【教育の未来】椅子取りゲームの無限ループから抜け「公平な社会」を目指す

【教育の未来】椅子取りゲームの無限ループから抜け「公平な社会」を目指す




※このブログは2022.1.4にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちはNORIさんです☆

今日もご視聴いただき、ありがとうございます(*´∀`*)ノ

今日は、「教育の未来」というテーマで話してみようと思います☆

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古いシステムの嘘に気づく

わたしたちは、良い意味でも悪い意味でも、子どもたちに嘘をついてきたと言えますが、これからの時代は、なるべく嘘をなくしていくことが大事なのではないか?なんてわたしは考えております。

たとえば、GHQによって作られた教育体系の嘘は、教科書で教えられている歴史の嘘であったり、体育の時間で行われる体操座りや、元々は軍隊を育成するための訓練である「騎馬戦の競技」であったりと、あげればキリがありません。

そのため、教育体系の嘘に直感的に気づいている先生ほど、「子供に嘘を教え続ける」というジレンマに悩まされることになり、教師という職業が大変なモノになっていると思うのです。

しかし今、時代の転換期を迎え、教育体系に限らず、旧来のシステムが大きく変更されようとしています。

そして、旧来の教育体系のオカシさに一番気づいているのは子どもたち自身でしょう。

わたしも子供の頃、「学校の廊下を走ってはいけません!」なんてよく言われたものですが、しかし本来、子供は元気に走り回るものです(笑

そんな子どもたちを教室に押し込めて、指定の時間内じっとしていることや、私語を慎むよう強要していること自体が既に無理があるのです。

では、こういった指導が何故行われてきたのか?というと、簡単に言うと、社会の歯車に疑問を感じること無く組み込まれ、ピラミッド社会の中で、国に対して従順に税金を収め続ける労働者を作るためだと言えます

しかし今、そういった旧来の教育体系も、いよいよ根本が見直されるタイミングに指しさかかっているのだと言えます。

平等よりも公平な社会を!

そもそも「平等」という概念は幻想であり、人間が平等になることはありえません。

簡単に言うと、左の図が平等という考え方なのですが、本来は、右側の図のような「公平」な状況になるのが理想なのではないでしょうか?

ただ、公平性を重視した社会を目指そうとすると問題になってくるのが、「システムが公平性を決めることは出来ない」ということです。

では、誰が、人に対して公平性をもたせればよいか?というと、わたしは、一人一人の判断によって、皆んなが公平になるような社会を作っていくことが理想だと思うのです。

簡単に言うと、自分の隣に背の低い子がいたら、自分の踏み台をその子に与えてあげればいいのです☆

こういった「与え合い」を個々の判断で行い、すべての人が困らないような社会を作っていくのが理想だと思うのです(*´∀`*)ノ

つまり、皆んなが愛に目覚めさえすれば、公平な社会は意外と簡単に実現できると思いますし、理想な社会は作れると思うのです

そして今後は、こういった「平等の嘘」や、「公平な社会のメカニズム」を、子供たちにちゃんと教えていくこことが大事だと、わたしは思うのです。

皆で上を目指そう!は、そもそも無理

たとえば、「皆で努力をし上を目指そう!」なんて話があります。

この考え方は、一見すると凄く良い事を言っているようにも聞こえます。

しかしわたしは、この論法も、そもそも無理があると考えています。

何故か?と言うと、皆で上を目指しても、皆と一緒に上に上がることができない子が必ず居るからです。

人は生まれつき、皆んな違った個性を持ってます。

知能指数にしても基礎体力にしても、生まれながらにして皆んな違うわけです。

更に言うと、山は山頂に行くほど狭くなるワケであり、「皆で上を目指そう!」とは言っても、そもそも上に行くほど狭いから、皆が上に上がること自体が、そもそも不可能なのです

