現実は心の数だけ存在する
- 2020.08.03
- 目に見えない世界のお話
- 心, 現実を作る
※このブログは2020.7.26にYoutubeにて動画公開した内容を、文字起こししたものです。
こんにちは、スピリチュアリストのNORIです(*´ω`*)
今日もご視聴いただき、ありがとうございます。
今日は「現実は心の数だけ存在する」というお話をしますね☆
こうやって言いますと、もう殆どの方は、今日の話の内容を想像出来ちゃうかと思いますが・・・おそらく、皆様の想像通りのお話になると思います(笑
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自分が宇宙人視点になった例え話
わたしは、外に買い物に行く時は一応マスクはしますが、ただ、周りに人がいない所では、もうマスクをしていません。
ではここで、私が外出時にマスクをしている理由は、今のわたしがこんな感覚になっているからですよ・・・というのを皆様にお伝えするために、ちょっと例え話をしますね。
わたしは・・・
宇宙人が正体を現してくれる時は、そう遠くないと思っています。
ただ、彼らのテクノロジーを使えば、いきなり家のリビングに「ぽん!」と宇宙人がテレポーテーションして来て姿を表すなんて事も出来ると思うのです☆
でも、流石にそんな登場の仕方されたら、こちらはビックリしちゃうんですよね(笑
だから、彼らが私達の前に姿を現すシチュエーションは、わたしたちの思考レベルで「想像が出来るような登場の仕方」で現れてくれるのではないか?と、わたしは勝手に妄想しています(笑
たとえば、本当は瞬間移動でイキナリ地球の真ん前まで来れるのに、そこをあえて、太陽系の外から飛んできました候の演出をしつつ・・・
更には、飛行速度があまり速いとNASAが補足できないので、そこは光速の数%とかの今の人類科学でも補足出来る様な低い速度まで減速しつつ・・・
更に更に、わざわざ宇宙望遠鏡で撮影されちゃうような軌道コースを選んでくれて、地球の衛星軌道上にご丁寧に停止したら、今度は母線から、お約束どおりの小さいUFOが飛んできて、皆んなを怖がらせないように、都市部から離れた海の上とかでデモンストレーションの飛行をしてくれるとか・・・
最初の登場は、こんな感じに「地球人を怖がらせないための気を使った登場の仕方」をしてくれるんじゃないのかな?なんて、わたしは勝手に妄想してるのですね・・・w
ただ、わたしのこの妄想が、なぜ今日の話しに繋がってくるのか?というと、実は、わたし自身が、既にこういった宇宙人の気持だからなのです(笑
しょうがないから皆に合わせてあげよう(笑
おそらく皆さんの中にも、もう私と同じ様な感覚の方も多いかなと思いましたので、今日はこういう話をしてみようと思ったのですが・・・
簡単な話、マスクをしないでスーパーとかコンビニに行ったら、他の人が怖がるんですよね。
怖がりはしないにしても、その人達に、不必要な「怒りの感情」「嫌悪感」を持たせてしまう可能性だってあるわけです。
特に今は「マスク警察」とか呼ばれる痛い人達もいますし(おっと失礼w)、マスクをしていない人を見る事によって、実際に嫌な気分になっちゃう人は居ると思うのです。
だから、私がマスクをしている理由は、そういう人に対する「優しさ」とか「気遣い」だけなのですね(笑
でも、わたしがこの感覚になれたのは、ホントついこの間の事です。
それまでは、不必要に怖がっている人に対しては「そんなに怖がらなくても大丈夫だから!」と伝えてあげたりとか、あとは少し前ですと、トイレットペーパーを買い漁っちゃう人に対しては「そんな事しなくても大丈夫ですよ!」と、ちゃんと「真実」を伝えることが大切だと思っていました。
でも、よくよく考えると、こういったわたしの行動も、結局はわたしの「我」なんですよね。
要は、わたしは「相手を変えようとしていた」という事には変わりがなかったのです。
つまりわたしは、私自身が信じる「正義感」によって「人を変えようとしていた」という事に気づいたのです。
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→正義感は争いしか生まない
