求めることでは幸せにはなれない!?人生は最大の暇つぶし(幸福感のメカニズム)

求めることでは幸せにはなれない!?人生は最大の暇つぶし(幸福感のメカニズム)




※このブログは2022.1.19にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちはNORIさんです(*´∀`*)ノ

今日もご視聴いただき、ありがとうございます☆

今日は「幸福感とはなにか?」というテーマでお話します♪

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人は「条件付きの幸せ」を求めてしまう

たとえば、「パートナーが出来たら、わたしは幸せになれる!」とか、「お給料があと3万円上がったら、わたしは幸せになれる!」と、望むとします。

そして、運良く素敵なパートナーと巡り合えたり、給料が上がったりすると、確かにその瞬間は幸福感を感じることが出来ます。

しかし、こういったことで得た幸福感は、あくまでも「条件付きの幸福感」であり、本質的な幸福ではないのです。

何故なら、「条件付きの幸福」は「条件」を求めている状態であり、「求めている」ということは、すなわち「不足感を感じている」ということだからです

「喜び」と「悲しみ」は同じ!?

たとえば「恋愛」は、人生において大変大きな喜びを味わえるイベントです☆

人は恋をすると、何とも言えないトキメキ感やワクワク感を感じますが・・・しかし、恋をすることで得られるこういった感覚は、それは「幸せ」なのではなく「喜び」なのです。

そして、「喜び」という感情は、どこまで行っても一義的なものです。

つまり、恋をして得られる何とも言えない感覚は、たまの休みにディズニーランドに行ってはしゃぐ気持ちや、お酒を飲んで酔っ払って気持ち良くなっている状態と同じであり、これは一義的な「喜び」であり、真の「幸せ」ではないのです

「喜び」とは、心の針のベクトルが片側に振れている状態であり、この針が、反対側に振れたら「悲しみ」となるのですが、実は、「喜び」も「悲しみ」も、高次な視点から見れば「ベクトルがどちらに振れているか?」だけであり、本質的には同じものなのです

ただ、わたしたちは、こういった一義的「感情の振れ」を、時に「幸福」と勘違いしがちです。

しかしこれらは、あくまでも「心のベクトルが激しく動いた」という体験であり、真の幸福感とは言えないのですね・・・

真の幸福とは?


「真の幸福」とは、心のベクトルの針が、どちらにも振れていない状態だと言えます☆

これを、仏教的に「中庸」と呼んでもよいのかもしれません。

もう少し解りやすく言うと、本当の幸福感とは「絶対的な安心感」だと言えます

ただ、こんなこと言うと、「パートナーと一緒にいると安心感を得られます!」なんて返されそうですが、しかし、そんな場合も「パートナーが居る」という条件付きの安心感でしかありません(笑

本当の幸福感とは、パートナーが居ても居なくても、安心できる状態です

つまり、パートナーが居る方なら、仮に相手が急な出張で会えなくなったとしても、それでも相手を信頼し、安心していられるのが「本当の幸福」なのです♪

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刺激は「幸福」ではない!?

恋人が出来る、欲しいものが手にはいる・・・こういった経験をすれば、確かにその瞬間は誰でも嬉しいものです☆

しかし、ちょっと日にちが経ってくると、手に入ったモノに慣れてしまい、次から次へと求め続けるループにはまりがちなのが人の性です。

たとえば、「わたしは恋人できれば幸せになれる!」と思っていた人に恋人ができると、今度は「会える時間が増えれば、もっと幸せになれる!」なんて言い始めます。

更には、「結婚ができなければ、幸せになれない!」なんて言い出して、結婚をしたらしたで、今度は「子供が産まれなければ幸せになれない!」なんて具合に、「求め続けること」にハマって行くワケです(笑

