが叶う理由

「目覚め」とは、相対的にものごとをとらえる感覚が、どんどん消えていくことだと、わたしは思っています。

つまり、「自他の区別」がどんどん消えていくわけです。

本来わたしたちは「ひとつ」です。

では、本来はひとつでしか無いわたしたちが、分離という幻想の中で、どのように自由意志を持つことが出来るのでしょうか?

たとえば、分離したAさんの意識が「Bさんと付き合いたい!」という望みを達成させるためには、同時にBさんは「Aさんと付き合いたい!」と思わなければ、お互いの自由意志は達成のしようがありません。

つまり、分離した個としての意識が自由意志を発動できたら、そこに矛盾が生じるのです(笑

しかし仮に、個々の意識が分離から統合に向かい「平和な世界を作りたい!」なんて望みを持ったとしたら、AさんもBさんもCさんも、皆で同じ望みを持つことができますので、それが集合意識となり望みは叶えられる!ということになるのではないでしょうか?

ただ、意識が統合に向かった状態になると、今度は「わたしがこうなりたい!」と言ったような、「我」から発生する願望は、そもそも湧き出てくなくなります。

そして、この話を逆説的に言えば、「我欲」を無くすからこそ意識の統合が進み願いが叶うということです

そのため、スピの界隈でも「執着を手放すこと」が大事だと言われているのです。

しかし、執着を手放して「我欲」がなくなってくると、今度は、「わたしがこうなりたい!」という、「我欲」は、そもそも湧き出てこなくなるという不思議なパラドックスなのです(笑

読んでいただき、ありがとうございました(*´∀`*)ノ

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