この話は、私が繰り返し話していることになりますが、基本的には、人は他人を変えることは出来ません。
そして、相手を変えようとすると、必ずこちらが苦しみます(笑
もちろん、向こうも「変われ!」と言われえることにより苦しみます。
そしてこの時に、人間は、言語を使ってコミュニケーションをとる生き物なので、相手に「変わってほしい」という意思を伝えるときは、「言語」で伝えます。
ただ、この言語(言葉)というのがナカナカ曲者で、丁寧な言い方をすると、一見すると相手に対する強制力や、相手が変わらないことによる自分の心が乱れる度合が和らぐような感じがするのですね。
つまり、丁寧な言葉や優しい口調で、相手に「変わってほしい」と言うと、一見すると影響力が弱いような気がするのです。
でも実は、これは間違いであって、いくら上品な言葉を使って丁寧な言い方をしたとしても、「自分の我を通そうとしている」という動機は同じですし、「相手を変えようとしている」という事実は同じなのです。
というわけで、結局は、普段から私が話している結論にたどり着くのですが・・・
基本は「相手を変えようとしない」というのが、正解だと思うのです(*´∀`*)ノ
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→人間関係は、相手を変えようとすると自分が苦しむようになっている
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どう感じるか?は自由に選べる
そもそも、わたしたちの魂は、「色んな体験」を求めて、この星に遊びに来ています。
もちろん、各々の因果によって、宿命的な人生の「決定事項」はあります。
たとえば、金持ちの家に生まれるとか、貧乏人の家に生まれるとか、容姿端麗に生まれるとか、体にハンデを持った状態で生まれるとか・・・こういった宿命的な決定事項はあります。
しかし、起きる出来事に対して「どう思うか?」というのは、その人個人が自由に決めていいことなのですね☆
「幸せの分量」というのは、実は、自分と人と比べて図ることが出来ません。
たとえば、よくある例え話として・・・
コップに水が半分入っている状態を見て、ある人は「半分も入っている!ラッキー!」と喜ぶ人もいますし、また別の人は「半分しか入ってないのかよ!ついてないなぁ」と、残念に思う人が居るという事です。
つまり、人が感じる幸福度には、絶対的な基準は無いという事です。
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→宇宙には“幸せ”も“不幸”も存在しない!?
だから実は、外に見える様々な現象、起きる出来事というのは、全部「自分というフィルター」を通して見ているだけなんです。
少し前の動画で「敵意帰属バイアス」についてお話ししましたが、「敵意帰属バイヤス」についてあらためて説明をしますと・・・・
こちらは、相手のことを別に馬鹿にするわけでもなく、相手に対して敵意を持ってるわけではないのに、相手が勝手に「わたしは攻撃されている!」「この人、わたしをイジメようとしている!!」と、こういう風に思われてしまう状態です。
昔、山田花子ちゃんの「この人、わたしの裸を想像している!怖いわ!」なんていうギャグがあったのですが、あれは敵意帰属バイアスを応用したネタだとも言えますね(笑
もう一つ、わたしの経験談をお話しますと・・・
昔、おじいちゃんが死んだ際の葬式会場で、親戚のオバハンと会った時の話です。
葬儀会場の玄関が雨に濡れて滑りやすくなっていたので、親戚のおばさんに「ここ滑りやすいから気をつけね〜」と言ったら、そのオバハンが、「わしは、そんなババァじゃねーわ、馬鹿にするな!!」と怒られた事があったのです(笑
わたしは、親切のつもりで言ったのに、思いっきり逆キレ(笑
ただその時は、ワケも分からずキレられた事に驚いてしまった気持ちが強く、オバハンに対してムカついた気持ちは全然無かったのですけどね♪
そしてこれは後から聞いて分かった事なのですけども、どうやら、わたしは親戚一同(特にそのオバハン)から、昔から嫌われているみたいだったのです(笑