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成功を目指さなくとも良い

実は、皆んなが経済的な成功を目指す必要も無いですし、皆んなが俗世的な成功を目指す必要も無いのです。

大切なのは、経済的、俗世的に成功出来る人と出来ない人に優劣は無い!ということに気づくことです

そういった意味では、よりお金を稼げる能力がある人は、そのお金を、今度は自分の会社の事業や、世の中をより良くしていくために取り組んでいる企業とか団体に投資をすることで、より公平な社会に近づいていくと言えます。

それが、循環する社会にも繋がっていくワケです。

スピの界隈でよく言われている「縄文的な生き方」というのも、別に、金融システムや資本主義を捨てて山奥で自給自足しましょう!という話ではなく、お互いの個性によって生み出された価値を、皆んなで循環させて共有できるようにすれば、それが、縄文的な社会に繋がっていくと思うのです☆

もちろん、理想論を言えば、映画「美しき緑の星」の様な、資本主義も貨幣経済も存在しない社会が理想ですが、ただ、そんな社会はまだ直ぐには来そうもありません。

というわけで、あくまでも前段階として、金融システムも容認しつつ、ではその中でどうすれば理想の社会に近づけていけるのか?を、教育で教えることが大切だと思うのです。

そのためには、今の社会が「ピラミッド構造」になっているということを知り、上に上がるための椅子取りゲームのバカバカしさに、多くの方が気づくことが大切なのではないでしょうか

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椅子取りゲームから離れる

上に上る人がいるということは、当然、下に落っこちる人がいるのです。

しかし、山に登りたくない人は、無理して山に登らなければ、落っこちることはありません(笑

実際、わたし自身は自分の偏差値も知らないですし(おそらく30くらいw)受験勉強もしたことがなく大学も出ていませんが、しかし、そんなわたしでも、世の中に出ても何にも困っていません。

そもそも、「いくら稼げるのか?」に学歴はまったく関係ないですし、「世の中で活躍できるかどうか?」も、学歴はまったく関係ありません。

もちろん、子供が自分の意思で「〇〇の大学に行きたい!」と言うならば、子供の意見を尊重して親が応援してあげるのは大事ですが、しかし、自分の子供が勉強に興味を示さない様な子だったら、もう無理して勉強させることはないと思うのです。

反対に、自主的に勉強をする様な子が、仮に志望の大学に落ちたとしても、人生をロングスパンで見れば、困ったことは起きないのです。

何故なら、人生は「塞翁が馬」だからです☆

大抵の場合、親よりも子供のほうが魂は進化しています。

つまり、親の主観から来る方法論は、子供からすれば大抵は間違いなのです(笑

大人たちは自分の成功体験に基いて、子供に成功のために自分の方法論を話をしがちですが、そもそも親の成功体験は、何十年も昔の社会システムの上での成功体験でしかないので、今の時代には当てはまらないのです。

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皆んな違って皆んな良い!

頭の良い子、馬鹿な子、運動神経の良い子、どんくさい子・・・子どもたちは皆んなそれぞれ違った特性を持っていますが、これらはすべて「個性」です☆

というわけで、実は「普通」という概念自体が嘘なのです

子どもたちは、お互いに違った個性を、ただ認め合えばいいだけなのです。

そういった意味で言うと、これからは「個」が大事な時代になってきます。

たとえば、社会に上手く順応できない子が居たら、「個」としての個人の判断によって、お互いに助け合ったり、応援し合える社会が理想的です。

そして、「皆んな違って皆んな良い☆」という価値観を、繰り返し教えてあげることが大事だと思うのです

仮に自分の子供が、勉強もスポーツも出来なくても、親は、そんな子供の個性をただ認めてあげればいいのですね♪

このときに、言葉に出して「お母さんは、そんなあなたが大好きなのよ☆」と、何度も伝えることが大事だと思うのです。

わたしたち大人は、こんな事を意識していれば、子どもたちは自然と自分の個性を発揮して、世の中に出ても何も困らず生きていける☆と、わたしは思っています☆(*´∀`*)ノ

読んでいただき、ありがとうございました(*´∀`*)ノ

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