やるべき事なんて何もない☆義務感を捨て、あるがままに生きるヒント
※このブログは2021.12.22にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。
こんにちはNORIさんです☆(*´∀`*)ノ
今日もご視聴いただき、ありがとうございます☆
今日は「人生でやるべきことなんて、本当はないのです!」というお話をしますね(`・ω・´)ゞ
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「やるべきこと」のほとんどは外部からの刷り込み!?
夢や目標に向かって困難を乗り越えていくことは、確かに素晴らしいことです☆
しかし多くの方は、知らず知らずのうちに「こうするべきである」という観念にとらわれていると言えます。
たとえば皆様は、自分が子供の頃に「何となく学校がつまらないから」といった軽い気持ちで、学校をサボることが簡単に出来ましたか?
わたし自身、子供の頃は病気がちでよく学校を休んでいましたが、しかし、体調が良いにもかかわらず学校をサボることには物凄い罪悪感がありました。
その理由を考えてみたら、子供の頃のわたしは「とにかく学校は行かなければならないものである〜!」と、強烈に思い込んでいたことに気いたのです。
更に言うと、「遅刻をしないこと」「皆勤賞を目指すこと」、これを達成することにより大人たちに褒められて、立派な人間になれるのだ・・・と信じていました(あほw
ただ、これまでの動画でも何度も話しているとおり、わたしたちは、ある意味「洗脳」を受けてきています。
たとえば、「規則を守ること」「上の人間の命令に従順に従うこと」、そして「システテムの歯車になること」が、すなわち「立派な大人なのだ」という刷り込みを受けてきているのです。
しかし、そういった大人になるためには自分を押し殺す必要があり、個性を潰して努力をすることが求められます。
つまり、わたしたちが「やるべきこと」として思い込んでることは、実は、ほんとどの場合で、後天的な刷り込みによって「自分は◯◯をするべきである」と、思い込まされていることの方が多いのです。
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なりたい自分像は本物か?
わたしは若い頃、「大人になったら、もっと自分の仕事のスキルを上げて給料を上げていかなければならない!」と思っていましたし、「30歳位になったら結婚しなければならない」と、思い込んでいました。
そしたら次は、「ローンを組んで一戸建てを建てなければ一人前じゃない」なんて本気で思い込んでいたものです(笑
しかし今となっては、そういった思い込みからは開放され、実は、人生において「やるべきこと」なんてなかったのだ!と気づいたわけです。
この様に、わたしに限らず、きっと多くの人が、自分の中に「理想の自分像」を設定していると思うのです。
そして、「理想の自分になるべきである!」という観念によって、自分で自分を苦しめてしまっていると言えます。
ただ、多くの人がとらわれている「理想の自分像」なんて、後天的に刷り込まれていることが多いのです。
たとえば、「わたしは海外に移住したいのですが、お金がないので海外移住の夢を達成できません!」なんて相談をくださった方がいます。
しかし、わたしから言わせると、人に相談をしている時点で、それはもう、あなたにとっての「やるべきこと」ではないのです。
何故か?と言うと、「海外に移住したいな〜!」と自分が思ったとして、それが本当に自分にとっての天命であるならば、誰にも相談せずに、もう行動に移しているハズだからです(笑
迷わず行動すればよい
会社を辞めて起業をする、ローンを組んで家を建てる、勢いで結婚する・・・
こういった人生において重要な決断も、自分にとっての天命であれば、迷わずに行動に移せるものです。
というわけで、「起業したいのですが方法が解りません!」と、人に相談している時点で、その人は起業しなくても良い!ということになるのです(笑
宇宙との繋がりが深い方は、直感やインスピレーションで行動しますし、そういった人の特徴は「選択」で迷いません。
つまり、自分が「それ」を選択することに対し、自分の中で既に答えが出てしまっているのです。
というわけで、選択の局面で「悩む」という行動は、ある意味無駄であると言えます。
そのため、もっと直感を信じて、重要な決断ほどインスピレーションで決めたほうが、結果的には良い方向へ物事が進むとわたしは思うのです。
このときに、既存のルールや、過去の成功経験にとらわれず、心の声に従うことが、おそらくその人にとっての正解なのでしょう。
そういった意味でいうと、お金が無いのに勢いで起業しちゃうような人の方が、より本質的であると言えます(笑
そして、自分の選択による「結果」が、たとえ社会的に見て失敗と思えるような状況になったとしても、「自分は失敗した」と思わないことは重要ですし、むしろ「この方法では駄目だということが解ってヨカッタ!」と、肯定的に捉えることが大事だと思うのです☆
つまり、「人生の正解」とは、決して対外的な成功ではなく、あくまでも「自分にとっての正解」であれば良いわけです(*´∀`*)ノ
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あるがままに生きればいい
ただ、決断に迷わず、自分にとっての人生の正解を迷わず出し続けることが出来る人は、一見すると、人に迷惑をかけまくる様な人にも見えます。
何故か?と言うと、周りの多くの人は、既存の常識やルールに縛られて生きているので、そんな人たちから見ると、自分の直感に従って自由奔放に生きてる人は、人の迷惑を顧みない変人に見えてしまうからです。
しかし、これからの時代は、むしろ「変人」で良いのです☆
そしてある意味、人の迷惑も考えなくて良いのです(笑
もちろんこれは、結構レベルの高い話をしています。
かつて、人類全体の進化の段階が未熟だった時代は、宗教や戒律を作り、人の精神性を律することが必要でした。
しかし、これからの時代、人類はその段階を超えていくことになるのです☆
特にこういった動画を観てくださる方は、別に、宗教的な戒律なんて知らなくても、そもそも人のものを盗んだり、人を傷つけたりなんてしていないことでしょう(笑
つまり、これからの時代は、宗教組織自体も、戒律によって人間を律することも、もう古い価値観なのです(笑
隣人に親切にしましょう!なんて教えは、多くの人は言われなくとも当たり前のように出来ているハズなので、その上で、より自分らしくあるがままに生きてOKなのです☆(*´∀`*)ノ
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個々が役割を楽しんでこなせば社会は回る!?