ただ、この様に「求め続けている状態」というのは、「幸せ」に向かっているのではなく、「一義的な喜び」を追っかけているだけです

つまり、「嬉しさ」とか「気持ちよさ」を追い続けているうちは、真の幸福感には至れないというワケです

というワケで、スピの界隈でよくありがちな「お金を引き寄せよう!」とか「ツインソウルと出会える!」といったワークは、あくまでも、一義的な「喜び」を引き寄せるテクニック的な話であり、真の幸せに至るような本質的な話ではないのです(笑

もちろん、そういったメカニズムを理解した上で、いろんなモノを求め続けることも、それもまた人生です☆

大切なのは、引き寄せのワークなどで言われている話の多くは、「幸せになるための方法論」を話をしているワケでなく、一義的に人生に喜びを与えるための話なのだということを理解することなのですね

手放すと手に入る理由

わたし自身の話をしますと、過去に、いろんなモノを求め続けるのを辞めた瞬間に、不思議と求めていたモノが手に入るようになりました。

わたしは、結果的に何の努力もなしに、「会社に縛られない自由な生活」や、「何不自由なく暮らせる収入」を手に入れることができましたし、今となっては、「不仲だった家族とのしがらみ」からも開放さました☆

では、わたしが今の状態に至るまでに何をしたのか?というと、簡単に言うと「全て諦めた」のです(笑

もちろん、その前段階には「ありがとう」のワークも実践していましたし、そのお蔭で、極端なネガティブ体質からポジティブ体質に変わることも出来ました。

ただ、こういった「アファーメーション」のテクニックは、ずっと通用するものでは無いのです。

何故か?と言うと、最初にもお話した通り、「欲しいものを求めているという状態」は、真の幸福に向かっているのではなく、ただ、心の興奮状態を得ようとしているだけだからです。

よくよく考えれば解るのですが、欲しいものが永遠と手に入り続ける人生なんてあり得ないですし、いつか、欲しいものが手に入らない状況も訪れます。

そしたら、次の段階で「諦める」ということを知っていないと、本当の幸せには向えないのです

ただ、「諦める」と言うと、何だか後ろ向きな言葉に聞こえてしまいますが、「諦める」の本当の意味は「明らかにして眺める」です。

つまり、現状を高次な視点から俯瞰し、「わたしは今のままで既に幸せなのだ☆」という「気付き」を得ることが、真の幸福なのだとわたしは思うのです(*´∀`*)ノ

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「いかに無駄を楽しむか?」が人生です

多くの方は、良い学校に行き、よい会社に就職し、より沢山のお金を稼いで、30歳位になったらパートナーを見つけて結婚し、ローンを組んでマイホームを買い、老後にために貯金をし、病気になったときのためにまた貯金し・・・と、人生計画を立てがちです。

しかし、こういった人生計画も、計画としての効率性を考えれば、「生まれた次の瞬間に死ぬ!」というのが、1番効率が良い人生だということになります(笑

というわけで、本当は、人は「無駄なこと」求めているのです。

つまり、人生は、いかに無駄なことを求め、それを手に入れるために「喜び」や「悲しみ」を味わい、心のベクトルを激しく揺らして遊ぶものです(笑

仮に、人生から無駄をなくしてしまったら、「死ぬために生きている」ということになってしまいます。

なので、人生は「いかに無駄なことをして遊ぶか?」なのですね☆(*´∀`*)ノ

最後に・・・

「真の幸福」とは、「条件付きの幸福」とは似て異なるものです。

更に言うと、一義的な喜びは、あくまでも心のベクトルが振れることによる「感動体験」であり、これも真の幸福ではありません。

そんなことを理解した上で、人生は、感情のベクトルを揺らすことによる「感動」を得るゲームであり、感情を揺らしすぎた方は、いずれ、心がニュートラルの状態に「絶対的な安心感」が在るのだと気づくことが出来ると思います。

そして、絶対的な安心感こそが、「何もない日常に感謝をする」という「真の幸福」だと言えるのですね

読んでいただき、ありがとうございました(*´∀`*)ノ

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