なぜ自由になれないのか?人は不自由な状態に安心感を感じるようになっている!?

なぜ自由になれないのか?人は不自由な状態に安心感を感じるようになっている!?




※このブログは2022.2.12にYoutubeにて動画公開した内容をまとめたものです。

こんにちは♪NORIさんです(*´∀`*)ノ

今日もご視聴いただき、ありがとうございます☆

今日は「人はなぜ自由になれないのか?」というお話です♪

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不自由な方が人は安心できる!?

何故自由になれないのか?

この理由を簡単に言うと、人は「不自由な状態」に在る方が安心できるからです。

たとえば、わたしは家族仲が悪いのですが、当時は「実家を出る」という選択がなかなか出来ませんでした。

それには色んな理由があったのですが、たとえば「長男なら実家を継ぐべきである!」と言ったような周りからの反対意見の意見や、金銭的な問題など、理由は様々でした。

しかし、ここであえて言わせてもらいますが、まず、周りの意見なんてガン無視でOKなのです(笑

これが前回の動画で話した「自分軸」な生き方であり、「あるがまま(我がまま)」な生き方です。

しかしわたしたちは、どうしても長年植え付けられた常識感にとらわれてしまいますし、「本当に、あるがままに生きていいの?」なんて思っちゃうのです(笑

では何故、そんな風に思っちゃうのか?というと、これには長年の人類史によって積み重ねられてきた構造的な問題も関係してるのです・・・

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コミュニティという安全シェルター


たとえば、今から数万年前の原始時代は、人類は洞窟の中で生活していました。

当時は、周りにサーベルタイガーも居ましたし、コヨーテや毒蛇もウヨウヨ居たことでしょう。

その為わたしたちには、「生き残るために常に何かを心配する」というマインド癖が根付いており、常に、未来に対して心配をする必要があったのです。

こういった、「生き残るために心配する」というマインド癖は、現在のわたしたちにも残っています。

時代は更に進み、やがて大陸から農耕が入って来て、人々は次第にコミュニティを形成し、集団で定住をする社会システムが出来あがりました。

すると今度は、人々は、「集団の中で生き残らなければならない」ということを常に意識するようになりました。

一度、コミュニティという集団で生きることを覚えた人類は、「集団から出たら生きていけない」という恐怖心に縛られることにより、「安全シェルター」であるコミュニティに依存をするようになりました。

コミュニティで集団生活をするためには、当然、皆で仲良くしなくちゃいけませんが、しかし当時は、コミュニティにとって「良くない人」や「集団の役に立たない人」は、簡単に皆んなに殴り殺されてしまっていたそうです。

これは、考古学者の方が当時の人間の骨を調べて分かったことだそうですが、当時の人たちの1番大きな死因は、仲間から殴られることによる頭蓋骨の陥没だったそうなのです。

そのため人類には、集団生活において皆と歩調を合わせ、コミュニティの中で生き残るために、「自分は良い人なんだ!」「コミュニティの役に立つ人間なんだ!」という事を、積極的にアピールする習慣が根付いていったのです。

そして、こういったマインド癖は、現在のわたしたちの脳の中にも、しっかりと刷り込まれています。

そのため、わたしたちは、コミュニティから出ることに対して恐怖心を抱くようになっていますし、コミュニティの中で「良い人でなければならない!」という観念や、「自分はコミュニティの役に立つ人間だ!」と積極的にアピールする癖が根付いているのです

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箱庭の中で生きるのはラクなのです

「家族」というコミュニティ、「会社組織」というコミュニティ、わたしたちは、とにかくコミュニティの中で生きようとします。

しかし実際は、自分に足かせがついていて、その鎖を親や会社の社長が握っているワケではありません(笑

つまり、わたしたちを縛っているのは、コミュティという安全シェルターから出ることに対する恐怖心だけなのです

わたしたちは、過去何万年にもおよぶ「コミュニティにーの中でないと生きていけない」という恐怖心に縛られていているのです。

そして、コミュニティの中で「良い人にならなければならない!」「集団の役に立つ人でなければならない!」という観念に苦しんでいるのです。

しかし、コミュニティの中のルールなんて、多くの場合で、そのコミュニティだけが持つ独自ルールでしかありません。

家族には、それぞれの家族が持つ独自のルールありますし、会社だって、その会社独自のルールで動いているに過ぎません。

実際、会社によって社員の売上目標も違えば、そもそもノルマ自体が存在しない会社だってあるワケです。

こういった閉じたコミュニティを外から見てみると、コミュニティの外にいる人からすれば、「なんで、そんなルール守ってるの?」と、滑稽に見えるものです。

この様に、わたしたちが自由になれないのは、わたしたちが抱えている「コミュニティに依存しないと生きていけない」という思い込みだけです。

そして、各々がとらわれている小さなコミュニティの偏見に満ちたルールを「守らなければならない」という思い込みが、更に自分を苦しめているワケです。

自分の中にある「こうするべきだ!」という正義は、あなたが属する家族や会社組織というコミュニティが独自に持つ、非常に小さな箱庭の中ルールでしかありません。

しかし人は、小さな箱庭ルールに縛られていると、不自由の対価として、安心感も感じるのです

ルールに縛られ、コミュニティに依存をすることによって、自分では何も考えなくて良いですし、人生をラクに生きることも出来ます。

「親が嫌い」「会社の誰々が嫌い」「給料が安い」etc..と、色々文句を言っていれば、不自由な箱庭の中でも、とりあえず死ぬことは無いワケです(笑

人は暇だから悩み続ける

「旦那が嫌いだけど離婚出来ないのです」というのは、わたしからすると、悩みに思えないのです。

何故なら、先程もお伝えした通り、離婚できない理由は、嫌いな旦那に依存することにより、自分の身を夫婦という安全シェルターに留めて置きたいだけだからです。

もちろん、実際に離婚をしようとすると、そこには、金銭的な問題や、子供の問題など、様々な問題が新たに浮上します。

しかし、そういった問題は、言わば「課題」であり、課題であるならば、ただその課題をこなせばいいだけです。

つまり「お腹が空きました」→「では、ご飯を食べましょう」と同じなのです(笑

自由になれない人は、課題を問題にすることで、問題の渦に巻き込まれ、自ら「悩む」という選択をしてしまいます。

しかしこんな場合も、多くの場合で、悩む必要のないことで悩んでいるものです。

悩みが絶えない方は、言ってみれば「悩む時間が有る」ということであり、ただ、悩むということに対してエネルギーの無駄遣いをしているのだと言えます。

つまり、何年も同じ様なことで悩んでいる人は、自分でその状態を望んでいるものなのです

これは言い換えると、「悩む」という選択ができるほど、その人は暇であるとも言えます(笑

そのため、口では「自由になりたい」とは言いつつも、自由になれないのです。

本当に自由を求める方にとって、今日のお話がヒントになれば幸いです☆

読んでいただき、ありがとうござました(*´∀`*)ノ

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