目には「見る」という役割があり、口には「食べる、話す、呼吸する」という役割があります。
心臓は「血液を体中に送る」というポンプの役割があり、胃袋は「食べたものを消化する」という役割があります。
この様に、それぞれの臓器がそれぞれの個性に合った役割を発揮することにより、絶妙なバランスの上に「人の体」という奇跡的な創造物が成り立っています。
しかし、これまでのわたしたちの社会は、「目」として生まれてきた人に対して、「口になれ!」ということを強要されてきました。
「手」として生まれてきた人に対して、「明日から足なって歩いてくれ!」と、トンチンカンなことを強要してきたのが、これまでの社会だったのです(笑
つまり、会社で例えるならば、経理として入社した人に対して「お前、明日から営業やれ!」と言われているような状況です(笑
しかし、理想を言うならば、生まれつき社交的な性格で、営業が得意な人が営業職をやれば良いわけであり、本来、皆んなが得意なことだけをやっいても、ある程度社会は回るハズです。
ただ、これまでの社会システムは、意図的にそれを許さない設計になっていたので、皆が個性を抑え込み、社会の歯車に収まることを強要されてきたわけです。
もちろん、昔はテクノロジーが今のように進歩していなかったので、旧来の「個を潰す教育」もある意味必要だったのでしょう。
そのため「◯◯をすべきである!」なんてスローガンが叫ばれていたのですが、実は「◯◯をすべきである!」という思い込みは、ピラミッド式の社会システムを維持するために行われてきた、刷り込みから来ています。
そしてこれが、わたしたちがこれまで感じてきた、生きることの苦悩の根源だったと言えるのでしょう。
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悟りは特別なことではない
ただ、これまでの社会で、役割を演じることに頑張ってきた方にとっては、「やるべきことを成さなければならない」という価値観を手放すのは難しいかもしれません。
その理由は「成功体験」です。
たとえば、家族のために嫌な仕事を我慢して頑張ってきた方、親としての役割を果たすために子育てを頑張ってきた方ほど、自分の過去の努力や頑張りによって、ある程度の結果を出してしまっているものです。
そのため、「やるべきことを成す」事によって物質的な成功を果たしてしまっている方も多いのも事実。
これまで既存の枠組みの中で努力をしてきた方は、ある一定の社会的ポジションに付いていることも多く、そんな方ほど、「人は、我慢をし、努力をすることによって幸せになれる」といった、過去の自分の成功体験に基いた価値観を信じていることでしょう。
今でも、あらゆる宗教の教祖様たちは「こうするべきである!」といった「戒律」を、良かれとして伝えています。
確かに、覚者に近づくには知識や経験を増やしていく学びも必要です。
しかし人は、精神性の進化がある程度進むと、今度は「人生で培ってきた知識や経験を手放していく」というフェーズに入る様です。
そのため小林正観さんも、終盤の頃に行われていた講演会ほど、くだらないダジャレばかり言って皆を笑わせていた印象が強く、「聖人」という印象を意図的に与えていない様に見えました(笑
お釈迦様にしても、イエスにしても、実際、自分では教典を一筆も書いていないわけであり、仏教もキリスト教も、釈迦やイエスの言葉をメモした弟子たちによって、何百年後に宗教として確立されたのです。
そんなわけで、人は覚者に近づくと、最初のフェーズとしては多くの人の目に触れて教えを伝えることを始めるようですが、しかし、もっと先のフェーズに進むと、これまでに培ったあらゆる社会的役割や肩書をかなぐり捨て、人前に出なくなる様なフェーズに入る様です。
ただ、人によってはこういった「進化のフェーズ」を経験しないまま、所謂、「最初っから悟っているの人」もいます(笑
実際今となっては「悟った状態」というのは特別なことではなく、生まれつき悟っている人なんて、そこら辺に沢山いることでしょう。
もしかしたら、ホームレスの中に悟りを開いた人がいるかも知れませんし、近所のスーパーで働いているおばちゃんの中にも悟りを開いている人はいるかも知れません(笑
ただ、そう言った人たちは一切表に出てこないので、人々に発見されることはありません。
そんなわけで、今、世の中に出ている、心の学びを教えているマスターたちや、精神世界の話をするマスターたちも、あくまでも「宇宙から与えられた役割」をこなしているに過ぎず、精神世界のマスターたちが特段優れているというワケでもないのです(笑
読んでいただき、ありがとうございました(*´∀`*)ノ
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