嫌われている理由はよく解りませんが、ただ私としては、嫌われてるなら嫌われているで、今後会わなければいいだけですし、それで何に問題ないなと思っています。
つまり、この場合、親戚のオバハンは最初から私を嫌っていたので、だから、わたしの親切心の「そこ、滑るから危ないですよ」という言葉を聞いて「自分はバカにされた」と勝手に解釈しちゃったのです。
この現象も、結局は「自分」というフィルターを通して、相手の人間性や、世の中を見ているために起きた現象なのですね。
そして実は、こういった事が、世の中のあらゆる事象で起きているのです。
他人の自由意志に介入するのはエゴなのです
今回コロナが来たことにより、特に3月〜4月頃は、わたしのチャンネルにも「あなたは、そんな脳天気なこと言ってないで、今の事態をもっと深刻に捉えてメッセージを伝えるべきだ!」と怒ってコメントくれた方も何人か居ました。
それに対して私は、「ああ、この人達は本当に恐怖に支配されているんだな」と思ったのですが、ただ、今だから言いますけども、今年に入って(特に4月〜5月くらいの間)、私自身、本当にワクワクが止まらない(関暁夫風にw)状態でしたし、楽しかったのですね(*´∀`*)ノ
でも、わたしの周りを見渡してみても、実際は、恐怖に支配されている人の割合のほうが多いのです。
以前の私なら、そういった人に向けて「テレビの言うことなんて半分くらいに聞いておいて、そこまで怖がらなくて大丈夫だよ☆」と、軌道修正してあげることが、自分の使命の様に感じていましたが、どうやら、それも違うみたいだぞ?という事に気づきました。
そんな考えも、結局は私のエゴですし傲慢さだったのです。
皆んな各々「自分」という宇宙に一人しかいない人格を、ちゃんと自我意識によって形成し、自我というフィルターを通して色んな世界を見て楽しんでるわけですので、そこに私が踏み込むのは間違いだと解ったのです。
今は時代の転換期ですし、おそらく今後は色々ことが起きると思います。
それが、コロナの第二波なのか?それとも大地震が起きるのか?
わたしは霊能者ではないので細かい事までは解りませんが、ただ、何が起きたとしても、自分が見ている風景は、結局は「自分というフィルター」を通して見ているだけなのです。
更に言うと、あなたが、これまで何年かの間に「どういった考え方で生きてきたか?」によって、その心の映し出しが、あなたの目の前に起きてくるだけなのです。
仮に、将来的に大きな地震や水害が起きるとします。
でも、そんな時でも、普段から明るくポジティブにしていて、楽しく感謝しながら生きている人は、仮に天災地変に巻き込まれたとしても、その人自身は大事にならないのです。
こうやって言うと、何の脈略もないフワフワした話に聞こえるかもしれませんが、ただ、宇宙の法則で考えると、そういう事になるのですね。
たとえば、わたしは、今まで骨折とかの大きな怪我を一度もしたことがありません。
だから、これからも、たぶんそういった大怪我は、わたしは経験しないのです。
わたしは、命に関わる様な大きな病気もしたことないので、これからもそういった大病は経験しません。
と、こんな感じに、何の根拠もありませんが、わたしはこう信じ切って日々楽しく生きてます(笑
そして、こうやって楽しく生きている人は、仮にテレビのニュースで、世界の終わりの様な事象を連日放送していたとしても、そういった事件や事故には、まったく関係のないレイヤーで生きることが出来るものなのです。
なぜなら、今日の動画のタイトルでもある通り、現実というのは人の心の数だけ存在するからです。
恐怖心や怒りなど、こういった低くて重い波動に支配されて生きている人は、そういう現実を自分で見る事になりますし、反対に、そんな事とは関係なく、ただ楽しくワクワクしている人は、ワクワクとした楽しい現実を見ることが出来るのですね(*´∀`*)ノ
というわけで、今日もご視聴頂き、ありがとうございました!
スピリチュアリストのNORIでした。
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